#67 ご対面

 運動量に対して疲労が大きすぎる。おそらく精神的なものだろう。お客さんに絡まれまくったし。

 まあ、前のバイトに比べたら、こんなもの屁でもないけどさ。なんだかんだで、お客さんと会話するの楽しかったし。


「お疲れやねぇ」


 茜さんが、閉店後の客席でグロッキー状態になってる俺を労いに来てくれた。至って普通の言葉だが、前のバイトが酷すぎたせいで温もりを感じる。

 物は考えようとでも言うべきか、前の過酷なバイトもある意味では良い経験なのかもな。だとしても、あのクソ職場は絶対許さねえけどな。早く潰れてくれ。立地はそこそこ良いんだから、他の業者に譲れ。街の発展と俺の精神衛生のために、一刻も早く立ち退け。


「いえ、貴女に比べたら大したことはないですよ」


 俺も多少手伝ったとはいえ、定食屋の厨房を一人でまわせるって凄いな。しかもウザ絡みしてくる客の対応しながらだぜ?

 一応、一人で回すためにメニューを絞ったらしいけど、それでも凄いよ。素人でもわかる。


「進ちゃんがお客さんを楽しませてくれたからよぉ」


 自分で言うのもなんだが、それは確かにある。飛鳥さんと商店街の手伝いをした経験を活かして、中年を必死に喜ばせ続けたもんな。

 あれ? 俺ってホールの仕事で来たんだよな? 宮廷道化師じゃないよな? 明らかに過剰要求というか、管轄外の業務っていうか。まあ、楽しかったからゴネる気はないけど。怒らせたら怖いし。


「明後日からはお父さんとお母さんが帰ってくるし、それまでの辛抱なんよ」


 いや、俺としては明後日以降のほうが辛そうだわ。友達の親って緊張するから嫌なんだよなぁ。ほら、あるじゃん? 友達の家で遊んでたら、急に母親が帰ってきてテンション下がる的な。え、俺だけ?


「ははっ、明日もこの調子ですか……」


 俺より茜さんがダウンしそうな気がするけど、なんで平気そうなんだろ。いくら慣れてるとはいえ、わりとブラック企業寄りの労働量じゃない?


「あの、ご両親がお戻りになってからも俺を雇っていただけるので?」

「言わなかったかい? お父さんと殴り合ってでも、進ちゃんを雇用するよ」


 そんな蛮族チックなリクルートある? そこまでする人材じゃないって、俺は。

 お父さんも困惑するだろ。温泉旅行プレゼントしてくれた孝行娘が、私情の入った雇用のために殴りかかってくるって。


「反対を押し切ってまで雇っていただかなくても……。別にそこまでお金に困ってるわけじゃありませんし」


 どっちかといえば社会経験のためだもんな。実際のところ、バイト経験がどこまで本番で役に立つかはわからんけど。


「心配せんでも反対されんと思うよ。私、大学行ってないし」

「え、ああ、はい。そうですか……?」


 ええっと? 適当に返事しちゃったけど、茜さんが何を言ってるか、よくわからない件について。

 文脈繋がってなくない? まあ、親子喧嘩が起きないなら、別になんでもいいんだけどさ。


「ほんじゃ、後はお掃除だけやから、帰ってええよぉ」


 え、ホワイト企業すぎん? 普通、お掃除ってサービス残業じゃないの?


「あっ、俺も手伝い……」

「ええからええから、着替えておいで」


 ダメだ、サービス残業絶対許さないウーマンになってる。別に労基署に訴えたりせんから、存分にコキ使ってほしいんだけど。


「じゃあ……お言葉に甘えて、お先に失礼します」

「ん。飛鳥ちゃんによろしくねぇ」


 俺の家に飛鳥さんがいることは、茜さんの中で確定なんだな。まあ、実際いるんだけどさ。


「ええ……。また明日」


 下手に食い下がっても迷惑がかかるので、大人しく着替えに向かう。

 本当にいいのだろうか? 罪悪感でいたたまれない気持ちなんだけど。

 ……試されてるのか? ここは無理矢理にでも手伝いを……。

 いや、やめとこう。茜さんに嫌われたら、またベッドに引きこもって飛鳥さんに慰められてしまう。

 うん、茜さん一応年上だし、顔を立てておこう。




 翌日の仕事も問題なくこなすことができた。簡単な仕事しか与えられていないというのもあるが、二日連続でミスなく仕事をこなせたことで少しばかり自信がついた。

 へし折られた時のダメージを考慮して、あまり自信過剰にならないように気をつけようか。……っていう考えが、まさに下の下ってヤツなんだろうな。なんでこんな情けない男に好意を寄せてくれるんだろうか、彼女達は。

 それはさておき、今日は三日目。俺にとって運命の日だ。

 出勤するのが怖い。いや、怖いってのは言いすぎか。ちょっと緊張するな。


「し、失礼します」


 人生初の風俗かってぐらい、おそるおそると入店する。すると、優しそうなオジさんが出迎えてくれた。おそらく茜さんのお父上だろう。


「おや? キミは……」

「は、はい。中岡進次郎と申します。茜さんには平素よりお世話になっております」


 ふう……。なんとか噛まずに挨拶できたぞ。

 ……嚙んでないよな? 頭が真っ白なんだけど。


「キミが例の進ちゃんか。中々誠実そ……ぎゃっ!?」

「っ!?」


 茜さんの父上と思われる男性が、横から何者かに突き飛ばされる。


「あらあらぁ。アナタが茜ちゃんのボーイなんとかフレンドさん?」


 ボーイとフレンドの間に入る言葉なんてないと思うんだが、まあそれは置いておこう。この人はきっと、茜さんの母親だろう。

 イメージ通りおっとりしてらっしゃる。夫に悪質タックルかますってのは解釈違いだけど、まあ誤差よ誤差。

 ……待って? 茜さんって二十二歳ぐらいだよな? 確か俺の一個上のはず……。


「あ、あの……。茜さんのお姉さんですか?」

「あら? あらあらあら」


 いたっ……! 照れ隠しに叩かないでくれ。わりと本気で痛いから。


「お上手やねぇ」

「いえ……お母様にしては随分お若いと……」

「あらやだ、もう。お父さん、今の聞いた? ピチピチギャルですって」


 ……うん、母親確定だわ。今の二十代はピチピチギャルなんて単語使わないもん。

 あと、聞こえてないと思いますよ? 床で膝打って悶絶してるもん。


「進ちゃん、今度デートでもどう?」

「は、はは。俺……私なんかにはもったいないですよ」


 おっとり美人だけど、結構ハッチャけてるな。まさに茜さんの母親って感じだわ。

 こういうタイプの人って、どう対応すればいいのか。お父さんに肩を貸してあげた方がいいのか。色々と悩んでいたら、茜さんが会話に割り込んできた。


「ウチのメニューに親子丼はあらへんよ?」

「あっ……おはようございます」


 中々やかましい発言をスルーして挨拶する。深堀しても良いことなんて一つもないだろうし。


「さあさ、今日から仕込みを教えてあげるよぉ」

「えっ……俺が?」


 仕込みって料理だよな? そんなの素人がやっていいのか?

 第一、色々と大丈夫なん? 調理に携わる人って検便とかしなきゃいけないんじゃないの? 昔どっかの国で、家政婦だか料理人だかが腸チフスのキャリアになって、数千人が感染したとかなんとか。まあ、現代日本の衛生環境なら大丈夫だと思うが、それでも……。

 いや、それよりもだな。


「あ、あの? なんか強引ですね?」


 なんか思いっきり引っ張られてるんだけど、どうした? 別に抵抗する気ないし、ついて来いって言われりゃついてくよ?


「……」

「茜さん?」

「さあ、しっかり手を洗いましょうねぇ」

「え、ああ、はい」


 いや、まだ着替えてすらないんだけど。あと、早くお父さんを助けてあげて?


「俺まだ私服なんですけど……」

「ああ、ごめんねぇ。着替えておいで」


 何を焦ってんだ? まさかとは思うけど、俺とお母さんが良い雰囲気にならないように引き離したのか? はは、まさかね。


「着替えたらすぐに来てねぇ。すぐに。お喋りせずにすぐ」


 ……まさかだったわ。嘘だろ? 歳の差ダブルスコアぐらいあるぞ? さすがに手なんか出さんって。いや、そもそも人妻だろ。

 ……まあ、何も知らない状況であの人に逆ナンされたら、ホイホイついて行っちまうかもしれんけど。


「進ちゃん」

「あ、はい」


 着替えに行こうとする俺を茜さんが呼び止める。なんだろうか? わざわざ釘なんか刺さなくても、お母様にちょっかいかけるつもりはないんだけど。


「私のほうがお母さんより若いんよ?」

「……存じ上げております」

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