#11 悶絶辛味地獄

 どれくらい時間が経っただろうか。

 会話に疲れ、口数が減ってきたころに、ようやくかなどめさんが戻ってきた。


「お待ちどお~」


 運ばれてきたのは唐揚げだ。なんとなく筑前煮とか、カボチャの煮つけを想像してたんだが、嬉しい誤算だ。いや、筑前煮とかも好きなんだけどさ。


「お腹すかせといて正解だったろ?」

「……ええ」


 自分の手柄のようにしたり顔をする天馬さんを無視して、唐揚げに目をやる。

 見ただけで美味しいとわかる出来栄えだが、なぜ二皿なんだ? 大皿一つでいける量だろう。


「こっちが普段作ってる方で、こっちがアレンジ版ね」


 なるほど、食べ比べをしろということか。見た目には違いがわからないが、どんなアレンジを加えたのだろうか。

 料理に明るくないため、唐揚げのどこに工夫の余地があるのかわからない。


「じゃあ、普通版からいただきますね」

「火傷しないようにねぇ」


 さりげない一言が優しい。余計な一言ばかり言うヤツらにも見習ってほしいよ。誰とは言わんけどさ。

 そういえば揚げたての唐揚げって久しぶりな気がするな。自分で作ることなんてないし、弁当くらいでしか食べないし。

 恥ずかしい話だが、少しワクワクしている。母親以外の女性が作った手料理ってのもあるけど、揚げたての唐揚げだからな。これでワクワクしないやつは、ワクワクを司る神経が死んでいる。

 俺の胡坐の上に座ってるヤツが邪魔だが、気にせずかぶりつく。


「んっ……これは……」


 四字熟語で言えば驚天動地がふさわしいだろうか。

 麻雀ゲームの演出のような雷が落ちた気がする。


「うん? お口に合わなかった?」


 心配そうな声色でおずおずと問いかけてくる。不安げな顔も可愛いな。


「いや、店で出せますよ、これ」


 心配そうな表情を見てお世辞を言ったわけじゃない。本音、百パーセントだ。


「あらあら、お上手」


 京さんの照れくさそうな表情は、そそるものがある。だが、今はそれ以上に、唐揚げに首ったけだ。火傷に対する恐れよりも、口に入れたいという願望の方が強い。揚げたてというのを抜きにしても、クオリティが高すぎる。

 よほど良い肉を使ってるのか? いや、ここに来る前、スーパーで鶏肉を買ってたし、違うか。


「米かビールが欲しくなりますけど、無くても満足できる美味しさですよ」


 夏祭りの屋台とかで出したら、客を独り占めできんじゃないか? 五百円でも安いよ、これ。


「もぉ、進ちゃんたら」

(進ちゃん……?)


 俺の下手くそな評論に気分を良くする京さんを尻目に、もう一つ食べようと箸を伸ばす。


「待った」


 俺の胡坐に鎮座する不届き物が、それを制止する。なんだ? 一秒たりとも待ちたくないのだが。


「私にも食べさせてくれ」


 待って損をした。俺はシカトを決め込み、欲望の赴くままに二個目の唐揚げを口にする。一口目の衝撃には敵わないが、それでも美味しい物は美味しい。今この世界で俺ほど幸せなヤツがいるだろうか? いや、いない。


「もうコンビニの唐揚げ弁当なんて食べられませんよ」


 大げさかもしれないが、これを食べた後じゃ他の唐揚げなんて紛い物に思えてくるね。いや、実際はこれからも、唐揚げ弁当を食べるんだろうけど。


「あらあら、悪いことしたねぇ」

「いえ、最高の善行ですよ」


 これ本当にタダでいいのか? 最低でも材料費を負担すべきじゃないのか?


「女の子に媚び売って、馬鹿みたい」


 影山さんは相変わらず手厳しいが、そんな幸せそうな顔で言われてもな。


「進次郎君、早く私にも食べさせておくれよ。はーやーくー」


 まだ言ってんのか。なんで介護せにゃならんのだ。


「火傷しても知りませんよ?」


 放置するとうるさそうなので、仕方なく口の前まで運んでやる。早く三つ目を食べたいから、さっさと食べてほしい。


「本当に親子みたいやねぇ」


 どっちかといえば、手のかかるペットな気がする。ペットプレイとかに目覚められても困るから、絶対に言わんけど。


「じゃあアレンジ版いただきますね」


 料理下手な人のアレンジは危険だが、京さんのアレンジは更なるクオリティに到達するだろう。食べる前から確信している。


「おつまみがコンセプトのアレンジだよ」


 オリジナル版が既におつまみとして一級品なのに、更に特化するというのか。

 天馬さんと影山さんが、なぜかガン見してくるけど、気にせずアレンジ版を口に運ぶ。


「こ……これは……」

「店で出せる? 出せるかな?」


 先程の不安そうな表情とは違い、期待に満ち溢れた表情を見せる京さん。普段なら可愛いと思うのだろうが、今はそんな余裕がまるでない。


「どう? お酒進む?」

「……お、おしゃけより水がほひいれふ……」


 舌の激痛でまともに喋ることができない。


「あらあら」


 なにをわろとんねん。早く水をくれ。


「何入れたの? アンタ」


 影山さんが引き気味に問う。いいから水を用意してくれ。


「ビールが欲しくなるようにワサビを練り込んだんよ」

「でひょうね」


 聞くまでもないよ、隠す気がないもの。主張が激しいもの。

 ワサビが隠し味というより、唐揚げが隠し味だよ。


「あー、ワサビ練り込んだ米菓あるもんなぁ」


 天馬さん、いいから水を……。


「とりあえず牛乳持ってくるから、それまで我慢してなぁ」

「ひゃい……」

「そんなに辛いのか?」


 心配そうな表情で俺の顔を覗き込む天馬さん。こんな時になんだが、この姿勢はよろしくない気がする。四十八手の一つだろ、これ。


「らいじょうぶれふ」

「なっ……」


 心配をかけたくないという一心からか、無意識に頭を撫でてしまう。そうだ、この人、これでも年上だった。


「食卓で頭撫でないでよ。っていうか目の前でイチャつかないで」

「羨ましいか?」


 煽るな煽るな。羨んでるんじゃなくて、引いてるんだよ。


「大体、大げさなのよ。お肉とワサビなんて美味しいに決まってるじゃない」


 煽りを受け流すためか、俺の醜態を嘲笑うためか知らないが、アレンジ版を勢いよく口にする。あーあ、軽くかじる程度にしとけばいいのに……。


「……!?」


 へぇ、劇物を口にした人間ってあんな顔するんだ。写真撮って弱みにしてぇ。


「はしたないぞ、美羽」


 スカートを履いているにも関わらず、だだっこのように足をジタバタさせて悶える影山さんに、同情と嘲笑の意を表したい。っていうか普通は、スパッツ的なのを履くもんじゃないのか?


「美羽、見えてる見えてる」


 天馬さん、俺に火の粉飛ぶから指摘しないでくれ。

 恥辱なのか、辛みなのか分からないが、真っ赤な顔でスカートを抑え、こちらを睨む。


「見てないれす」


 往復ビンタの勢いで手を振って容疑を否認する。


「しっかし黒のレースとは、中々スケベだな」

「え? 水色……あっ」


 天馬さんのカマかけに見事ひっかかり、影山さんからエネミー判定を受ける。

 ちょ、やめ、箸で目つぶし狙わないで。シャレにならんから!


「美羽、ステイステイ」


 ありがたいことに天馬さんが華奢な腕で応戦してくれる。まあ、こいつのせいなんだけど。


「美羽ちゃん? 食事中に暴れたらいかんよ?」


 いつの間にか戻ってきていた京さんが、牛乳の入ったコップを机に置きながら、静かなる怒りを見せる。


「らって……らって……!」


 まともに動かない口で弁解しようとする影山さんを尻目に、牛乳で舌のダメージの回復をはかる。


「助かりましたよ」


 噂で聞いていたほどには回復しないが、それでも水よりは効果があるような気がする。多分、先に飲むのが理想的なんだろうな。


「かひてっ」


 ワサビ悶絶同盟の影山さんが、こぼれない程度の勢いで牛乳をひったくる。

 そうか、京さんが席を立つ前は俺しか食べてないから、牛乳一つしかないのか。

 俺の飲みさしなんて死んでも嫌だろうに、凄い勢いで牛乳を飲む。


「間接キスだな」

「んぐっ!?」


 天馬さんの余計な一言で影山さんが牛乳を吹き出す。俺は間一髪、天馬さんでガードすることに成功した。服が少し濡れたが、顔は無事なので軽傷と言えるだろう。


「進次郎君?」


 盾にされた天馬さんがムッとした表情で顔を近づけてくる。牛乳臭いから離れてほしい。


「飛鳥ちゃん、洗面所行っといで」

「ああ、タオル借りるよ」


 いっそ風呂と服を借りた方がいいんじゃないのか? っていうか、俺のシャツなんだが、どうしてくれんだ。


「茜さん、うがい薬ない? 消毒しないと」


 うわぁ、傷つくなぁ。

 まあ、人の飲んだ牛乳って気持ち悪いよな。お茶の回し飲みは平気だけど、牛乳は嫌だわ、理由はわからんけど。


「わさびには殺菌効果があるんよ」


 そう言ってアレンジ唐揚げの皿を影山さんに近づける。人の心ないんか。

 首を横に振り、天馬さんの後を追うかのように洗面所へと向かう。


「……京さん、発想は良かったですけど、ワサビ入れすぎですよ」

「お酒が進むと思ったんだけどねぇ」

「ほら、唐揚げといえばビールじゃないですか? あんまり辛いとビール飲めないですよ」

「なるほどねぇ。じゃあハイボール用の唐揚げにしようかねぇ」


 え? ワサビを減らすって選択肢はないの?


「いっそのことソースにしたらどうですか? ワサビとマヨネーズ混ぜたりとか」

「んー? 練り込むんじゃなくて、かけるってことかい?」

「いや、食べる人が自分の好みでつけるみたいな……ほら、チキンナゲットみたいな感じで」


 今まで考えたことがなかったが、ファーストフード店のチキンナゲットもお好みでつけられるからこそ価値があるんじゃないか。かけられた状況で提供されたら、売り上げが下がるのではないか? 知らんけど。


「んー……人によって味が変わっちゃうのは、料理として違う気がするんよねぇ」


 そうだろうか? 料理しない人間にはわからないこだわりなのだろうか。


「ほら、フランス料理でもあるじゃないですか。ソーシエールでしたっけ? 客が好きな量つけるやつ」


 まあ、フランス料理なんて食べたことないんだけど。


「そうし……ええる?」


 ああ、絶対伝わってない。まあ、俺も現物見たことないし、名前合ってるかすら怪しいんだけどさ。


「んー……必要かねぇ?」

「アレンジ前のヤツとアレンジ版、両方食べられた方が嬉しいかなって……ああ、すみません。包丁も握ったことない素人が偉そうに……」


 握ったことないは誇張表現だが、強ち嘘でもない。本格的に料理してる人の前では調理実習なんてノーカウントだろ。


「いえいえ。真剣に考えてくれて嬉しいよ」


 そう言って、アレンジ版の皿を持ち上げる京さん。


「あれ、それどうするんですか?」

「どうって……失敗したみたいだし、処分するんよ」

「そんな……食べますよ、俺」

「無理せんでええよ。偉いねぇ」


 にこにこしながら俺の頭を撫でる。孫かなんかと思われてる?

 心地よいが、浸ってる場合じゃない。


「無理なんてしてないですよ。ちょっと辛いけど、本当に美味しかったですよ」


 ゆっくり食べればいけるはずだ。いけるなら食べなきゃいけないだろう。

 勘違いかもしれないが、さっきの京さん、悲しそうだったし。


「本当に食べるのかい? 無理せんでも……」

「……俺は料理なんてしたことないですけど、それでも作ったもの捨てるのが辛いってのは何となくわかります」


 正直怖いが、恐れをおくびにも出さず唐揚げを口にする。


「おいしいれすよ」


 先ほど飲んだ牛乳と混ざって若干気持ち悪いが、口が裂けても言えない。


「本当に?」


 喋るのも辛いので、首を縦に振る。


「涙出とるよ?」


 そりゃ出るさ。ワサビだもの。


「美味しくなかったら食べませんよ」


 先程飲んだ牛乳のおかげだろうか? 回復が早い気がする。


「お? 泣かされたのかい?」


 洗顔をすませて帰ってきた天馬さんが、からかってくる。よく見るとシャツが変わっている。

 無視してもう一つ唐揚げを口にする。牛乳効果が切れたのか、ダメージが大きい。


「進ちゃん? 大丈夫かい?」


 おろおろする京さん。子供の頃、足の小指をタンスにぶつけて悶絶した時、おばあちゃんが本気で心配してくれたことを思いだす。

 口が利けない状態なのでサムズアップする。


「顔真っ赤だよ、進次郎君。ハハハ」


 何わろとんねん。


「ほれ、無理せんと、ペッしなさい」


 空のゴミ箱を俺に近づけてくる京さん。当然、俺は首を横に振る。


「男だねぇ、進次郎君は」


 しみじみしてないで、お前も食え。一個も食ってないだろ。


「あれ? 唐揚げ減ってない?」


 うがいを済ませた影山さんが戻ってくる。うがい長くない? そこまで汚物扱いされると、さすがに傷つくんだけど。


「進ちゃんはいい子やねぇ」


 しみじみと頭を撫でてくれる。その内、親に撫でられた回数を越えるんじゃないか?


「私の自慢の彼氏だからな」


 ドヤ顔やめろ。そして彼女面をするな。唐揚げを食ってからものを言え。いや、意地でも食わせてやる。


「天馬さん。先ほど、唐揚げを食べさせてくれとおっしゃってましたね」

「え? うん」

「どうぞ」


 アレンジ前のヤツを掴み天馬さんの前に持っていく。


「積極的になってくれて嬉しいよ」


 天馬さんが目を閉じたのを確認してから、アレンジ後の唐揚げに掴みかえ、天馬さんの口に突っ込む。

 声にならない叫びが屋敷内にとどろいたことは言うまでもないだろう。

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