#28 知らなければ同行せずにすんだのに

 底辺ってのもあるけど、正直なところ大学をなめていた。

 俺は本格的なレポートを書いているわけでもなければ、本気で何かを学ぼうとしているわけでもない。

 たまに短期バイトをする程度の俺にとっては、大学生生活なんて社会人になる前の安らぎにすぎなかった。

 不謹慎な表現をすれば、死刑前に豪華な食事が出るのと同じようなもの。まあ、現代日本では残ってない風習だと思うけど。

 思えばネカマも暇を持て余した結果なんだろうな。社会人がどれほど忙しいかは知らないけど、ネカマなんざやらんだろうし、そもそもネトゲに莫大な時間を費やさないと思う。

 そんな、大学をイージーモードと捉えていた俺だが、最近は大学に行くのが辛い。


「また呼び出しか……」


 そう、あの五人組から頻繁にお誘いがあるので、暇がほとんどないのだ。最近は、大学に行くか、彼女達に振り回されるか、ネカマの償いとしてギルドメンバーの手伝いをするか。大体この三択だよ、休ませろ。

 全員女性で、なおかつ全員美形。二次元でしか起こりえない奇跡的な状況だが、それでも辛いものは辛い。打ち解けてきたとはいえ、男友達と違って気を遣わなきゃいけないし。

 第三者視点で見れば贅沢な悩みだろう。だけどな、揃いも揃って面倒な性格だし、距離感おかしいし、アウトドア派だし、しんどいよ。ネトゲで知り合ったんだから、各々の自宅で通話しながらゲームとかでいいじゃん。


「なんか思い悩んでるね。話してみろ」

「色々ありますけど、そのうちの一つは当然のような貴女がいることですね」


 肩に腕をまわして絡みついてくる飛鳥さんを振りほどき、俺の自由を奪う忌々しいスマホと睨めっこを続ける。

 高校の頃、教師が『携帯ってのは便利だよな。これのせいで奥さんほっといて夜遊びできなくなったから、俺は困ってるんだけどな』なんてくだらないジョークを言ってたが、今にして思えば切実な悩みだったんだな。


「なんだよ、いちゃ悪いか」


 文句を垂れながら、アリキックの出来損ないのようなものを放ってくるが、構えば構うほど増長するので無視する。そこまで痛くないし。


「早朝ジョギングかぁ……明日は大学あんのに」


 メッセージの送り主は、最も交友が薄い影山さん。前回に引き続き、頭おかしい時間帯のジョギングに付き合えという旨のメッセージだ。俺が承諾する前提という意味では、赤紙に近いかもしれない。

 大学は午後だが、それでも早朝ジョギングは辛い。午前四時は、親しくない人を呼びつける時間じゃないと思う。親しくても軽く説教入ると思う。


「美羽からか? よし、私も行くぞ」


 蹴りの威力を徐々に強めながら、参戦の意を表明してくるが無視。頼むからついてこないでほしい。ジョギングの後に俺の家でシャワーを浴びて、俺の下着一式を拝借するのが目に見えてるから。


「美羽は男に容赦がないからな。私がいないと進次郎君がDVをうける恐れがある」


 俺ってタイマンで女性に負けるほど弱いって思われてんのかな。そりゃ強くはないけどさ。


「D要素ないでしょう」


 いかんいかん、思わずツッコミを入れてしまった。帰宅の意思を見せるまでシカトする予定だったのに。


「まあ、そうだな。私以外はDになれないからな。いつDする?」

「結婚することをDって呼ぶ人いるんですね」


 適当に流しながら、どう返信するか考える。今のところ他の四人の誘いを断ってないのに、断れんよな。日時をずらしてもらうぐらいはできるか?


「飛鳥さんって都合悪い日あります?」

「キミのためなら毎日あけられるよ。だからいつでもデートに誘ってくれ」

「勿体ないお言葉です。誘いませんけど」


 薄々疑問に感じてたんだけど、仕事とかどうしてんだろ。下手に触れないほうがいいのかな。

 飛鳥さんが来れない日に、ジョギングの予定をずらしてもらおうと思ったんだが、ダメみたいだな。

 じゃあせめて土日にずらしてもらうか。できれば時間帯もずらしてほしいけど。


『土日じゃダメですか? できれば朝九時くらいで』

『は? 明日来てくれないの?』


 返信早いな、絶対に待機してただろ。

 っていうか、これだけ譲歩してもダメなん? ジョギングなんて、来てくれるだけありがたくない? 男友達の誘いだったらスタンプ一つでお断りいれてるよ。


『大学に行かなきゃいけないんです』

『あっそ。もういい、一人で行くから』


 メッセージなのに、冷たい声が聞こえたような気がする。

 え、俺が悪いん? 嫌われるのは嫌だけど、さすがにこれは腹が立つ。


「どしたん? 進次郎君」


 俺が不機嫌になったことに目敏く気付き、顔を覗き込んでくる。最近ろくでもないところしか見てないから忘れそうになってたけど、そういやこの人って姉御肌なんだよな。


「いえ、日にちをずらそうとしたら怒られまして」

「へぇ、美羽にしては珍しいな」

「……珍しいとは?」

「美羽って結構、気を遣うタイプなんだよ。これくらいで怒るような性格じゃないんだけどな」


 そうなのか? むしろ一番うるさそうな気がするのだが。


「進次郎君のことだから自分から謝ろうと思ってるだろうけど、ほっといていいよ」


 短い付き合いだってのに、この人は俺のことよくわかってるな。尾を引いても嫌だから、不服な気持ちを押し殺して頭を下げようと思ってたよ。

 それよりも『ほっといていい』ってのが意外だな。


「大丈夫なんですかね?」

「いいよ、いいよ。早朝からの運動なんて危険だし、付き合って貰えるだけ感謝するのがスジってもんだよ」

「危険……ですか?」


 早朝ランニングについてさほど関心はなかったが、危険と聞かされては調べざるをえない。

 スマホで『早朝ジョギング』と検索してみると、検索候補に『危険』という文字が出てきた。候補に出るってことは、相当危険なのでは?


「えっと、怪我や心筋梗塞のリスクが高い……ええっ!?」

「そうなんだよな。その辺は心得てるはずだから、心配しなくてもいいと思うけど」

「別に心配なんか……」


 一応詳しく調べてみたところ、起床直後だと体が目覚めていないだの、筋肉が温まっていないだの、素人でも納得できる理由が発覚した。


「ああ、言われてみれば、前回も早く起きて準備運動しろとか言ってましたね」


 早起きで精いっぱいだったんでガン無視したけども、俺って結構危険なことをしてたんだな。まあ、そんなハイペースで走ってないから大丈夫だと思うけど。


「まあそういうこと。だから罪悪感とか心配とか、そんなの不要だよ」

「言われずとも、別に……」

「てなわけで、明日の午前中はイチャイチャしようか」

「しません。帰ってください」


 っていうかいつまで俺の家にいるんだよ。本来であれば、夕食も風呂も済ませてる時間だぞ。


「こんな時間に女を一人で帰らせる気か」

「なんで帰れない時間まで居座ってるんですか」


 絶対ハナから泊まる気満々だったろ、この人。手ぶらのくせに。


「シャワーとタオルと服借りるね」

「……どうぞ」


 家に来た段階で薄々わかってたから、泊まることに関してはもういいよ。でも、家主より先にシャワー浴びるって、どんな神経してんだよ。

 あとな、シャワーとタオルはともかく、服は借りるって言わないんだよ。返さないじゃん、アンタ。っていうか前に置いて行った服を着てくれよ、この人が泊まりに来るたびに増えるんだよ。


「しっかし、なんでわざわざ早朝にジョギングすんだろうね」


 二度と参加する気はないが、気になったのでもう少し調べてみようか。この知識が活かされることはないと思うけど。


「へぇ、ダイエット効果って意味じゃ合理的なんだ」


 そもそもそんなに太ってるように見えないけどな。ほどよい太ももだったし。

 まあ別にどうでも……ん?


「…………はぁ」


 調べなきゃよかった。ゲームでもやってりゃよかったよ。

 俺の性根がもっと腐ってれば、見なかったことにできただろうに……。ああ、中途半端な腐り方しやがって。




 午前四時。早朝なのか深夜なのか明け方なのか、どれにカテゴライズされるのかよくわからない時間。本来であればベッドにいる時間なのに、屋外にいる俺。


「大学あるんじゃなかったの?」

「ありますよ」


 怪訝そうな顔で俺を見る。なんだよ、喜べよ。来てやったんだぞ。

 そんな態度取られるなら、来なけりゃよかったかな。『やっぱり俺も行きます』というメッセージに対して、『勝手にすれば?』なんて返してきた時点で、こんなヤツ放っておくべきだったのかもしれん。


「断ろうとした分のマイナスは取り消さないから」


 そう言って、そっぽを向く。可愛くても、さすがに腹立つな。

 っていうかマイナスされてたのかよ。別に断ってないし。日にちをずらせって頼んだだけだし。


「で? 勤勉な中岡君は、なんで気が変わったの? 風夏や茜さんが来るとでも思ったの?」

「来ないと思ったから来たんですよ」


 喧嘩になるのも嫌なので、皮肉に関しては触れないようにしておいた。男子と喧嘩経験が多いってよくわかるわ。変に気が強いもの。


「はぁ? 二人っきりが良かったっていうの?」

「人通りが少ない時間帯ですから、女性一人は危ないって思ったんですよ」


 そうなんだよ、たまたま目についちゃったんだよ。女性の早朝ランニングや夜中のランニングが危ないって記事がよ。誰だよ、そんな記事を書いたの。それさえ見なけりゃ、今頃ベッドで爆睡してたってのに。

 あっ、そういえば飛鳥さんを床に転がしたままだったな。ベッドが空いたなら、運びなおしてあげればよかった。


「……たったそれだけの理由で来たっての?」

「十分すぎる理由ですよ。平和な町でも万が一ってのがありますから」


 これっきりにしてほしいけどな。時間帯をずらすのが一番確実だし、俺もお供しなくてすむ。


「………………ほら、行くわよ」


 俺と目も合わさずに呟き、ジョギングを開始する。

 妙な間があったのが気になるが、とりあえず今は着いていくことだけ考えよう。

 まったく、なんで俺は『ありがとう』の一言も言えない女のために体を張ってるんだろうな。見返りを求めているわけじゃないけど、礼の一言くらいほしいもんだ。

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