#33 面倒な問答

 ご満足いただけたようで、人間椅子という名の懲役が終わる。

 影山さんほど気持ち良くはなかったが、それでも名残惜しい。マゾではないが座ったままでいてほしい。だが、それを口にする勇気はない。

 飛鳥さんは喜ぶだろうけど、影山さんに縁を切られそうで怖い。深い仲というわけでもないが、それでも縁を切られるのだけは嫌だ。縁と同時に手首を切ることになりかねない。


「えっと、もういい?」


 アラサーを気遣って無言を貫いていた影山さんが、話を再開したそうにしている。むしろよく待ってくれたな。

 冷静に考えてみると中々シュールな光景だよ。人間椅子プレイを無言で見つめる女子大生って。


「どうぞ」

「急に腕を掴まれた件だけど……」

「すみませんでした!」


 俺が最も気にしていた話に入り、反射的に謝罪してしまう。未智さんのせいで、近くの住人にマークされているから、あまり大きな声を出してはいけないのだが、こればかりは仕方ない。


「な、なんで謝るのよ」

「だって……俺は酷いことを……」

「はぁ?」


 あれ? なんか噛み合わないぞ?

 謝罪を要求しているわけではないのか?


「私のためにやったんでしょ?」

「そ、それはもちろん……」

「何を謝ることがあるのよ」


 何をって……。謝る要素しかないと思うんだが……。


「だって、帰ったじゃないですか。怒りながら」

「怒ってない怒ってない」


 手を高速で横に振って否定する影山さん。

 嘘をついている様子はないが、どうもおかしい。だって……。


「『触るな』とか『ついてくんな』とか、色々言ってたじゃないですか」

「あれは……その……」


 なんだ? 急にモジモジしだしたぞ。

 どこに恥ずかしがる要素があるのかわからないが、嫌っているわけでもなければ、怒っているわけでもなさそうだ。それだけでも、わだかまりが氷解していくような感覚がする。


「ほら、その……アンタ、私のために頑張ってくれてたじゃん。心配だからって、早起きして、全力でついてきて……」

「え、ええ」


 頑張りましたとも、ええ。立ち止まったら逆に嘔吐するんじゃないかってぐらい、全力で走りましたとも。

 それと突き放すような言動が結びつかないんだが……。むしろ、真逆というか。


「その……嬉しかった……」


 それは何よりだ。何よりなのだが……。

 何が言いたいのか、さっぱり見えてこない。俺にとって不都合なことではなさそうだが、まったくもってわからん。

 俺にわかるのは、今日の影山さんが妙に可愛いというぐらいだ。元々可愛いけど、デレ補正のようなバフが付与されている気がする。


「悔しいけど……少しだけ……小指の爪の甘皮程度なんだけど……」


 えらくもったいぶるな。そんなに言いづらいことなのか?


「本当に少しだけ、肉眼では見えないレベルなんだけど……」


 どれだけ少量アピールするんだよ、さすがにくどいわ。


「勘違いしてほしくないんだけど、本当に誤差のレベルで……」


 勘違いの素をくれよ、いいから。

 待てど暮らせど情報量が一つも増えてないんだよ、さっきから。

 え? これツッコミ待ち? ツッコミ入れるまで永久に比喩表現が続くパターン?


「美羽、くどい」

「え……」


 『え……』じゃないよ、当然のツッコミだよ。だいぶ待ってくれたほうだよ。


「要するにアレだろ? カッコよく見えたって言いたいんだろ?」


 的外れもいいところだろ、面倒だからって適当に締めようとしないでくれ。


「ちがっ……! わないですけど……」


 外れてないのかよ! ど真ん中かよ! ダブルブルかよ!

 どこがカッコよかったのか、いまいちわからない。だが、言い淀んでた理由はよくわかったよ。

 万が一にも勘違いされたくなかったんだよな、好意を持っていると。

 わかるよ、男ってすぐに勘違いするもんな。だからぶりっ子一人のためにサークル崩壊すんだよ。

 よし、ここは俺から動いて安心させてあげよう。


「はは、心配しなくても勘違いなんてしませんよ。俺なんかに興味ないことぐらいわかってますって」

「……」


 あれ? 俺、なんか間違えましたか?

 飛鳥さんが、この一ヶ月で一番のジト目を向けてきてるんだけど。

 なんだろこの、クレーマーを見つめる第三者みたいな冷めた目は。


「えっと……? 俺も別に興味ないですし、気にしなくても……」

「は?」

「すんません!?」


 補足したつもりがどういうわけか反感を買ったらしく、低音ボイスで凄まれて謝罪してしまう。情けない男だと笑ってくれ。謝罪一つで命が助かるなら、泥の上でも土下座できる男なんだ。


「興味ないってなに? あんだけ口説いといて」


 もう飽きたよ、この展開。

 アンタらの口説き判定おかしいよ、前々から思ってたけど。


「いえ、そういうわけでは……」

「どういうわけよ」

「俺に好意持たれるの嫌だろうなぁって……はい、興味ないは語弊がありますね、失礼でした」


 そうだよな、失言だったよな。興味ないってのは失礼だよな。

 いかんいかん、表現一つで傷つく人もいるんだから気を付けないと。


「誰が嫌なんて言ったのよ。決めつけないでもらえる?」


 どこに怒っとんねん。

 怒りたいだけじゃないのか、もはや。


「人の下着を見といて興味ないとか、ありえないんだけど?」


 いつの話だよ、まだ引きずってんのかよ。

 元凶は茜さんだけど、悶絶しておっぴろげにしたの貴女でしょう。どっちにしろ、俺に非はないじゃないですか。


「ですから、興味ないってのは言葉の綾で……」

「本当に興味ないから、そういう言葉が出たんでしょ? あんだけ褒め殺ししといてさぁ」


 め……めん……。

 ダメだダメだ、心の中とはいえ、言っちゃダメだ。面倒くさい女だなんて。


「興味あります……はい」

「あるのか? 私以外の女に……」


 頼むからもう帰ってくれよ、この人。アンタには遠慮なく言わせてもらう。面倒くさいんだよ、飛鳥さんは。

 どこ行ったんだよ、頼れる年上のお姉さんだった飛鳥さんは。寝てる間に偽物とすり替わっただろ、絶対。いや、こっちが本物で、俺を包み込んでくれたほうが偽物なんだ。


「なんだったのよ、さっき頭を撫でてきたのは」


 本当になんだったんだろうな。

 中途半端に寝たせいで寝ぼけてたんだろうか。判断力の低下が著しすぎる。


「そうだぞ、私以外を撫でていいなんて誰が言った? 私がいつ許可を出した?」


 なんでアンタに申請しなきゃいけないんだよ。どの立ち位置なんだよ。


「寝起きだったんで……」

「アンタは寝起きに女の子を撫でるの?」

「夢だと思ったんですよ」

「女の子を撫でるのが夢? 最低ね」


 勝手に聞き間違えしといて最低呼ばわりはどうなんだ。

 なんだよ、女の子を撫でるのが夢って。ピュアすぎるだろ。力の制御ができなくて人と触れ合えない怪物が抱く夢だろ、それ。

 ダメだ、全てが面倒に思えてきた。

 五人とも面倒なんだよ、会話が。


「イタズラじゃなくて、本当だったみたいね」

「……?」


 よくわからないことを言いながら、一枚の紙を俺の前に差し出す。

 えっと……『出ていけ! 女の敵!』だって? ああ、これね。


「玄関のドアに貼ってたんだけど、アンタ何やったのよ」

「やってません……やられたんです……」

「誰に? 何を?」

「未智さんに。虚偽のSOSを」

「は?」

「なんだそれ?」


 二人から、真っ当なリアクションをもらう。

 でも聞いてくれ、俺も真っ当な説明を全うしたんだ。俺は百パーセント被害者なんだよ。張り紙も含めて被害者なんだよ。

 あまり話したくはなかったが、断腸の思いであの時のことを話した。

 未智さんの小説や、茜さんとのデート実験などは上手く隠して、未智さんがワガママを通すために暴れたという方向性で説明をした。

 アパートで肩身が狭くなったことに対しては同情してくれたものの、小柄な未智さんを押さえ込めなかったどころか、逆に蹴りでダウンさせられたことをこれでもかというほどバカにされた。

 なんでだよ、バカにするようなことじゃないだろ。むしろ殴らなかったことを褒めてくれよ。

 俺の情けなさについてのトークに花を咲かせる二人。俺は恥辱に震えながら、静聴することしかできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る