第7話 ナミュールへ
トラベル小説
入国7日目、6月23日。今日はCAの長谷川さんと合流し、ナミュールへ向かう。
朝8時に、指定の5つ星ホテルの駐車場についた。A航空の提携ホテルで、日本人旅行者が多い。我々が泊まっているホテルの2倍の値段がする高級ホテルだ。
ところが、長谷川さんがなかなか出てこない。集合時間を間違えたか?長谷川さんに電話してみるが、通話中なのかでない。木村くんはいらいらし始めている。
「CAさんもプライベートでは時間を守らないんですね」
とぼやいている。
「なんか事情があるんじゃないかな。今まで時間を守らなかったことはなかったよ」
「遅れるなら遅れるで連絡ほしいですよね」
しばし沈黙の時間が流れた。
20分遅れて彼女はやってきた。
「ごめんなさいね。でがけに電話がかかってきて、明日のフライトで変更があったの」
「話し中だったのは仕事の話だったんですね。それで大丈夫なんですか」
「まあね。ビジネスクラスのチーフが急用で乗れなくなったので、エコノミークラスのチーフだった私がビジネスにまわることになったの。せっかく木村さんたちのサーブができると思っていたのですが・・・ちょっと残念です」
「ビジネスのチーフって、チーフパーサーですか?」
「チーフパーサーは別にいるの。その人から電話があって、断れなくて・・」
「仕方ないですね。ところで紹介をします。彼が木村くんです」
「よろしくお願いします。木村さんと木村くんでいいのかな?年いくつなの?」
木村くんは機嫌が悪いらしく、ぼそっと
「28です」
と答えた。
「あら、私の方が少しお姉さんね。よろしくね」
と長谷川さんはニコッと微笑んだが、木村くんはブスッとしたままだった。
助手席を長谷川さんに譲り、木村くんはスーツケースとともに後席に座った。長谷川さんの荷物は少なく、小型のスーツケースとボストンバッグだけ。さすが旅慣れたCAさんの荷物だ。
南東に向かう高速道路でフランス国境をめざす。第1の目的地はブイヨン城だ。高速道路を下りてから田舎の道を走り、国境の町ブイヨンに着いた。町から見上げると小高い丘全体に城塞が広がっている。攻める側からすれば急峻な坂の上にある城をどう攻めたらいいか迷う。当時の投石器や大砲では届かなかったのではないかと思う。
町から丘の裏にまわると、そこには奇妙な街路樹が並んでいる。あいにくの天気で、小雨が降っている。なんか気味が悪い。
「まるでハリーポッターのホグワーツ城に行く道みたいですね」
と長谷川さんが言うと、ずっと黙っていた木村くんが
「ハリーポッター好きなんですか?」
「えぇー、ユニバーサルスタジオはフロリダ以外全部行きましたよ」
「ロスとシンガポール・北京もですか?」
「フライト先ですから、国際線だと1日は休暇をとれますから役得ですね」
「いいですね。フロリダはどうして行ってないんですか?」
「新婚旅行先に残しておこうと思って・・なんて、実は直行便がとんでませんから」
「ぼくはハリーポッター好きなんです。映画だけでなく、本も全巻読みました。あの不思議な世界とホグワーツ城の雰囲気が大好きなんです。ノイシュヴァンシュタイン城よりホーエンツォレルン城の方が好きというのもハリーポッターの影響だと思います」
「木村くんはおもしろい人ね。私も映画は全部見たけれど、本は読んでないわ」
「本もいいですよ。イメージが膨らみますから・・」
話が長くなりそうだから、私が横やりをいれた。
「木村くんは国語の先生だからね。ところで、着いたんだけど」
丘の上に広場ともいえる自然の駐車場があった。すでに10台ほどが停まっているが、各々が勝手に停めている。整然とした駐車場ではない。
このブイヨン城は、11世紀にブイヨン卿が元々あった城に入ったと言われている。十字軍遠征の際の拠点だったとガイドに書いてある。日本でいうと平安時代末期。源平の争いのころである。
橋を渡る。鎖で引き揚げられる跳ね橋だ。これがないと、100m近い絶壁を上らなければならない。落ちたら一貫の終わりという感じ。入り口で入城券を購入し、いざ城内へ。
岩をくりぬいた洞窟の上には、刃先がたれさがっている。侵入者はここで攻撃を受けるのだ。洞窟を通り抜けると広場があった。城は細長い造りになっている。左右の幅は50mもない。奥行は300mほどあるだろうか。城壁は高く、ところどころ砲台跡がある。攻めるには難しく、守りはた易い城の典型的な造りである。見晴らし台から見下ろすと、ふもとの町がディオラマに見える。
石を落とすだけで相手にダメージを与えられそうだ。木村くんと長谷川さんはハリーポッターの世界に入り込んでいるようで、妙に興奮している。私そっちのけで二人で盛り上がっている。朝の気まずい雰囲気はどこかへ吹き飛んだようだ。
建物に入ると、そこは岩をくりぬいた部屋になっていた。騎士の間は100人ほどの騎士が長机に座れるようになっていた。ここでも二人は歓喜の声をあげていた。私には陰気な暗い部屋にしか見えないのだが・・・。
少し歩くと、拷問部屋があった。ギロチンだけでなく、背中を無理やり伸ばす責め具や、首かせなどが置いてあった。
「日本ならあり得ない展示だね」
と私が言うと、二人そろって
「だからいいんですよ。これぞ城ですよ」
と言ってきた。二人のイメージする城は中世の城そのものなのだ。華美な城は近世の城であって、二人のイメージする城ではないのだ。
その後、牢屋が続いた。中にはろう人形が置かれていて、なまなましかった。一番強烈だったのは、水牢である。入り口の鉄格子の向こうは、水がためられている。深い時は2mまでたまるらしい。1mでもずっと入れられていたらたまらないと思った。
昼近くになり、外の売店でサンドウィッチを買って食べた。レストランで2時間もかけて食事をする余裕はなかったというか、それが無駄な時間に思えてしょうがなかった。
次はディナン城である。30分ほどでディナンの町に着いた。川沿いにある細長い町だ。橋の近くの駐車場にクルマを停めると眼前にディナン城塞がそびえたっている。ディナンの町は楽器のサックスが産まれたということで知られている。アドルフ・サックスという人が作ったとガイドブックに書いてある。でも、音楽の町という感じはしない。城塞が強烈すぎるのだ。50m近い絶壁の上にあるのだが、中世の雰囲気はない。階段でも登れるが、急な登りなので、ロープウェイに乗ることにした。10人ほどが乗れるロープウェイで登る。斜度は60度を超えている。
このディナン城は15世紀に建てられたが、その後、刑務所になったり、博物館になっている。何度も改修されているので、中世の雰囲気はブイヨン城ほどではない。先の世界大戦ではドイツ軍の基地になったという。この高台から砲撃されたらたまらない。広場に屋根があるのは、大砲を隠したかららしい。
城の裏側は公園になっており、のどかな雰囲気だ。まわり道をすればクルマでやってこれるとのこと。城塞と公園がミスマッチで少しおかしかった。
そこのカフェでコーヒーを飲む。コーヒーカップの上にフィルターのカップが乗せられるセルフ式だ。砂糖とミルクはスタンドから自分で用意する。ミルクは新鮮かどうかわからないのでやめた。外国でお腹をこわすのは避けたい。コーヒーを頼むとチョコかクッキーが必ず添えられる。今日はクッキーだった。とろける軽い甘さを感じる。
「長谷川さんは城めぐりが趣味だと聞いていますが、今まで行った城で印象的だったのは、どこですか?」
と木村くんがコンタクトをとり始めた。私は二人の会話を微笑みながら聞くだけであった。
「そうね。すごく強烈的だったのは高取城かな? ね、木村さん」
(そうですね)と言おうと思ったが、木村くんが間髪いれずに
「あそこはすごいですよね。石垣が何層も続きますからね。それに行くまでが大変。ハチと熊に気をつけなきゃいけない。よく行けましたね」
「いいボディガードがいますから」
と言って、私に視線をよこした。
「それじゃ、苗木城行ったことありますか?」
「そこもボディガードと行きました。自然の石をうまく使っている城ですよね」
「さすがですね。大坂城とか名古屋城は論外ですね」
「そうですね。中にエレベーターがあるのはがっかり」
「話があいますね」
と木村くんのペースでお城の話に盛り上がっている。30分ほど続いて
「そろそろチェックインの時間だから、出発しませんか」
と言うと、やっと腰をあげてくれた。
午後5時、シャトードゥナミュールに到着。石が敷きつめられた駐車場にクルマを停める。舗装されていないのがいい。ホテルの下は、ナミュール城塞である。1746年にオーストリア継承戦争でナミュール包囲戦というのがあったらしい。このホテルはその後に建てられた貴族の館だったらしい。円錐の尖塔があり、遠くから見るととても画になるところだ。
中に入ると、ふつうのホテルだった。1階の奥は会議場というか宴会場。左にレストランがある。階段を上って2階に部屋がある。ふつうのツィンベッドの部屋だった。天蓋付きのベッドではなく、ふつうのベッドだ。見晴らしだけはいい。
着替えてから散歩に出た。庭園がきれいに整えられている。庭からでると、そこは城塞だった。ディナンと同じ時期に造られたらしい。規模はディナンより広いし、見晴らしもナミュールの町がよく見える。ここナミュールはワロン州の中心だ。遠くまで町が広がっている。迷路みたいな城壁沿いを歩いた。帰りは登りで汗をかいた。
シャワーをあびてからディナーである。レストランには5組ほどの客がいた。窓側の席に案内され、長谷川さんをベストポジションに置き、対面に私と木村くんが座った。ディナーはステーキを選択した。まずは、おすすめの赤ワインを飲んだ。
木村くんが話を切り出す。
「この赤ワイン、飲みやすいですね」
「そうですね。渋みが少なくて日本人向きですね」
「やはりCAさんはワイン通でないとだめですか?」
「そうですね。飲めないCAさんはお客さんにあうワインをすすめることができませんから、つらいですね」
「長谷川さんはいける口なんですね」
「ほどほどには飲めますよ」
「ところで、ここはシャトーホテルなのに、どうしてリーズナブルなんですか?」
長谷川さんの指定で、このホテルを予約したが、ルームチャージは2万円程度。他のシャトーホテルの半額ほどだ。
「それは、ここがホテル学校の直営だから。働いている若い人は学生で、年配の方は教官」
二人で納得した。
前菜のマリネは、ドレッシングがおいしく、すっきりした味わいだった。そこから30分たって、スープがでてきた。パンプキンスープだ。味はいいが、待ち時間が長い。木村くんもさすがに話のネタがきれたのか寡黙になってきた。
「料理の味はいいんですが、この待ち時間はたまりませんね。やはり学校だからですか?」
「そんなことはありませんよ。ヨーロッパのレストランでフルコースを頼めば、こんなもんですよ。ね、木村さん」
「そうでした。だから、私はフルコースの店には入らない」
「どおりで・・木村さんが選ぶ店は一品料理の店ばかりなわけだ」
「フルコースの店に入りたい?」
「いえいえ、一品料理で結構です」
という会話をしているうちに、メインのステーキがやってきた。ボーイさん(ギャルソン)がテーブル脇で、最後の調理である味付けとカットをする。その脇で白服の教官らしき人が見ている。ボーイさんの手つきがちょっとあやしい。まだまだプロの手つきではない。後で聞いたら、ルーム係からレストラン担当になって、まだ3日目だということだった。無理もない。それでも、何とか皿に盛ることができた。
ステーキは、やや固い感じがしたが味付けはよかった。長谷川さんは肉汁にパンをつけて食べている。木村くんも真似をして食べている。私もやってみた。肉汁がしみておいしかった。
デザートに三種のアイスクリームがでてきた。そこで、長谷川さんが
「Merci bien. Ton travail etait bon . 」
と言うと、ボーイはニコッとしていた。
「なんと言ったんですか?」
私はフランス語がわかるので理解できたが、木村くんは分からない。
「ありがとう。いい仕事したね。と言ったの」
「長谷川さんは何か国語分かるんですか?」
「ふつうに分かるのは英語だけ。でもフライト先の言葉は簡単な会話ならできるわよ」
「ドイツ語もですか?」
「Ich kann ein bisschen Deutsch sprechen . 」
(私はドイツ語が少し話せます)
「発音いいですね」
「実用会話ですからね。ベテランのCAならだいたいの人ができますよ」
「見た目はベテランに見えないところがすごい」
「あら、木村くんは口がうまいこと」
私は二人の会話を聞いていて、微笑むだけであった。
夜9時。外はまだ明るい。テラス席に移動して、残った赤ワインを飲むことにした。二人が隣どおしの席で話し込んでいるので、私はただ見守るだけにした。
暗くなって、長谷川さんが部屋にもどるというので、我々も部屋にひきあげた。
木村くんの顔が紅潮している。何かを思い詰めているような感じだった。
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