#8 惚れさせた弱み

 ピーカン、晴天とまではいかないが、綺麗な空だ。澄み渡る空というのは、こういうのを指すんだろうか。

 鳥の言語はわからんが、小鳥達も楽しそうにさえずっていて、理想的な朝と言えるだろう。出不精な俺が思わずラジオ体操やウォーキングに勤しみたくなるほど、良い朝だ。


「ホントにありえないよ」


 本当に良い朝だ。アラサーに正座を強要されていなければな。


「体中が痛いんだけど?」


 知らんよ、俺だって肉体労働と、アンタのおんぶで体中痛いよ。

 怒りがおさまらないアラサーは、心の中で反論する俺に容赦なく畳みかける。


「枕もタオルケットもなしに、床に転がされた私の気持ち、君にわかる?」


 妥当な対応ではないでしょうか。

 屋根の下ってだけ、感謝してほしいんだが?


「申し開きがあるなら聞こう」


 どこまでも上から目線の天馬さんが、うつむく俺の頭に足を乗っけてくる。


「きったな!」

「うわっ!」


 反社的にはねのけてしまい、バランスを崩した天馬さんがすっころぶ。

 違うんだ、これは正当防衛なんだ。婦女暴行じゃないんだ。


「お尻、痛いんだけど?」


 んな大げさな。自業自得としか言えないって。


「心も痛いんだけど?」


 何だこいつは。繊細ヤクザか? 心とか持ち出されたら、何も反論できないぞ。


「汚いって言ったよな? なあ?」


 昨日のシガーキスばりに顔を近づけて凄んでくる。迫力ねえなぁ。


「そりゃ言いますよ、昨日から履きっぱなしの靴下じゃないですか」


 冬場でもキツイのに、夏場だぞ? 大分優しい対応だろ。


「汚いって、それが女に言う事か? アラサーは女じゃないってのか?」


 ハンカチも持たず、シャツの裾で汗を拭う人が女を語るなと言いたい。


「キミが起こしてくれないから、シャワー浴びてないんだぞ?」


 爆睡してたアンタが悪いよ。今からでも入ってこいよ。


「昨日はシャワー浴びれるようなコンディションじゃなかったでしょう」

「浴びさせてくれればいいだろ、自分も入るんだからついでにさ」


 できるか! 小柄とはいえ、介護士でもない俺が、動けない人に入浴させられるかよ。そもそも女性だぞ。


「大体、なんで床に転がしたんだい? せめてベッドで寝かせてくれよ」

「夏場にシャワー浴びてない人を寝かせられません。自分の汗でも嫌なのに」


 床で寝落ちする原因の大半がそれだ。風呂入るかどうか逡巡してる間に寝落ちし、毎朝後悔するんだよ。昨日はよく頑張ったな俺。


「男のくせに……わかったよ。念入りに洗ってきてやるから、タオルを用意しといてくれよ」


 男でも衛生観念はあるよ、俺は正常だよ。

 なんだよ、洗ってきてやるって。アンタの体だろ。


「って! なんでここで脱ごうとしてるんですか!」


 男の目の前で、生まれたままの姿を晒そうとするアラサーを、慌てて制止する。

 なんだこいつ、狭い家でも脱衣所ぐらいあるっての。仮にないとしても、ここで脱ぐのはおかしいだろ。


「別にいいだろ。後で見られるんだし」


 初耳なんだが、その予定。イマジナリー進次郎となんの約束したんだよ。


「キミは酔った女を自宅に連れ込んだんだ。責任ぐらい、潔く取れないのか」

「いや、もう醒めて……だから脱がないでくださいよ」


 一体どうしたというのだ? 何が起きているんだ?

 この人の中では、俺が無理矢理お持ち帰りしたことになってるのか? 押しかけ女房ならぬ押しかけアラサーなんだが?


「邪魔しないでくれ。早くシャワー浴びたいんだ」


 止める俺のほうがおかしいと言わんばかりに、再び服を脱ごうとする。


「じゃあ脱衣所行ってくださいよ、もう」


 目をそらして、移動を促す。

 何があったんだよ、なんで女を捨てようとしてんだよ。


「うるさいなぁ、もう。わかったから、覚悟決めときなよ」


 そう言ってポケットの中にあった物を俺に投げつけ、脱衣所に消えていく。羽衣さんといい、この人といい、人の顔に物を投げつけるのやめてくれ。特殊な育ち方をしたのか?


「昨日のカラフルなタバコか? 吸わないっての……ん?」


 机の上に置こうと思い、箱を手に取る。

 あれ? これ、タバコじゃなくて、その……あれか? 男がつけるもの?


「あの人は実は男……? いや、まさかな」


 シャツ脱ごうとしたときに、スポブラのような何かが見えたし、男だったら相当の変態だぞ。第一、肩幅とか声的にも女性のはずだ。

 正直混乱しているが、冷静に今までのことを思い返してみよう。

 俺が褒めた時に帽子を深くかぶる動作、あれは照れ隠しと見ていいだろう。で、年下派って言ったときに殴ってきたけど……あれは、まあ……。

 飲みに誘った時の反応と、羽衣さん達がいることを知ったときの反応、そして彼女達の言動……。度々出る『責任』という、俺の嫌いな言葉。コンビニでこれを買ったことやら、先ほどの発言やら、色々組み合わせると……。


「いやいやいや、こんな出会ったばかりの男、よりによって俺なんか……」


 そうだよ、ギャルゲーじゃあるまいし、そんな簡単に……。いや、親から結婚急かされてる的なこと言ってたし、歳を気にしてるところもあるけど、それでもなぁ。

 家族とか大事にしてそうだし、親を心配させたくないのか?

 アラサー特有の焦りも相まって、冷静さを失っているのでは?

 さて、どうするべきか。あの人のシャワーがどれぐらいの時間を要するかは知らないが、出てくる前に結論を出さねばならない。

 逃げ出すのは最終手段として、とりあえず脱衣所までタオルを持って行ってあげるか。床をビチャビチャにされてもかなわんし。


「タオルおいときますよー」 

「おー」


 そういえば、化粧どうするんだろうな。手ぶらだぞ。

 とりあえず、鍵とメモを残して出ていこう。『買い物行ってきますんで、帰る時は郵便受けに鍵を入れといてください』的な感じで。

 いや待て、あの人が大人しく帰るタマか? 俺が帰宅するまで一生居座るんじゃないか? 最悪の場合、合鍵を作られるかもしれん。

 そうだ、夢咲さんとラーメン屋に行く約束してたし、ヘルプ頼むか。えっと文面は『天馬さんが例のアレ、いわゆる近藤さんを用意してきたんですけど、これってどうすれば』でいいか。大丈夫かな、セクハラにならんかな。

 おっ、返信どころか電話が来た。ギャルのくせに早起きだな。寝起き悪そうな顔してるのに。


「もしも……」

「え? 昨晩、ヤッてないの?」


 ド直球だな! 名乗りを遮ってまで聞くことか!


「あの人、爆睡してましたよ。で、今はシャワー浴びてます」

「一緒に入ってきなさいよ」


 なんで行為を推奨するんだよ、回避方法知りたいんだよ。質問を無視して、説教や自分語りをかましてくる某質問サイトかよ。


「俺は、そういう関係になるつもりはないです」

「なんでよ、卒業できるチャンスじゃん」


 このノンデリギャルが。男をなんだと思ってるんだよ。


「あの人が本気ならまだしも、婚期逃がした焦りによるものじゃないですか。いや、ある意味では本気なんでしょうけど」


 俺も大概ノンデリだよな。よく今の台詞がすんなり出てきたよ。


「同意の上なんだから、ありがたく頂戴しなさいよ。女の子を本気にしたんだから責任取りな?」


 勝手に本気になった方が悪い。俺に非はない。

 友達のみさおがどうなってもいいのか? いや、俺も男友達の貞操なんかどうでもいいけどさ。


「お互いに後悔しますって、出会って一週間かそこらでこんなん」


 少年に近い容姿というのを抜きにしても、今後が気まずくてアレが戦闘態勢にならんっての。


「据え膳よ据え膳」

「割り切れませんって。人として好きだからこそ、関係を大事にしたいんですよ」


 自分で言っといてなんだが、俺らしからぬ言葉だな。

 自分でも知らなかったよ。人を尊重できる人間なんだな、俺って。


「へぇ、人として好きなんだ」

「そりゃまあ、天馬さんと一緒にいると安心するっていうか、成長と共に失う何かを持っているのが魅力的っていうか」


 今は退路を失ったアラサーの執念みたいなのが垣間見えて怖いけど、冷静さを取り戻せばいい先輩のはずだ。


「ちょっと恥ずかしいな」

「うおっ!?」


 いつからいたんだ、この人。どっから聞いてやがった?


「あー、飛鳥さんが帰ってきたパターンね、はいはい。じゃあね」


 超速理解をして、電話をぶつ切りにされる。おい、お前の誘導尋問のせいだぞ、なんとかしろよ。


「正直ウザがられてるかなって、不安だったんだけどね。まさか好かれてるなんて」

「いや、あの、とりあえず服着てくれません?」


 ちょっと予想してたけど、バスタオルのまま人前に出るな。


「同じ服着るのはちょっとなぁ。パンツとシャツを貸してくれない?」


 シャツはともかく、この家に女性物のパンツなんてあると思ってんのか? むしろ、あったら嫌だろ?


「そこに入ってるんで、適当に着てください」

「悪いね」


 ホントだよ。ホントに悪い人だよ、アンタは。


「念入りに体を洗ってきたんだけどね、今日は無しにしとくよ」


 どうか、無しのまま生涯を終えたい。いや、それはさておき……。


「あの、シャツはいいとして……」

「ん? パンツも借りるって言ったじゃん」


 ジョークだと思ってたんだよ。まさか本当に俺のトランクスを履くなんて、思ってなかったんだよ。


「履いちゃったものは仕方ないとして、とりあえずズボン履いてくれません?」


 おかしいな、下着姿の女性が目の前にいるのに、全然興奮しない。トランクスだもの。靴下まで俺のだし、本当に遠慮しないなこの人。


「パンツは案外履けるけど、サイズ合わない靴下気持ち悪いなぁ」


 勝手に借りといて何言ってんだ、お前は。


「彼シャツ、彼パンツ、彼靴下だよ。嬉しいかい?」


 まだ酔いが残っているのだろうか。

 彼って単語は、そこまで万能ワードじゃないと思うぞ。


「君も彼女シャツとか彼女パンツとか試してみるかい?」


 まだ酔いが残っているのだろうか。残っていてほしい。


「サイズ的に無理でしょう。大きい方が小さい方の服着るのは」

「彼とか彼女とかは否定しないんだね」


 面倒だからスルーしてるんだよ。静かなる否定だよ。

 エアコンをさりげなく最低温度まで下げてやったから、そのうち耐えられなくなってズボンを履いてくれるだろう。ショートパンツだからそこまで寒さ変わらん気もするけど。


「いいか、進次郎君。誤解があるといけないから、よく聞いてくれ」

「なんでしょう」


 しょうもないことをほざく気じゃあるまいな。


「アラサーが焦って若い子に手を出そうとしてる。そんな風に思ってるだろう?」

「まあ、正直」

「焦りは認めるよ。でも、違うんだ。そこまでチョロくないんだ」


 違わないだろ。ラノベでよくいるチョロインだよ。可愛いって言われただけで落ちるタイプだよ。


「周りから少年扱いされてきた私を女性扱いしてくれた男は、キミぐらいだよ」

「いや、口に出さないだけで、アナタに好意持つ男はいたと思いますよ」


 ボーイッシュって多分、人気だろ? 俺の周りにそんな人いなかったから、知らんけどさ。


「それはキミが個人的に、私に好意を抱いてるからだよ。普通の男は興味持ってくれないよ」


 なんだろう。勝手に相思相愛にするのやめてもらっていいですか? 人として好きなだけだよ。


「休日の早朝からタダ働きさせられたのに、真剣に取り組んでたのも評価高いよ」


 え? 俺はアラサーの品定めに巻き込まれてたの? そのためにやりがい搾取されたの?


「男子なんて、学校の掃除すら真面目にやらないじゃん? すぐホウキでチャンバラ始めるし」

「小学生時代の話してます?」

「小学生から高校まで、ずっとだよ」


 どんだけ民度低い学校にいたんだよ。入試が無い高校にいたの?


「親友を引き合いに出すのも良くないけどさ、風夏より私の方が一緒にいて安心ってのも嬉しかったよ」

「そりゃ俺は陰キャですから……落ち着いた大人の女性の方が……」


 まあ、そのイメージも崩壊しはじめてるんだけどな。

 何が落ち着きだよ。焦りしか見えないよ、この人。


「そう! そこだよ」

「あだっ!」


 あぐらをかく俺の両足に、思いっきり手をついて迫ってくる。

 小柄な女性といえど、滅茶苦茶痛かったんだが? 体が固いから、股関節が外れるかと思ったよ。っていうか本当に距離感が近いな、この人。すぐ顔を近づけてくる。


「男なんて普通、顔と体しか見ないだろ? 人と向き合って、内面を見るってのが凄いんだよ」


 男に何をされてきたんだよ、今まで。いや、その認識は、あながち間違いじゃないんだろうけど。


「あの、足痛いんで、体重乗せないでください」


 体固い上に筋肉ないんだから、やめてくれよ。耐えきれねぇ。


「セクハラだと受け取らないんでほしいんですけど、そんなブカブカのシャツで前かがみになっちゃダメですよ」

「え? あっ……」


 やめろやめろ、今更乙女な一面を見せるな。トランクスであぐらをかく女のスポブラに、今更興奮せんて。


「キミは紳士だな。黙って楽しめばよかったのに」


 楽しめるならば、俺もそうしたでしょう。俺は既に被食者の気分なんだよ。


「下心無しに、酔った女を一泊させるのも紳士的だ」


 紳士ならば固い床に一晩中、放置せんて。


「キミの意思を汲み取って、まずはプラトニックな関係から始めようか」


 どこを汲み取ったんだよ。いつまでも、ただの人生の先輩でいてくれ。


「あの、俺は人として好きって言っただけでして……」

「わかってるよ。内面も外面もキミ好みに磨くから、これからよろしくな」


 磨く前に、まずはズボンを履け。話はそれからだ。

 難しいことはいいから、今できることをしてほしい。

 俺は、このアラサーから逃げきることができるのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る