#88 交渉決裂

 飛鳥さんと親父さんの話し合いは、どうなったんだろう。戻ってきてから、ろくに口を開かないので詳細がわからない。

 飛鳥さんの目が赤いし、親父さんのシャツが伸びているので、平和的な解決はしていないとだけ断言できるけど。


「旦那君、ずいぶんとセクシーなファッションになったね」


 煽るな煽るな、確かに乳首が見えそうなぐらいダルンダルンに伸びてるけども。それにしてもやけに濡れてるな。量からして、明らかに汗による濡れ方ではない。ブチ切れた飛鳥さんに水でもかけられたのだろうか。


「聞き分けのないバカな娘を持つと苦労するな」

「はっ、現代の価値観に合わせられないバカ親父を持つ方が苦労するよ」


 グチグチとお互いの悪口を言い合う二人だが、なんていうかこうして見ると、とことん親子だよなぁ。ウチの両親は放任気味だから、ある意味羨ましいよ。まあ放任のほうが、お互いに気楽でいいんだけどね。


「中岡君、コイツと交際したらキミは確実に苦労する。だから目を覚ましなさい」


 このオジさん、見た目のわりに口調は理知的なんだよな。飛鳥さんとの会話は、ガキそのものだけど。それはそれとして……。


「別に寝ぼけてるつもりはないんですけどね……」


 交際云々はさておいて、俺は正気だよ。キッチリと自分の意思で人付き合いをしていると胸を張って言えるよ。数少ない女友達だからとか、目上の人だからとか、そういうフィルターは一切介さずに飛鳥さんを評価しているつもりだ。


「本気で言ってるのかい? キミはもう少し女性を見る目をだな……」

「だぁ! さっきから何が目的なんだよ! それで誰が幸せになんだよ!」


 あっ、ついにキレた。いや、おそらく喫茶店でもキレてたんだろうけど。

 飛鳥さんが怒る気持ちもわかるんだけど、親父さんの気持ちもわかるんだよな。一人娘だし、覚悟決まってる男にしか渡せないよなぁ。うん、それはわかるんだけど、もう少し信頼というか、娘の値打ちを高く見積もってもよくない? 言い方悪いかもしれないけど、不良債権の処分みたいな心境でものを言ってない?


「そうやってすぐに感情的になるところがダメだと……」

「うるせぇな、人間なんだから感情ぐらい揺れ動くだろ」

「だからそれを表に出すなと……」

「自分の気持ちを出して何が悪いんだよ。無駄に我慢するから、いざこざが生まれるんだろ」


 ……それは難しい話だな。思ったことを我慢せず、ズケズケものを言うから話がこじれるケースも往々にあるし、我慢しすぎて爆発していざこざが生まれるってこともある。適度に気持ちを表明するのが一番理想的なんだろうけど、それができるほど器用な人間はそうそういないだろうし、ままならんなぁ。

 どっちの言い分も正しいってのが、一番丸く収まる考え方だろうか。いや、それもどうなんだろう。汎用性が高すぎて逆に……。


「だからお前は……いや、もういい。お前と話してても時間の無駄だ。中岡君を借りていくぞ」


 え? 俺ですか? 考え事してて話を聞いてなかったんですけど、どういう流れなんですか?


「待てよ親父、勝手に借りていくな」

「着いてくるかどうかは彼が決めることだ」


 ……まいったなぁ、ホント。親父さんの誘いを断るわけにもいかないけど、従ったら従ったで飛鳥さんがうるさいだろうし。


「行くなよ? 洗脳されるぞ?」


 そんなこと言うけど、俺らって話し合うために来たんだよな? 断ったら何がなんだかわからなくならん?

 この親子お互いに対する認識が、あまりにも酷すぎるだろ。飛鳥さんが親父さんのいない隙を見て帰省する理由が、よくわかったよ。


「ここでお話するわけにはいきませんか?」

「……ダメだ」


 なんでだよ、飛鳥さんが口を挟まなきゃそれでいいんだろ? 俺が説得すれば、それぐらいは……。いや、待てよ、飛鳥さんや奥さんに聞かれたくない話をするつもりなんじゃないか? だったら着いていったほうが……。


「はい、交渉決裂。帰るぞ、進次郎君」

「ちょっ」


 よほど俺と親父さんを二人きりにしたくないのか、飛鳥さんが強引に俺を連れ出そうとする。帰りたいのはヤマヤマだけど、それはまずくない?


「いいから来い、早く家を見に行くぞ」


 それはいいんだけどさ、結局日を改めるだけにならんか? だってそうだろ、話し合いの途中で逃げるわけだし、後日再度呼び出されるだけじゃん。まさか無視するつもりか? アンタ、帰る家を失うぞ? せっかく温かい家庭に生まれたのに、自ら疎遠になるつもりか?


「飛鳥、たまには旦那君の言い分も聞いてあげな」


 これ以上のワガママは看過できないと言わんばかりに、ついにママさん自ら制止する。俺の直感では、そろそろ大人しくしないと雷が落ちる。多分だけど、怒ったら親父さんより怖いだろうし。


「聞いてほしけりゃここで話せ。当事者に、内緒にしなきゃいけない話なんてないだろ? ほら、早く話せよ」


 今更だけど、親相手に口が悪いな。別に媚びへつらえとまでは言わんけども。

 いやぁ、文化の違いを感じるね。俺が親相手にこんな喋り方したら、ゲンコツとんでくるぜ? っていうかどこの家庭もそうだろ? 放任主義でも、子供が偉そうな口調で喋ってくることなんか許してくれんだろ?


「……席を外してくれ」

「だーかーらー! 私に聞かれちゃまずい話をするつもりなのか? あ?」

「そういうわけじゃないが、席を外してくれ」


 おや、なんか無限ループにハマりそうな予感がするぞ。これ一種の水掛け論だろ、どうやって収拾つければいいんだよ。情けない話だが割って入る勇気はないから、見守ることしかできねぇ。


「今すぐここで話せ。それが嫌ならもう帰る、進次郎君も連れて帰る」

「…………これだけ頼んでもダメか?」


 どうやら譲る気はないらしい。当然、これに対する飛鳥さんの答えは……。


「話が通じないらしいな、帰るぞ進次郎君」


 だよな、どっちも譲る気がない以上は、強引にでも立ち去らないと無限ループから抜け出せないもんな。これは仕方がない、どっちが悪いとかそういう話じゃないよ。

 結局親父さんは俺と何を話したかったのだろうか、なんとも言えない表情で俺達を見送ろうとしているが。


「飛鳥、またいつでも帰ってきなよ」

「ん。じゃあな」

「はいはい、進次郎君もね」

「あっ、はい」


 ようやく名前を憶えてくれたようで何よりだ。多分、次に来た時はまた慎太郎君呼びに戻ってるだろうけど。

 はぁ……。結局まともな話し合いができなかったなぁ。また近いうちに話し合いをしなきゃいけないと考えると、気が重くなってくる。今日で決着つけたかったぁ。


「飛鳥さん、やっぱり今からでもお父さんの話を」

「いらん。さっさと新居を見に行くぞ」


 こじれるなぁ。さっさと全ての爆弾解除したいのに、結局持ち越しかよ。しかも難易度で言えば、次の話し合いのほうが難しいぞ。次回の話し合いに、どうやって飛鳥さんを連れていくかってところから始まるもんな。まさか俺一人で訪問するわけにもいかんしなぁ。そもそも俺じゃアポが取れないし。


「次回の話し合いはいつ頃……」


 せめて今のうちに予定を組んでおこう。当分はこの件について話すことさえ難しいだろうし、流れを大事に……。


「次回なんてない。新居の話以外はしないでくれ、私だけワクワクしてるなんて虚しいじゃないか」


 胃が痛い……。きっと中間管理職ってこんな感じなんだろうな。俺もう、一生平社員でいいや。

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