第37話 初めて出会った日
次にユウくんから出てきたのは、呟くくらいの小さな声だった。
「藍の言う通り、好きになるのが怖いって気持ちは、誰に対してもあったんだ。両親が離婚してしばらく経った頃には、人と仲良くなるのが怖くなって、気がついたら、周りから距離を置くようになってた」
それは、覚悟していた答えだった。
今までの話を聞いて、予想できてたものだった。
だけど、実際にそれを聞いて平気かって言われると、決してそんなこと無い。
そんなふうになって、ユウくんはどんな気持ちで毎日を過ごしていたんだろう。
想像しようとすると、ズキリと胸が痛くなる。
「ちょうど、そんな時だったよ。藍と初めて出会ったのは」
「えっ?」
思わぬところで私の名前が出てきたもんだから、話の途中だったのに、思わず声が漏れる。
「藍は覚えてる? 俺と初めて会った時のこと?」
「う……うん」
それは、私がまだ小学校にも通っていなかった頃の、本当に昔の話。
それでも、決して忘れてなんかいなかった。
「私が迷子になって、それをユウ君が助けてくれたんだよね」
その日私は、一人で家の庭で遊んでた。
まだ小さかったから、お父さんやお母さんからは、勝手に外に行ってはいけないって言われていたけど、私はその約束を破ってしまった。
きっかけが何だったのかはもう覚えてないけど、まだ見た事の無い場所へ行ってみたくなって、気がつけば、一人で家の外に飛び出していた。
一人で歩く初めての道はワクワクして、どんどん遠くに歩いていったけど、しばらくしてようやく、どうやって家に帰ればいいのかわからないことに気づいた。
そこまで思い出したところで、ユウくんが懐かしそうに言う。
「驚いたよ。いきなり知らない子が、泣きながら道を聞いてきたんだから」
そ、そうだよね。
私、あの時大泣きしちゃって、私のお家どこって、誰でもいいから声をかけたんだよね。
そしてそれが、私とユウくんとの初めての出会い。
改めて思い返すと、すっごく恥ずかしい!
「そ……その節は、大変迷惑をかけました……」
幸いだったのは、うちでやってる喫茶店の名前を、ちゃんと言えたこと。
それに、ユウくんがそれを知ってたこと。
だから、私はすぐにうちに帰ることができた。
その後、お父さんとお母さんにたくさん叱られたけど。
「それから、俺のことを見かけると、寄ってくるようになったな」
「う、うん……」
元々、ユウくんの家はうちの近所だったから、私の家の近くを歩いていると、たまたま出会うことは何度かあった。
そしてその度に、私はニコニコしながら、ユウくんの傍によっていった。
その頃にはもう、私にとってユウくんは、迷子になったのを助けてくれたヒーローだったから。
それどころか、遊んでほしいとか、家に来てほしいとか、小学校に上がってからは宿題を教えてほしいとか、事あるごとに色んなお願いをした。
たくさんたくさん、お願いした。
……って言うか、あの頃の私、お願いしすぎじゃない?
「藍、どうかした?」
話の途中で、ユウくんが一度言葉を止める。
一方私は、火照ってしまった顔を、両手で覆って隠してた。
昔の自分のあまりのやらかしに、いたたまれない気持ちになってくる。
「あ、あの……ユウくん。その頃の私って、実はすごい迷惑だった?」
顔を隠したまま、消えそうな声で聞いてみる。
ユウくんの都合も考えずにあんなこというなんて、昔の私、わがまますぎるよ。
「大丈夫。迷惑なんかじゃなかったよ」
「ほ、本当? 本当に、迷惑じゃなかった?」
ユウくんの言葉に、覆っていた手を、恐る恐る開いていく。
「まあ、最初のうちは、どうしようって困ったりもしたけど」
「やっぱり! それって迷惑ってことじゃない!」
再び顔を覆って、悲鳴をあげながら下を向く。
恥ずかしさと申し訳なさでいっぱいになって、どうにかなってしまいそう。
「落ち着きなって」
ユウくんは優しく言葉をかけてくれるけど、今はそんな言葉ですら辛く感じる。
(何を言っても受け止めるってつもりだったけど、これは無理!)
あれ?
そもそも今って、ユウくんの抱えているものと向き合うつもりでいたんだよね。
なのに、どうしてこんなことになっているんだろう。
まさか、こんな形で自分の心に傷を負うなんて思ってもみなかった。
「うぅ……あの頃の私のバカ」
できることなら、過去に戻って昔の自分を叱ってやりたい。
そんな私の様子を見て、ユウくんが小さく噴き出した。
「ふふっ──」
それがまた恥ずかしさを倍増させるけど、そもそもの原因は私なんだから、文句なんて言えない。
「ごめんごめん。笑うつもりはなかったんだ」
(いや、今もしっかり笑ってるよね)
思わず拗ねそうになるけど、その時になって気づく。
さっきまで暗い顔をしていたユウくんが、今は笑っていることに。
まあ、笑うって言っても、相当しょうもない理由だから、喜んでいいのかはわからないけど。
するとユウくんは、ようやく笑うのを止めて言う。
「そうだな。確かに、ちょっと困りはした。けど、嫌ってわけじゃなかったんだ。さっきも言ったけど、当時の俺は人が怖くなってて、友達だってほとんどいなかった。だけど藍だけは、そんな俺に何度も近づいてきて、笑ってくれて、気付いた時には、それを嬉しいって思うようになってた」
「そ、そうなの?」
真顔でそんなことを言われたもんだから、さっきまでとは違った意味で恥ずかしくなってくる。
それを見て、ユウくんはもう一度クスリと笑った。
「そうだよ。それだけじゃない。藍と一緒にいるうちに、いつの間にか他の人に感じてた不安みたいなものも、少しずつ薄くなっていった」
そ、そうなんだ。
えっ、でも、ちょっと待って。
それってつまり……
「それって、その……好きになるのが怖いって気持ちは、なくなったってこと?」
今の話を聞いてると、そういうことみたいに思えるんだけど。
そしたらユウくんは、少し困ったように、微妙な表情を浮かべた。
「だったら良かったんだけどな。そうなったのは、藍や一部の人だけで、他の人相手には、相変わらず元のままだった」
そっか……
残念だけど、考えてみれば当然だ。
人を好きになるのが怖い。そんな思いが亡くなるまで続いていたってのは、ついさっき聞いたばかりだ。
けどそれでも、私と一緒にいるうちに不安が薄くなっていたっていうのは、嬉しかった。
ユウくんの心を、少しでも変えられたんだって思うと、胸が熱くなってくる。
そんな私の心の内を察したみたいに、ユウくんは続けた。
「それに、思ったんだ。もしかすると、これがきっかけで変われるかもって。実際、少しずつ変わっていけたって思う。藍の次に、安心して話せるようになったのは、おじさんとおばさんだよ」
「それって、私のお父さんとお母さん?」
「そう。俺の家の事情を知った人は、ほとんど決まって、みんな俺を腫れ物に触るみたいに扱っていた。だけど二人は違ってた。全部知ってて、それでも受け入れてくれた」
私も、お父さんとお母さんが、どれだけユウくんのことを気にかけていたかは知っている。
ユウくんが、毎日うちの喫茶店で夕食をとるようになった時、日替わりの特別メニューを考えていたし、喫茶店でなくうちのリビングで食べていったらって言ったこともあった。
「嬉しかった。こんなことを思うのは変かもしれないけど、藍の家にいると、まるで家族ができたみたいに思えた」
「私は、妹?」
「もちろん」
妹。それは、今までにも何度も言われてきた言葉。
それが時には切なくて、いつかその関係を変えたいって思っていた。
だけど、私はわかってなかった。
一度家族が壊れてしまったユウくんにとって、その言葉がどれだけ大きなものなのかを。
私が妹でいる事でユウくんが笑顔になってくれたのなら、今はまだ妹でも良かった。
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