第26話 地Ⅳ

「今日はミユが自分で魔方陣を描かなきゃいけないから」


「どうやって?」


「こう、手を伸ばしてみて」


 フレアが隣で前方へ手を伸ばすので、私も真似をしてみる。


「うん、そのままね。目を瞑って、地の塔に行きたいって頭の中で唱えてみて」


 言われるがまま瞼を閉じ、言われた通りに頭の中で唱えてみる。


「目を開けて」


 恐る恐る瞼を開けると、杖が宙に浮かんでいる。その杖の先が勝手に魔方陣を描いていくので、思わず声が漏れそうになった。

 悲鳴を上げてはいけない。何故かそんな思いに駆られ、無言で魔方陣が描かれていく様を見届けた。

 完成した魔方陣は、強い緑色の光を放つ。


「あたしたち、先に行ってるね。決心がついたら付いて来て」


「うん」


 三人は頷き合うと、ほぼ同時に光の中へと消えていった。

 このまま此処に居ても、気持ちがブレてしまうかもしれない。私も行こう。一歩足を踏み出すと、身体は浮遊感に包まれた。


 くるぶし程の丈の雑草、立ち並ぶ木の幹、空を覆い隠す程に生い茂る葉――此処は森の中だ。所々にある木漏れ日が眩しい。前方には一際大きな木の幹がある。ぽっかりと開いた大きな穴――あそこが塔で、あの穴が入口なのだろう。

 前方に居る、先に到着していた三人は、私の到着に気が付いていないらしい。


「行こう?」


 思い切って声を掛けると、三人は揃って振り返る。微笑んで見せると、しんみりとした笑顔が返ってきた。


「そーだな。行くか」


 今までで一番自然で、ゆったりとした気持ちで、塔を目指した。道すがら、考えを巡らせる。何故、この世界の人が地球に、しかも私に転生したのだろう。考えても分からない。この先だって知る機会は無いのかもしれない。そもそも理由すらないのかもしれない。

 前世の存在なんて真剣に考えた事が無かったので、突然あの人が自分の前世だと言われても、だから何? とさえ思ってしまう。私は花岡実結として、きちんと生きているのだから。

 塔の入り口を潜ると、其処は木の幹の中である筈なのに、床はしっかりと真っ平らになっていた。緑色の、あのモザイク模様だ。

 ごくりと生唾を飲み込む。


「行ってくるね」


 誰に言われるでもなく、自ら歩を進める。後ろに居る三人を顧みたりもしない。

 そう、これは私が望んだ事だから。

 淡く緑色に光る魔方陣を踏む。その瞬間、光は一際強くなった。

 転移された先は、黄緑色の花が咲き乱れたお馴染みの花畑だった。この花は薔薇――なのだろうか。しゃがんで触れてみると、棘が無い。

 ふと、似た形状の花の名を思い出した。確か、ラナンキュラス――

 そろそろ何者かが話し掛けてくる頃だ。立ち上がり、身構える。

 ところが、今回は誰も話し掛けてこなかったのだ。急に視界が揺らぎ、身体が傾いた。


――――――――


 真っ白なベルフラワーに似た花が風に揺れ、一枚の花弁が宙に舞う。それは野風に遊ばれ、一つの墓標に辿り着いた。十字が掲げられた緑色の墓標の前には、しゃがみ込む女性の姿があった。揺蕩う焦茶の髪は腰まで伸び、横髪は後ろで結ばれている。

 その女性は私の気配に気付いたのか、立ち上がってゆっくりと振り返る。その顔に絶句してしまった。

 まるで大人になった私であるかのように似通っているのだ。違うのは瞳の色だけだろう。宝石のエメラルドのように澄んだ緑色である。

 緑の瞳は真っ直ぐに私を見る。表情は『無』そのものだ。


「初めまして、来世の私。って言っても、正確には初めましてじゃないんだけど」


 動悸がする。手に汗が滲む。目を逸らしたいのに、身体が言う事を聞いてくれない。

 やっとの事で声を絞り出す。


「貴女の名前は?」


「それは貴女も知ってる筈だよ」


 必死に頭をフル回転させてみる。可能性がありそうな名前は一つしか思い浮かばなかった。


「カノン?」


「そう」


 瞬きをしても揺るがないカノンの瞳に、思わず吸い込まれそうになる。無意識のうちに生唾を飲み込んでいた。

 次の瞬間、カノンは破顔一笑した。


「こんな堅い雰囲気、私には似合わないよね。もう、いつも通りでいこ~」


 後ろにあった手を、今度は前で組む。その手には一輪の花が握られていた。


「その花……」


「うん、ラナンキュラスだよ。私が好きな花」


 カノンは悲しいような、寂しいような、憂いに満ちた表情をすると、ちょこんと首を傾げて儚げに微笑む。そのまま後ろに振り返り、一瞬しゃがんだ。再び此方を向いた時には、ラナンキュラスは手の中から消えていた。


「貴女はこれから私に戻って、記憶を遡る事になると思うの。でもね、これは『過去』の話であって『今』じゃない。貴女は、貴女の手で、未来に繋がる選択肢を選んでいって欲しいの」


 言い終わると、カノンは小さく息を吐き出す。


「私がした失敗を繰り返さないで」


 小さく呟いた、たったその一言が、脳にこびり付く。


「私は……そう、世界から切り離されて、五年が過ぎた頃だった。二週間後にある、会議っていう名目のお茶会を楽しみにしてたの。何の変哲もない、いつも通りの一日の始まりで――」


 御伽話を聞かされている子供のように、強烈な眠気が襲い掛かる。これは現実ではなく、夢である筈なのに。自分でも訳の分からない状況に置かれながらも、眠気には抗えずに瞼を閉じた。

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