#66 田舎の温かみ
とうとう開店か、緊張してきたぞ。
こんな三十分足らずの座学だけで現場に立つなんて、正気じゃねえだろ。いや、バイトってそんなもんかも。前のバイトなんて、しょっぱなから皿洗いだもんな。
「ウチは常連さんしか来ないから、心配いらんよぉ」
露骨に緊張しすぎていたらしく、茜さんが優しくほぐしにきた。温かいな、前のバイトと違って。前のバイトだったら怒声が飛んできてたぞ。
「そういや、制服姿の茜さんって初めて見ますよね」
考えてみれば、客として遊びに来たことないんだよな。
友達の実家が飲食店だったら、わりと頻繁に通うのが普通な気がするんだけど。
「んー、そうやねぇ」
「新鮮っていうか、可愛いですね」
「もー、すぐそういうこと言うんやからぁ」
こういうところが可愛いんだよな。褒められ慣れてない感とでも言うべきか。
あんまり褒めすぎると、茜さんが仕事できなくなるかもしれないし、程々にしとこうか。本当ならもっと褒め殺しして、反応を見たいんだけど。
「ところでお客様って何時ぐらいに来るんですか? まだお昼には早い時間ですが」
「……」
え、なんで無視? 俺そんなにヤバい質問した?
「前のバイトでは朝から晩まで、ひっきりなしに客が来てたんですけど」
「……」
マジで何? 仕事中だから集中してるの? ただ突っ立ってるだけに見えるけど。
俺も黙ったほうがいいのかな? でも客がいない時ぐらいは会話したいよ。
「一応、接客したことはあるんですよ。飛鳥さんと商店街のお手伝いした時、大体接客の仕事でしたから」
「…………」
「良い人ばっかってのもありますけど、あの時は案外できたんですよ」
見知らぬ人と喋れることに我ながら驚いた記憶がある。コミュ症ではあるけど、生きてく分には問題ないレベルなんだなって。
もっとも、この人達と出会わなければ、女性と関わらずに生涯を終えるレベルのコミュ症に違いはないんだが。
「……」
「バイト代さえ出してくれるならもう一度手伝うんですけどねぇ」
あんまり言いたくないけど、さすがに違法じゃね? 俺の同意の上だからセーフなんかね? それ言い出したら何でもありな気がするんだけど。
「……」
怖いんだけど? さっきまで赤面しながらクネクネしてたのに、今は冷たい程の真顔で突っ立ってるんだよ。街中でこういう人見たら『綺麗だなぁ』って思うかもしれんけど、いつもの穏やかさを知ってる身としては怖い。
「あの、茜さん? 怒ってます?」
「……」
沈黙を肯定と見ていいのだろうか。
「俺も黙ったほうがいいですか?」
「……」
「仕事モードだから無言なんですか? カッコいいですね」
あっ、ちょっと嫌味っぽくなったか? 別にそういうつもりは……。
「カッコいいってのも嬉しい言葉なんやけど、ちょっと違うねぇ」
「っ!」
あ、返してくれた。返事してくれたよ。でも……何? 何を求めてるの?
もしかして……。
「クールな感じで……綺麗ですね」
「もぉ、進ちゃんったらぁ」
あ、そういうことね。褒めてほしかったのね。
そうかそうか、急に褒めるのやめたから不機嫌になったのね。うん……その……子供か! お前は!
「なんていうか……看板娘って、アナタのような人を指すんでしょうね」
「もぉー! そんな歳じゃないんよぉ!」
俺にはわかるよ。これって『もっと! もっとそういうのちょうだい!』ってことだろ? え、もしかして一日中褒め続けなきゃいけないの?
「茜さん目当てで通う客も多そうですね」
「ないない、それはないんよ」
「ありますって。男子高校生とか多くないですか?」
「んー……確かに部活帰りの子達がようけぇ来るけど、お腹空いとるだけよ」
いやぁ、それはないでしょ。お腹空いてるのは間違いないけど、高校生の部活帰りなんて、牛丼とかハンバーガーでしょ。定食屋なんて頻繁に来ないって。
そりゃアレよ? ご飯とかカレーのおかわり自由なタイプの定食屋だったら、高校生に人気出ると思うよ? でもここって、サラリーマン向けの定食屋じゃん?
「俺だったら茜さん目当てで通いますけどねぇ」
「褒めてもなんもでんよ?」
「じゃあ褒めないです」
「むー……意地悪」
か、可愛い……。そうなんだよ、この人って案外お茶目なんだよ。
いきなりお姫様抱っこ要求してきたり、キャンプ場でプロレス始めたり、色々と子供っぽいところあるんだよ。
この人に限らんけど、なんでこの人らって彼氏いないんだろ。他の三人は色々問題あるからわからんでもないけど、茜さんと風夏さんは普通彼氏できるじゃん。在学中絶対告白されるじゃん。この町って草食系ばっかなん?
「あっ、車の音しましたよ。お客さんですかね?」
「そうやねぇ。さっ、気合い入れていきましょう!」
あの、飲食店なんで、尻叩くのやめてください。アナタ、料理人ですよね? 衛生観念よ。
ヤバい、めっちゃ楽しい。接客業めっちゃ楽しい。
気の良い人ばっかりだし、茜さんも滅茶苦茶優しいし可愛い。こんな幸せなバイトあるか? 怒鳴り声とか一切聞こえてこないんだけど。
おかしいな、俺が知ってるバイトでは、暴力沙汰が日常茶飯事だぞ?
それにしても……。
「新入り君、キミは茜ちゃんの彼氏かい?」
「あはは、お友達ですよ」
「そっかそっか、お友達かぁ」
やけに多いな、この手の会話が。
バイトを雇うことがなかったから物珍しいのはわかるんだけど、なんで男イコール彼氏って発想になるんだろうね? 田舎ってそういうもんなの? 商店街でも似たようなことが……ああ、いや、アレは商店街ぐるみの罠か。
まあ、悪い気はしないんだけど……。
「進ちゃん、お皿洗いお願いねぇ」
「はいっ! ただいまぁ!」
ホールと皿洗い兼任って中々忙しないな。まあ、ホールと言っても大したことしないんだけどさ。
どっちかと言えば、一人で料理作ってる茜さんの方がしんどいはずだ。牛丼屋みたいに作り置きしたものを盛り付けるだけならまだしも、よく定食屋で厨房をワンオペできるな。
「シンクに張ってる水が綺麗すぎる……」
皿の量とか取り扱ってる料理の問題もあるんだろうけど、衛生面が段違いだな。
ササっと磨いて食洗器にかけるだけだから、楽でいいや。野菜の補充とかもやらなくていいし。
「茜ちゃん、親父さん達はどうしたん?」
「温泉旅行に行っとるよぉ」
「へぇ! いいなぁ」
雑談する余裕があるって凄いな。料理中に会話とか、俺だったらケガするよ。ソーセージ一本増えちまうよ。
「彼氏君とはどこで出会ったの?」
「えへへ、内緒ぉ」
いや、否定してよ。彼氏ってところ否定してよ。
否定されたらそれはそれで悲しいんだけど、否定してよ。
「茜さん、お客さん増えてきたけど大丈夫ですか?」
「んー、ちょっと待ち時間増えちゃうねぇ」
そうだよな、それは非常にまずいよな。飲食店で三十分待ちとか、キャンセルされても文句言えんし。
「この小鉢、あそこのテーブルにサービスで持っていったげて」
「え、ああ、はい」
なるほど、地元民相手の個人経営店だからこそできるテクニックだな。
「茜ちゃん、料理どんぐらいかかる?」
「んー、三十分くらいかかるかもねぇ」
「そっ、じゃあビールと適当なツマミちょうだい。いくらでも待つよ」
すげぇな、温かすぎるぞ。普通の飲食店じゃ絶対にありえない光景だぞ。
ご両親が不在ってのを考慮して、客も気長に待つスタイルなんだな。失礼な言い方かもしれんが、暇そうで羨ましい限りだ。
「彼氏君、彼氏君。ちょっとちょっと」
微笑ましい気持ちで茜さんと客のやり取りを眺めていたら、オバ……マダムに呼びかけられた。テーブル片づけたいから後にしてほしいんだが、そういうわけにもいかないのが辛いところ。
「は、はいっ! なんでしょうか?」
「茜ちゃんと結婚するなら早いほうがいいわよ」
「け、結婚? 早いほうがいい?」
「あの子は、すぐにオバちゃん化するタイプよ。早いうちに新婚気分味わっておかないと損するわ」
あー……ちょっとわかる気がせんでもない。現時点でお婆ちゃんだから、オバちゃん化って若返りな気もするけど。
「聞こえとるよー?」
「あーら、ごめんなさい」
「ええんよええんよ、もっと言ったげてね」
あの、客を利用して迫ろうとしないでください。
ホント、この人らって好意を隠さんよなぁ。俺は友達であり続けたいんだけど。
「おい、坊主」
「あっ、はいっ! ご注文でしょうか?」
「俺は若い頃レスリング部のキャプテンを務めていた」
「……え?」
何この人? 急にマウント取ってきたんだけど?
昔は悪だった自慢の亜種か? どう対処すればいいんだろう。
「茜ちゃんを泣かせたら……わかるな?」
わぁ、凄い力こぶ。おっさんとは思えない筋肉だ。
俺別に茜さんとそういう関係じゃないんだけど、なんでマットに沈めるって宣言されなきゃいけないの?
「茜ちゃん、ああいう男は押しに弱いよ」
「既成事実よ、既成事実を作ってやりなさい」
なんやこの夫婦、余計なことを言わないでくれよ。
あんまりとやかく言いたくないけど、こういう会話ばっかしてると、新規の客が入りづらくなるぞ?
あかん、ちょっと気疲れが……でもまぁ、良い職場だよね。
「彼氏君、ビールのツマミにのろけ話一丁!」
「よっ! 待ってました!」
「皆さーん! ちゅうもーく! 茜ちゃんと彼氏君の馴れ初めが聞けるぞー!」
やっぱダメな職場かも。
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