第36話 深い傷痕

「ルーフェス……」


 優しい声に自分の名を呼ばれて、ルーフェスは眠りから覚醒した。見るとベッドの横にはアンナとエヴァンが控えている。


「起こしてごめんなさいね。」

「いや、問題ないよ……。それより、ジェフには会えた?」

「会えたけど……あの人一体何者?!何あの貫禄、只の庭師じゃないでしょう?!」


 庭師とだけ聞いていたエヴァンが訪ねたジェフと言う男性は、老齢にも関わらず上背のあるがっしりとした体つきで、顔には深い斬り傷の跡が残っており、目つきも鋭くなんとも近寄り難い風貌をしていたのだった。


「あぁ。ジェフは昔凄腕の冒険者だったって聞いてるよ。一人で高難易度の討伐依頼を颯爽と達成するようなね。彼、凄みがあるよね。でも良い人だから怖くないよ。」


 痛み止めが効いてきたのか、ルーフェスは先程よりも大分話しやすそうで、口が回っている。


「確かに、話してみたらそんなに怖くは無かった。貴方のことを凄く心配していたよ。けどね、事前に言っておいてよね。俺の想像する一般的な庭師とはかけ離れ過ぎてたから本当に貴方の伝言先がこの人でいいのか戸惑ったわっ!!」

「そっか、ごめんね。でも彼でちゃんと合ってるよ。」

「でしょうね。それで事情を説明したらこれ渡されたよ。」


 そう言って、エヴァンは先程テーブルに広げた荷物をルーフェスにも見せたのだった。


「着替えと傷薬。それから伝言を預かってる。”動けるようになったら直ぐに帰ってくるように。それまでは、こっちで何とかする”……だって。」


 その言葉を聞いてルーフェスは僅かに表情を曇らせたが、それは一瞬で、誰にも気づかれる間もなく、彼は直ぐにいつもの柔らかい笑みを浮かべた。


「届けてくれて有難う、エヴァン。とても助かったよ。」


 そうお礼を言ってルーフェスはエヴァンから荷物を受け取ると、その中の紫の小瓶を手に取って、まじまじと見つめた。


「これはジェフが昔冒険者をやっていた頃のとっておきだね。前にも一回使ってもらった事あるけども、もう残り少ないのにコレを出してくるなんて……早く帰らないとな……」


 ルーフェスは独り言のように小さな声で呟くと、それからアンナの方を向いて、手にしていた小瓶を差し出すと、申し訳なさそうに、彼女に依頼したのだった。


「アンナ……悪いけど、背中の傷に塗ってくれないかな……?その……傷口はかなり見た目が不快だと思うけど……」


 自分の怪我の具合は、自分が良く分かってる。


 どんな見た目になっているかも想像出来たので、ルーフェスはこの傷の手当を頼むのも憚られたが、この場に居るアンナとエヴァンのうちどちらかに頼むしか無いのなら、それは、一度傷跡を見ているアンナにしか頼めなかった。


「昨日も見てるし大丈夫よ、やるわ。そろそろ包帯も変えた方がいいと思ってたしね。」


 小瓶を受け取ると、アンナはルーフェスからの依頼を快く引き受けた。彼の傷口は昨日一度見ているので、傷の見た目がどれだけ酷いものかは覚悟は出来ているのだ。


 早速彼の傷を治療しようと、アンナはルーフェスにうつ伏せになるように促すと、はたと気づいて弟の方を見た。この場にエヴァンが居る事を思い出したのだ。


「エヴァンは傷口とか見慣れてないだろうから向こうへ行ってて良いわよ。」


 この中々刺激が強すぎる傷跡を弟には見せたくないという姉心から、アンナはエヴァンに部屋を出るように勧めたのだが、しかしエヴァンは首を横に振って、その提案を断ったのだった。


「ううん。ここに居るよ。」


 興味本位なのか、もっと別の感情なのか。自分でも分からないが、エヴァンはこの場に留まることを選択したのだ。


 仕方ないのでアンナはそのまま作業を続けた。

 先ずルーフェスの身体の向きをうつ伏せに変えると、アンナは彼の包帯を解いて、傷に当てていた布をそっと剥がした。


 血が滲んだ当て布をゆっくりと外して現れたその傷は、左肩から背中に広がる四本の凄惨な爪痕で、縫ったところが赤黒く盛り上がっている。

 アンナは改めて見るその傷に息を呑んだが、怯む事なく傷薬の瓶を傾けて、適量を手のひらにとり彼の背中の傷にそっと触れたのだった。


「痛っ!!!」


 少し触れただけなのに、ルーフェスが大きな声を上げたので、驚いたアンナは咄嗟に手を引っ込めた。


 薬が染みたと言うよりは、傷に触れられた事で身体の中を痛みが走り、思わずルーフェスは声をあげてしまったのだ。


「痛かった?痛いよね?ごめんね、もっとゆっくり塗るわ。」

「いや……どうせ痛いんだから、一思いに一気に塗ってくれないか……」


 うつ伏せである為、ルーフェスの表情は見えないが、その声からは緊張が伝わってくる。


「……分かったわ。」


 せめて苦痛な時間は最小限に止めようと、どんなにルーフェスが声をあげても戸惑わないで一気に最後まで塗る覚悟を決めて、アンナは傷口への薬の塗布を再開した。


「ぐっ………う、うぅ……」


 ルーフェスはシーツを強く握りしめて、傷口に触れられる度に走る激痛に歯を食いしばって耐えた。


 そんな二人のやり取りを、エヴァンはただ固まって見ていた。


 傷口の凄惨さもさることながら、目の前で人が呻く所なども見たことがなく、彼にはショックが大きかったのだ。


(姉さんは、今までこんな危険と隣り合わせの仕事をしていたのか……)


 一歩間違っていたら今ここで怪我をしているのはアンナの方だったかもしれない。そう考えると、エヴァンは怖くてたまらなくなったのだった。




「とりあえず塗り終わったわ。残りは布に染み込ませて傷に当てておいたから。」

「……ありがとう……」


 手当を終えて包帯を巻き直して貰うと、ルーフェスは再び仰向けに横たわった。心なしか、薬を塗る前より少しぐったりしている様にも見えた。


「……もう暫く眠った方が良いわ。私たちは席を外すからゆっくり休んで。」

「ありがとう、そうさてもらうよ。」


 傷の手当ても終わって、薬湯も痛み止めも飲ませたので、彼に必要なのは後は十分な休息なのだ。


 だからアンナは、ルーフェスが十分に休める様にと、エヴァンを連れて部屋を出て行った。本当はずっと側に居たい気持ちで一杯であったが、彼の負担になるだろうと自分の気持ちは押し込めた。


 そうして部屋に一人残されたルーフェスは、アンナたちが部屋から出て行くのを見届けると、ゆっくりと目を閉じて再び深い眠りへと落ちていったのだった。

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