#63 限界一歩踏み込み
バイトが辛すぎる。ひたすら辛い、しんどい、帰りたい。
時計を確認したところ、まだ一時間も経ってなくて愕然とした。嘘だろ、おい。体感としては、三時間ぐらい働いた気分なんだけど。
大学で疲れてんのに、なんでこんなブラックバイトをせにゃならんのだ。ちゃんと精査すればよかったな。
「おい! ギョーザの皿足りてねぇぞ!」
うるせぇな……びっくりするからデカい声出すなよ。多忙すぎる皿洗いでテンパってるのに、なんで皿を持っていかなきゃいけないんだよ。手が空いてるヤツが取りに来いよ。空いてるヤツがいない? それは明らかに人件費ケチりすぎだよ。
「あっ、えっと、あっ、すみません」
「ハッキリ喋れや!」
「すみません! すぐ持っていきます!」
なんでいちいち怒鳴るんだろう。そんなことしても作業効率が下がるだけだと思うんですけど。
第一、上から物を言われる筋合いないんだけど? クソッ、なんであんな明らかに頭が悪そうなヤツに……ああ、いかんいかん、そういう考え方は……。
「もやし足りねえぞ! 何してんだ!」
「すみませぇん!」
ざっけんなよ。あれもこれもできるかっての。皿洗いだぞ? ただでさえ作業追いついてないのに、別の作業やらせすぎだろ。
帰りたい……ブッチしたい……一時間も経ってないのに手がふやけてるし……。
やっと終わった……。たった三時間なのに、半日ぐらい働いた気分だ。昔、飛鳥さんと一緒にやった書店の手伝いも結構疲れたけど、それの比じゃねえわ。
「お疲れ様でした……」
作業場の熱気と冷凍庫の冷気、肉体と精神の疲労、ありとあらゆるダメージをひっさげて裏口から出ようとしたその時。
「おい! 挨拶ぐらいしてから帰れ!」
「え……? 今、お疲れ様って……」
「ああ!?」
本当になんなんだよ、こいつは。お前の耳が悪いだけだろ、キレんなって。
「……お疲れ様でしたぁ!」
本当に人をイラつかせるのが上手い連中だ。最後の最後まで、人の精神を蝕みやがってよ。
ああ、キレそう。今キレたら、多分涙も一緒に出るわ。
本当に惨めだ……明日は朝からフルタイムだけど、行きたくねぇ……。
あっ、夜空が綺麗……風が気持ち良い……。
疲労が凄いのに、あまり眠れなかった。
仕事で受けた苦痛、屈辱、罵詈雑言が頭にこびりついて眠れなかった。なんで勤務時間外でも、仕事に精神をやられなきゃいけないんだ。
翌日のフルタイム出勤が嫌すぎるってのも大きい。またあのクソ共に怒鳴られるって考えただけで、気が重くなってくる。たった一時間で死にそうになったのに、八時間も働くの? そんだけ働いても八千円いかないんだぜ? 休憩も三十分ないのに、一時間取ったことにされるし……そもそも業務開始の三十分前から無給でゴミ拾いや掃除しなきゃいけないんだぜ? ブラックすぎる……行きたくない……。
「進次郎君? そろそろ起きないと遅刻するぜ?」
優しいな、飛鳥さんは。本来なら寝てる時間なのに、俺に合わせて早起きしてるんだから。
でも……行きたくないし、そもそも起きたくない。
「飛鳥さん……」
「んー?」
「……俺ってやっぱりクズですよ」
「何を言って…………どうした? 男の子が涙なんか流しちゃって」
え……? 俺いつの間に泣いて……。
「ほら、ティッシュ」
「ありがとうございます……」
情けないにも程がある。二十歳を超えた男が、たかだかバイトで泣くなんて。
それも女性の前でだぞ? ダメだ、情けなさでさらに涙が。
「ほら、ゴミ箱」
優しい……好きになりそう……いや、元々好きなんだけどさ。
「辛いなら今日は休みな?」
ダメだ、やめてくれ。そういう甘い言葉を囁かれると、俺みたいなクズはすぐに甘えちまうんだ。たとえブラックバイトでも、こんな簡単に投げ出しちゃいけない。これからの人生に悪いものを残す気がする。
「でも、そんなことしたら他のバイトに迷惑が……」
「店長とか店じゃなくて、バイト仲間のこと気にしてんだろ? その時点で行く価値なんてないさ」
それはそうかもしれない。俺の中にあるのは、同じ待遇で働いてるブラックバイト仲間に対する申し訳なさのみだ。
でも、なおさら休むわけには……。
「キミさ、昨日帰ってきた時点で辛そうだったぜ? 肉体も結構な疲労だけど、精神的にはその倍以上疲れてるって感じ」
なんて的確な推察だ。本当に人を良く見てるな。
そうとも、肉体だけの疲労ならまだ頑張れる。だけど、社員達からの怒声を想像しただけで……。
逃げたい、ギャン泣きしたい、キレ散らかしたい。
でもせめて今週は頑張らないと……まだ限界はきてないはずだ……。
「お、おい? 行くのか?」
「ええ、今から準備すれば間に合いますから」
「……そうか」
本音を言えば甘えたい。飛鳥さんに泣きついて、例の商店街の筋肉集団をけしかけてもらいたい。でもそんなことしたら人として終わっちまう。
吐きそうだけど、行くか……。
始業の三十五分前に到着したが、なぜか怒られた。
遅くても四十五分前から着替えを始めるのが常識だってよ。けっ、死体に鞭を打つ思いで出勤したらこれだよ。この仕打ちだよ。
「ボーっとすんな! 仕事探せ! 人件費考えろ!」
「すみません!」
殺してぇ……何が人件費だよ、まだ始業前だぞ。
なんでよりによってこんなバイトを選んじまったんだ……給料も低いし、家から近いってわけでもないのに。
辛い……なんで皿洗いのバイトなのに、始業前からトイレ掃除しなきゃいけないんだよ。なんで従業員がポイ捨てしたタバコを拾わなきゃいけないんだ?
惨め……ああ、惨め。
パートのオバちゃんもいびってくるし……ホール担当の女子高生達も俺の陰口言ってるし……泣きそう。
「今日からチャーハンの仕込みもやってもらうからな。しっかり覚えろよ」
え……まだ仕事増えるんですか? 現時点でいっぱいいっぱいなのに……。
なんとか倒れずにやりとげたが、今日も散々だった。
辞めたいと言い出すこともできなかった。俺はいつまでこのバイトを続ければいいんだ? 一応二ヶ月更新らしいけど……辞めるとしたらそこか……?
いや、もたねぇって……二ヶ月ももたねぇよ。そもそもの話、二ヶ月で本当に辞めれるのか? 自動更新されるんじゃないか?
バイトするにあたって親にサイン書いてもらったし、仕方ないとはいえ実家の連絡先も渡してしまった。バックれたら親に連絡がいくよなぁ……。
帰るのもしんどい……コンビニ寄ってビールでも飲むか……ご褒美ご褒美……。
「……いっ!」
ん……うるせぇな……。
…………ねむっ……。
「しっかりしろ!」
「んあ!?」
な、なんだ? せっかく人が気持ちよく寝てたのに、急に体揺さぶりやがって。
……寝てた?
「おー、起きたかぁ! 死んだかと思って心配したぞ!」
……飛鳥さん?
……? どういう状況だ? ってか……。
「あれ? ここは?」
「しっかりしてくれよ。こんなとこで寝てたら、財布とか取られちまうぞ」
……マジ? こんな薄汚い歩道で寝てたの? ビールのロング缶をたった三本かそこら飲んだだけで? うう……体がいてぇ……。
あっ、財布財布……あった……よかったぁ……。
「あっ! バイト!」
まずい! 寝過ごしたか!?
やばい、心臓が痛い。汗も凄い。
「いや、終わったばっかだろ。空見ろ、空」
「え?」
……暗っ! 今何時だ? えっとバイト終わったのが十九時……いや、残業あったから二十二時か……。
「まだ日付が変わる直前だよ。全然帰ってこないし、電話にも出ないから様子見に来たら、キミが道端で寝てたんだよ」
あっ、ホントだ。二十三時五十分、不在着信五件、全部飛鳥さんだ。メッセージも着てるな。
「進次郎君、さすがにもう辞めちまえよ」
「で、でも……急に辞めたら迷惑が……」
「バイトに無給で早出させる店に迷惑もクソもないだろ」
いや、それはそうなんだけど……やっぱ俺は労働者側だし、雇用者とは立場が違いすぎるっていうか……。
訴えられたら俺が負けるんじゃ? だって、仕事は早めに始めるのが鉄則だし。
「私がナシつけてやるよ。紐槻町でのトラブルは、私のツテでなんとかならぁ」
何者なんだよ……頼もしすぎる……。
でも……こういうのって良くないような……。
「飛鳥さん、ありがとうございます」
「おっ、任せてくれるか? よし、明日の朝一にでも……」
行動力の化身……!
「いえ、自分でなんとかしてみます。もしもの時はお願いします」
甘えたい、お言葉に。
わかってるんだよ、俺には何もできないし、明らかなブラック企業に筋を通す義理なんかないってことは。
でも普通の人ってこういうツテないじゃん? 泣き寝入りじゃん? たまたま権力者と仲が良いってだけで、俺だけ救われるのは違うっていうか……。
「……わかったよ、キミの意思を尊重する」
「すみません、せっかくのご厚意を……」
「いいんだ、キミのそういうところが好きなんだし」
毎度のことだが、ここまでストレートに好意を向けられるのは照れ臭いな。
よし! こんな良い人が好いてくれてるんだし、頑張ろう! やりとげよう!
「でもな、もしキミにもしものことがあったら……過労で倒れたりとか、うつ病になった日にゃあ……地図アプリに更新が入るぜ?」
……………………頼もしいな! よし、頑張ろう!
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