第36話 《異形》が落つる
進は、その炎を間一髪で回避した。
しかし、彼の能力の詠唱が追いつかなかったのか、と問われたらそうではないと答えることになる。
(今の、《変形》の効き目が弱かった?)
まるで、《錬金術》が打ち消されたかのような感覚に進は違和感を覚えた。
今まで何かを作ろうとしてきて、何かを変形しようとしてきて、こんなことは一度もなかったはずだ。
それなのに今はなぜ、《変形》が効かなかったのだろうか。
そんなことを考えた矢先、ヴゥゥゥゥゥゥゥ……と、警報が辺りに鳴り響いた。
「?!」
進は何事かと思ったが竜がこんなことになったら警報はなるだろう、と理解した。
このまま永遠と避難勧告だけですませていたら、これから別の被害も生まれる可能性があるから。
大人たちもそれがわかった上で警報を出したのだ。
「進、援護する!」
みことが、その瞬間そう叫んだ。
「?! お前、いいのか?」
「大丈夫だ。今の警報と一緒に許可も降りた。これより、S
キンッ、と何かが弾かれたような音がした。
いいや、弾かれたんじゃない。
弾かれざるを得なかったのだ。
今、空気の流れが下を向いた。
みことが得意とする《災害》の《再演》の一つ。
地球全体を覆う、空気の流れにして目には見えぬ天からの圧力。
《風神》には劣るとも、二つ名に恥じることない一撃。
「《
進でなければおそらくその瞬間、その攻撃に巻き込まれていたはずだ。
いや、他のS級という例外を除いては。
自分のすぐ横を吹き抜けていく風に髪をたなびかせながら、進は竜を見つめる。
やはり、というか悪い意味で期待通りか竜は健在していた。
不思議と劣等感を感じないのは、前提として相手が《神話降ろし》だから、というのが大きいだろう。
人間が神様に勝てないなんてそんなの当たり前のことだから。
では、どうして諦めというものをしないのか。
それは目の前の竜が人の手によって降臨した、紛い物の神だから、あるいは神だとしても現世に限りなく近いからだろう。
初めて、グンとその尾が空を切った。
それに対して防御手段が少ないであろうみことの前に立っていた進は、それを無理やり《変形》した。
この二人にとって唯一の救いとなるのは、《
もしも、この竜がそんな権能を持っていたとしたらそれこそ死、あるのみだったはずだ。
「みこと! もう一発だ!」
「わかってる!」
また、体を押す大気圧が大きくなった。
進は、飛んできたガラスの破片に頬を切ったが、そこから滲み出してきた血は拭っただけだった。
すでに、周りのほぼ全ての家は倒壊を始めていた。
そのこともあってか、みことは普段は見せないような交戦的な態度で敵を見据えていた。
「チッ、まだ火力が足りないのかよ」
数回攻撃を繰り返して、みことは舌打ちをした。
進もいい加減にため息をつきたくなってきた頃だった。
こちらからの攻撃は通らないのに、こっちに攻撃してくることもあまりないのだ。
明確な攻撃は進を襲った炎のそれと、尻尾での攻撃だけ、あとはよってくるハエを叩き落とすかのような防衛だけだった。
その姿に何か進は違和感を感じた。
最初からずっと感じていた違和感の一つでもあった。
そう、目も前の竜はずっと何かを待っているかのように。巣穴を荒らす害獣さえもその瞬間だけは許容して。
ゴーン、ゴーンとまた、冷たく重たい鐘の音が進の耳に響いた気がした。
その音が乗ってきたのは、陸側より吹き付けられる、
ピクリと、竜の体が震えた。
「そういえば、《ファイヤー・ドレイク》の元ネタは自然現象だったか……」
みことはハッとした様子でつぶやいた。
進はどういうことだ、と聞いた。
進には神話関連はさっぱりであった。
《ファイヤー・ドレイク》について何も知らないままここにいるのだ。
みことですら今気がついたことに、そんな進が気がつくはずがなかった。
「そもそも《ファイヤー・ドレイク》自体、出典のはっきりしない伝承なんだ。だから、はっきりとした物言いはできないんだけど……」
歯切れの悪い言葉から、進は疑問を深くしたがその回答はきちんと返ってきた。
「《ファイヤー・ドレイク》っていうのは、熱い雲と冷たい雲が衝突して生まれた、とそう言われてるんだ」
だからか、と進はつぶやいた。
「?」
「だから、さっき炎を分解した時に冷たい空気を感じたのか」
「それは、どういう……」
進は、己の予想を頭の中から無理やり言葉として引っ張り出した。
「つまり、今まで攻撃してこなかったのは……、完全体になってなかったからだよ。今の風が吹いてくるのを待っていたんだ。最初からな」
《錬金術師》としての予想。
神に導かれた人間としての予想。
どれをとっても正解とは言えない、《言野原進》としての直感だった。
しかし、時として直感は理屈さえものけおいて、正解を導き出してしまうこともあるものだった。
呼応するように、灼熱の竜が再び咆哮を上げた。
その時、進は我が目を疑うこととなる。
ポロリ、ピキッ、ポロリ。
おそらく響いてきたのはそんな軽い音だった。
それが、あたりを支配していた。
竜の咆哮よりも、《ダウンバースト》の気圧よりも、周囲の喧騒よりも、何よりもその場を。
ちらりと、視界の端に光が駆けてくるのが見えた気がしたが、進はそんなことを確かめている暇はないというように、口をあんぐりと開けていた。
「嘘……だろ?」
進たち、彼らの前で竜を構成していた炎が少しずつ剥がれかけていた。
そんな光景は今まで見たことがなくて、そもそもどういう原理で起こっているのかわからないまま……。
ぽつり、とみことが呟いた声が耳に入ってきた。
「まさか……脱皮?」
節足動物が成長過程で行うような。
その脱皮。
「進、みこと! あれって!」
光の声がした。
やはり彼女がきた気がしたのは気のせいではなかった。
時間帯が悪かったなと進は思う。
なぜなら、こんなわけのわからない現象を、行為を見ることになってしまったのだから。
「……ぁぁ、気をつけろ。来るぞ!」
音さえも突き破って、音が生まれた。
その大きすぎる音は衝撃波となってあたりを木っ端微塵に打ち砕いていく。
ビルも、家も、アパートも、地面も、マンホールも、車も、自転車も、身構えるのに失敗した、あるいは逃げ遅れた人間たちも全て、その瞬間、その音だけで消滅した。
それは、進たちも例外ではなかった。
むしろ一番そばにいた進たちが一番の被害を受けたと言ってもいいだろう。
「アガァア、アァガ!」
吹き飛ばされた先、運よく痛み以外は感じなかった進は、一通り叫んで痛みを紛らわせたあと苦しくなって口の中に溜まった血をペッと吐き出した。
「《変形》でも打ち消せなかった、か」
そうわかった瞬間、耳を守る方に専念した進は偉い方だった。
もしもあそこで判断を間違えていたら一発で両耳の鼓膜が突き破られていたことだろう。
「《天穿つ竜の咆哮》。メモリーたちの使う魔法に乗っとたらそんな感じになりそうだな」
クッハハ、と屈強に笑ってみた。
絶望するよりも、そうした方がいいと思った。
それで前を見ると、倒れていたところを立ち上がろうとしている少女を見つけた。
「光でも、吹き飛ばされたのか」
その少女が《風神》であることに驚いた。
風や空気に関して絶対的な支配能力を持つ彼女ですら吹き飛ばされていたのだ。
「いやぁ、ちょっと油断しすぎたかな」
光は、吹き飛ばされたことなど気にしていないかのようにいつも通り交戦的な笑みを浮かべていた。
「いや、無理をしなくてもいいんだぞ?」
彼女の右側の額から流れ出る血を見て、進は心配そうに言った。
「何言ってんのよ、そんなこと言ってたら進の方が負傷してるじゃない」
そう言い返されて、え、と進は自分の顔を拭って見る。
心の平気さとは裏腹にそこにはべっとりと血が塗りたぐられたかのようについていた。
「嘘、だろ?」
「嘘じゃ、ねぇよ」
みことの声がしたので、振り返る。
彼もボロボロだった。
「くそ、《神話降ろし》は今のでS級をこんなにもできるのかよ」
思わず、と言ったふうに漏らしたその言葉を光は聞き逃さなかった。
「《神話降ろし》?」
問われて、進はしまったというような顔になった。
みことを見て、助けを求めてみたが彼は首を横に振るだけであった。
仕方がなく、光に進は説明する。
もちろん知った経緯については嘘をついたが。
「《ハンター》どもが言ってたんだ。この世界の神話を現世に降臨させるって」
「前に戦った《ケルベロス》もおそらくその一端だよ」
みことも補足してくれた。
進はその《ケルベロス》がどんなのだったか実際に見たことはなかったが、みことからの話を聞く限り相当おっかないやつだったらしい。
光はその話を聞いて、絶句したようだった。
「……あんなのが、量産される可能性があるってこと?」
進もみことも本当は頷きたくないことだった。
しかし実際、事実的にそうなってしまうはずなので、そこは頷くしかなかったのだ。
最高の結末よりも、最悪の結末を想定しておいた方がいいだろう、という考えであえてもしもこうならば、という反論を口にせずに。
「そう……」
光はそれを聞いたのち、下を向き思案し始めた。
数秒、そうしていると急に彼女は顔を上げて二人に言った。
「とりあえず、目の前の敵を倒さないとね」
と。
そうだな、と全会一致となったが……。
すでに、目標として三人は察知されているようだった。
軽々と竜は飛び上がり、上空で火の粉を撒き散らした。
そのまま、重力にしたがって獲物を狩る捕食者のように、急降下してきた。
それを難なく避けたのまでは良かったが、二本足で着地したそれは、撒き散らすように炎を吐いた。
創作物の中だとなんの変哲もない《
現実世界では絶対にあり得ないとされていたそれ。
古より食物連鎖の頂点とされた種族、竜の一騎当千の攻撃であった。
その炎は煉獄なりて、邪魔をするなら邪魔だと思ったのなら焼き尽くすまで、止まらない。
「でも、活路はある!」
単純な炎ならば、進の《変形》は効き目を得る。
さっきの炎は、竜の体の一部だったから能力の効き目が悪かったのだ。
「みこと!」
今度は、収束するようにしながら地面を叩きつける風が巻き起こった。
《
光の《風神》の援護の入って、普段の威力よりも数倍の威力、いやもっと強くなった攻撃。
直撃だった。
直撃だったはずだ。
直撃でなければおかしかった。
それ以上ないというくらいの本気で進たちは攻撃を叩き込んだのに。
じゃぁ、どうして竜はそれで減速すらしないのだ?
攻撃の反動か、数メートル級のクレーターを地面に作り、足場がそうして消滅した。
空中に放り出されてしまって、そうなると、一番先に狙われるのは前衛を張っていた進だった。
竜の大口が開かれた瞬間、進はその瞬間、死を悟った。
誰かが、
いや、
何かが、
「________か」「_______いか」「___が欲しいか」「力が欲しいか」欲しいか」「いらないのか」「死ぬのか「死なないのか」「ここか「後か」「貴様「お前「君」「何を」「ここで「望め」「死を体験する「まった」「覚悟を「決意を」「諦めろ「本当に」「何をしたい「力」「欲しいか「力が」「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか「力が欲しいか」
(また、お前か。また、こんな時に、こんな時に、あぁ、あぁぁ。力が欲しいかだって? そりゃ欲しいよ。こんなところで、死にたくないよ。……でも手遅れだ)
「
(だから、欲しかったんだよ。こいつに勝てるくらいの力が。俺にあって欲しかった)
その一瞬の中で、聞こえた最後の声はやけに鮮明だった。
「
そして、全てが歪んだ。
言野原進の運命でさえも。
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