第33話 邂逅(中編)Ⅳ

 湖を正面にし、その場に崩れ落ちる。地面に突いた両手は草を掴む。

 これから何が起こるのか、怖くて堪らない。きちんと皆に説明出来るだろうか。

 一人で震えていると、後方から此方に駆けてくる足音が聞こえてきた。


「カノン!」


 肩がビクッと大きく震える。


「何があったのか、ちゃんと話してくれる?」


 リエルの声に、なんとか頷いてみる。


「私が倒れちゃったのは、影に足元を掬われちゃって、頭を木の幹にぶつけたから。それだけだよ。影が、明日、また此処に来るって」


「それを信じろってか?」


 脅しにも似た、ヴィクトの声が空気を振動させる。


「アイリスはオマエに、一方的に拒絶されてんだ。理由が無い訳が――」


「一方的じゃない!」


 叫んでから、弁解のしようが無くなってしまった事に気付く。


「だったら、教えてくれても良いよな?」


 拍子に振り向いてしまった。此処に帰ってきてから初めて、皆の顔を真面に見た。

 誰も怒ってはいない。寧ろ、心配してくれているような表情だ。リエル、後ろに居るヴィクトとアイリス、更にその後方に居る使い魔たち――何故、そんなに悲しそうな目で私を見るのだろう。


「明日、全部終わったら話すから」


 そう、答える事しか出来なかった。皆に背を向け、両手を握る。


「アリアはどうした?」


「パンを……買ってくるって」


「そーか」


 これ以上、私が何も話さないだろう事を察したのだろう。足音が遠ざかっていくのが聞こえた。

 アイリスのあの瞳――まるで彼女が悲劇のヒロインを気取っているかのようだった。どうしようもなく憎い。

 声を殺して涙を流していると、草の揺れる音が間近で聞こえた。


「カノン、ちょっとこっちに来て欲しい」


「えっ?」


 全員去っていったと思ったのに。リエルの小さな声に、顔を上げた。


「立てる?」


 リエルは私の正面に回り込む。そして、切ない笑みで、そっと手を差し伸べてくれる。その手を、若干躊躇いながら取った。

 そうして連れてこられたのは湖畔だった。小石が転がる畔で、互いの顔を見る事も無く、俯き加減で立ち尽くす。


「俺、やっぱり心配で……。胸の痣だって、前は無かったよね?」


 そこまで見られていたなんて。絶対に、呪いの事はリエルに知られたくない。


「明日、ちゃんと話すから」


「でも――」


「お願い……!」


 瞼をぎゅっと閉じる。


「絶対に、だよ?」


「うん」


 こんな約束、守れる自信も無いのに。悔しくて涙が出そうになる。

 互いに離れるでもなく、ただただ時間が流れていく。一分、一秒でも時間が惜しい筈なのに。リエルに掛ける言葉も見付からない。

 このまま死に別れるなんて、絶対に嫌だ。


「好き」


「えっ?」


「私、リエルの事が好き」


 言った途端に、顔の血液が沸騰したかのような感覚に陥る。

 けれど、後悔は無い。

 真っ赤になっているであろう顔を気にするでもなく、真っ直ぐにリエルの顔を見た。戸惑っている様子はあったものの、彼も私をスッと見詰め返してくれる。


「俺も、カノンの事が好きだよ。大好きだ」


 言うと、リエルの方から私に抱きついてきてくれた。私も大きな背中に腕を回す。

 約一年越しの両思い――それが何故、今日という日なのだろう。私は明日、リエルを絶望へと追い込んでしまうのだろう。死にたくない。私の為ではなく、リエルの為に。


「サプライズ」


「えっ?」


 リエルが何かを呟いたと思うと、辺りが光に覆われた。浮遊感も覚える。これはワープだろうか。

 光が消えると、空気も変わった。爽やかな風が吹き抜ける。湖畔特有の湿気も無い。

 リエルが身体を離すので、視界が開けていく。目に映ったのは、白いベルフラワーが一面に広がる花畑だった。空も突き抜けるような青一色だ。こんな絶景は、今まで見た事が無い。


「此処、何処?」


「俺も分からないんだ。気付いた時には記憶の片隅にあって、イメージしたらワープ出来てさ。スティアの何処かなんだろうけど……カノンも気に入ると思ったんだ」


「うん、凄く綺麗……」


 追い風が吹き、花弁が舞った。死の恐怖なんて何処かに消え去ってしまいそうなほど、景色に見惚れていた。


「これ、受け取ってくれる?」


「えっ?」


 リエルが出した掌の上には、女性もののシルバーのピンキーリングがあった。中央には緑色の石が輝いている。

 女性のピンキーリングは結婚の証――思わず右目から涙が溢れる。


「カノン、左手出して?」


 リエルは小さく笑い、リングを摘む。ゆっくりと左手を差し出すと、リエルの手によって、その小指に彩を添えられた。

 リエルの左手の親指には、青色の石が埋め込まれたリングが確認出来た。

 まさか、私が結婚する事になるなんて。


「こんなの、形だけだって分かってる。でも、気分くらい味わっても良いじゃん?」


 そう、結婚したところで一緒には住めない。居るべき国が違うのだから。

 しかしそれ以上に、このリングを用意するまでに私を思っていてくれた事が嬉しくて堪らない。


「ありがとう」


 もう、感情が抑えられそうにない。顔を隠す為に、今度は私からリエルに抱きついた。リエルの胸に涙の跡を残す。


「また、此処に一緒に来よう」


「うん、楽しみにしてる」


 私なりの、精一杯の嘘だった。

 明日が怖い。影とアイリスが――憎い。

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