第27話 《災害》と《地獄の守護者》

 ケルベロス。


 

 そう聞くと、三つの頭を持った地獄の番犬を思い浮かべるだろう。

 しかし、ギリシア神話上のある一説においてそれは、冥府を守る五十の頭を持ち蛇の尾を持つ犬のことを言う。


 あとは、その声は青銅のように通るとも。


 

 全長が神話上でどれくらいかは忘れたが、みことの目の前にいるそれは、少なくとも四メートル以上はあった。


 

 五十対の眼球に見つめられたみことは、一歩後ろに足を……、ガラガラドドドドドド_____! 


 

 すぐ数メートル横のまだ原型をとどめていた高層ビルが、意図も容易く崩れ落ちた。

 フスーと吐き出された吐息の中に何かが含まれていたのだ。

 

 みことはそれを見て、思わず苦笑いを漏らした。




「……これが、《神話降ろし》か」

 



 その後、わかっていたというように《ハンター》の実験、みことが思う二つ目の最悪を口にした。


 

《神話降ろし》。

 

 その名の通り、神話上に存在するものを現世に下ろしてくるというものだ。

 表社会ではまずありえないような実験だった。

 

 そんなことをしようものなら、きっとどこかの宗教団体から猛烈な批判が殺到するだろう。

 

 それにそもそも、ほとんどの人間はそれをしようとする人間を馬鹿にしてくるだろう。

 子供みたいなことを考えるのではない、と。

 

 実際に大の大人がそういうことをしようとしたことはないだろうが、結果はすでに見え切っている。


 

 しかし、そんな表社会を否定するのが裏社会だ。

 表社会の人間が無理だと言ったのならば、その話は高確率で裏社会へと持っていかれる。


 

 大半はそこでも蹴り落とされるが、ごく稀にこういうような例外が生まれてしまうことがあった。

 

 《ハンター》という組織は、その例外を生み出す代名詞だ。

 《キャンセラー》にしても《神話おろしこれ》にしても、世間一般には無理だと思われるようなことを行う。



「グルルルルル……」

 


 ケルベロスの五十の頭がいっせいに唸った。

 みことは直感した、ここからどうやっても逃げ切ることは不可能である、と。

 

 本能がそう言っていた。



「しゃぁねぇか。逃げていいような相手じゃねぇs?!」

 


 最後まで呟くことはなく、みことは全力で後ろに飛んだ。

 不恰好にも倒れる形となってしまったが、それはみことが敵の攻撃は防ぐことができないと判断したためのことであった。

 

 みことのすぐそばで、ケルベロスの巨大な爪が空気をごっそりと持っていった。



(えぇ? まじかよ、そんな力もあんのか!)

 と、目を見開く。

 

 回避がすんでのところで間に合ったからよかったものの、一ミリでもかすっていたらおそらく死んでいた。

 

 比喩、ではない。

 そうなることが本当に目に見えていた。

 

 バクリバクリと、みことの心臓の鼓動はすでにフルボルテージにまで至っている。



「っ! この距離からなら!」

 


 グゥンと気流が下に向いた。

 みことの放つ《ダウンバースト》。

 

 ケルベロスの本体を今、飲み込まんばかりの風があたりに吹き荒れる。

 いや、これはただの《ダウンバースト》ではない?



「出し惜しみは、なしだ! 《スパイラルダウンバースト》!」


 

 高層ビルどもの窓ガラスが、いいやそれ以外の突起も、バキバキバキと目にも留まらぬ速さで崩れ落ちていく。

 

 進を一度瞬殺したこともあるそれは地面さえも抉り取り……。


 

 無傷で堂々と佇むそれに今度こそ本当に、みことは恐怖した。

 回避行動を起こそうとも、身を守ろうとも相手はしなかった。

 

 奴はたたずみ、みことを見つめてただ立っているだけだった。

 

 違う、そうじゃない。



(……こいつ、俺の能力を)

 

 

 それだけじゃない。

 みことは自信がさっきなんと感じたのか、思い出す。



(こいつ、この世界を喰ってやがるのか?!)

 


 正確にいうと、邪魔になる事象を。

 だからさっきのあれは間違ってはいなかったのだ。

 

 空気は本当の意味で持っていかれていた。



(そんなの、そんなのほとんど、あの《魔を食う者マナイーター》じゃないか)


 

 奴の触れている地面の色がおかしい。

 影でもないのに黒く染め上げられていく。



「地面が、腐ってっ!」

 


 そう叫んですぐに、それは違うと気がつく。

 瞬間、辺りに閃光が走った。

 

 そうして少し遅れて、もはや痛みすらも感じないような衝撃が襲ってきた。



「ガハッ!」

 

 みことは上手く受け切ることができずに、慌てて自身の体を守る方向へと考えを変更させた。

 

 一瞬の攻撃だったため、みことは詳細にはどういう攻撃をされたのかわからなかったが、実験の記憶と照らし合わせてなんとなくの結論を出した。



(周りから食った光を、体内で質量のあるエネルギーに変換してから打ち出した?!)


 

 昔、そういうことが可能なのだと聞いたことがあった。

 まだ、みことが《ハンター》との関わりが深かった頃だ。

 

 これもまた、うっすらとした記憶だが間違いはないだろう。



「よりにもよって、それを《神話降ろし》が使えるのかよ?! 人間ならまだしも……」

 


 ギリリ……とみことが歯軋りをしようとしても、そもそもそんな暇はない。

 ザンッともはや音さえ聞こえない速さで前足が振るわれるので、避けるのに精一杯なのだ。



「《地震アースクエーク》!」

 


 みことは、近くの壁を破壊して盾にし、一度体制を整えようかと考えたが、そもそもの話崩れ落ちた瓦礫は相手の進を一瞬たりとも遅めることは、できなかった。

 

 世界を喰らうとはそういうことなのだ。



「グルルル……」

「クッソ。本当に《ハンター》どもは碌でもねぇな!」


 

 ドン、と《落石》が放たれた。

 自由落下による、加速。

 

 食われることなんかわかりきっての。


 と、その時だった。


 不意に物陰から、いや上空から小さい何かが降りてきた。

 小さいと入ってもケルベロスから比べた話で、大きさ自体はみことの三分の二ほどあったが。

 

 それの色も、黒だった。

 目の前のと同じ。

 

 敵が増えたのかと一度みことは思ったが、違った。


 

 食ったのだ。

 

 

 ケルベロスが小さい方を。

 まるでそうあるのが当たり前であるかのように、グシャリと一口で。



(何……を?)

 


 みことは奇怪なものを見るようにそれを見た。

 いいや、実際奇怪なものなのか。

 

 共食い、ともまた違う。

 意味のあって、そうあるべきだというように自然なことだった。

 

 むしろ、小さい方は進んで食われに行った感じがあった。



「まさか、あいつ小さいのを食って力を手に……」

 


 風が靡いた。

 敵からのものじゃない。

 それは、



「《風神》?!」


「加戦するわ!」


 

それだけではない。


「あいつが俺たちのところにいたやつを? とりあえず俺も援護する」

 


 No2も駆けつけていた。



「どう、して?」



 みことは、光に言葉をかける。

 お互いがお互いの行動に干渉しないという約束だったはずだ、と。


 いいやそれは言い訳だ。

 自分以外の犠牲は出したくない、と心が言っていた。


 光は、そんなみことの言葉に振り向かずに答えた。



「進は言ってたわよ。全てを倒して上へ行くって」

「それが……」

 


 それがどうかしたのか。



「だったら、私たちS級は一人でも多く上に立ってなきゃいけないでしょ。彼から逃げ続けないと。私は、こんなところで彼に負けるのは嫌だから」

 


 暴論。

 それらしいことを並べて、その戦闘に参加したいだけ。

 

 本音からすればそうだった。

 みことはその言葉に呆然とした。

 

 それから、笑って



「そうだな」

 と返した。


 

 そういえばとみことは進と初めて会った時の会話を思い出した。

 

 俺の限界まで、進はそう言っていた。

 みことに向かってはっきりと。

 

 

 それに、

(あの時に感じた高揚感。もう一回体験できずに死ぬのは勘弁だな)

 


 そう思って、ククッと笑いが漏れた。

 自分も随分と進に感化されたものだと。



「了解した。手伝ってくれ《風神》、No2」

「あぁ「えぇ、もちろん」」

 


 三人はそう言い合うと、三者三様の方向へと散った。

 みことは光と未来とはあえて距離を取る遠距離牽制の構えだ。



「ふぅ……。《落雷》×5!」

 


 ピカリと光った稲妻は、吸い寄せられるかのようにケルベロスへと振り注いだ。

 しかし、雷特有の続く音はない。

 

 全て、食われた。


 それに応えるようにケルベロスが、蛇の尾を一回転させた。

 残っていたあたりの瓦礫は全て弾き出される。


 

 同時にその全ての動きが止まった。

時間殺しタイムブレイカー》だ。


 

 さらに風が靡いてこないのは《風神》による完全制御の賜物だ。



「すげぇな、やっぱ」

 


 みことは思わず呟いた。

 と、同時に手を休めることなどはしない。

 

 目の前の二人より圧倒的に劣っていることは今は逆に希望にもなる。

 自分よりも強い人間が二人もここにきてくれた、と。

 

 その瞬間だけは、自身の目的も全て忘れて目の前の敵に集中できる。



「これならどうだ、《火災ファイヤ》!」

 


 ゴォ、と今度は炎を吹き荒れた。

 あたりを焼き払う烈火が。

 

 それに対しては、グルルル……と、ケルベロスは唸った。

 みことがどうしたのか、と思った時、



「ガァッハ!」

「《風神》?!」

 


 光が、宙へと跳ね出されていた。

 スーパーボールのように飛んでいった光は、その先でかろうじて着地に成功する。

 

 吹き飛ばされたのが彼女でまだよかった。

 


「何が起きた?」

 


 みことの問いに答えたのは、未来だった。



「光の制御能力を力技で跳ね除けたんだ。簡単にいえば、光の制御していた空気を食って、攻撃した」

「っ、そういうことか」


 

 どうすればいい、とみことは必死に考える。

 

 物理攻撃は食われる。

 能力で攻撃しても食われる。

 

 精神攻撃なんてできないし、そもそもしたところで目の前の相手に精神なんてものがあるのかがわからない。



「……詰んで、ないすか?」

 


 みことはそう思ったが、未来は首を横に振った。



「大丈夫だ。俺たちの最終兵器はまだ出しちゃいねぇ」

「最終……兵器?」

 


 そうだ、と未来がみことに向かって呟いた。

 それがなんのことなのか考える前に相手が襲いかかってきた。



「くそ」

 


 みことは回避する。

 回避して回避して回避して。

 

 当てられたら負けだ。

 やつに触れられて、食われて仕舞えばそこでもうおしまいだ。



「《風神》、解放!」

 


 帰ってきた光が咆哮を上げた。

 しかし、



「だめだ! そんな威力じゃ当たらねぇ!」

 


 今度は食いもしなかった。


 みことの目の前にいたケルベロスはとんでそれを避けた。

 それに流れるようにして、またあのエネルギーの放出。



「今度はさせねぇ! 《強制落石》!」

 


 《ダウンバースト》と《落石》の複合。

 自由落下ではなく、重力以外の力をさらに加えたもの。

 

 それが、相手の攻撃とぶつかった。



「まだ、追加!」

 


 一個では押し切られ、二個でも押し切られ、三個でも四個でも、そうして七個目でやっとそれは打ち消された。



「全力でぶっ飛ばせ、《風神》!!」

 


 みことはそう叫んだ。


 

 それを聞いた、未来が心配した顔でハッと光の方を振り返ったのでみことも振り返る。

 未来は何を心配したのだろうか。叫んだ。



「や、やめろ《風神》!」

 


 そのさきで、光が呆気なく崩れていくのをみことは目にした。



(は? どうして……)

 


 みことは、その瞬間に止まってしまった。

 その隙を見逃さず、ケルベロスは襲ってきた。

 

 あぁ、と全てがスローモーションのように見える。



(あぁ、ここで死ぬんだな)

 


 一閃、閃光が駆け抜けた。

 未来がすがるようにあるいは感謝するように呟くのをみことは聞いた。



「ったく、遅いんだよ。《最終兵器我らが最強》」


 

 先ほどまでの自分たちの攻撃はなんだったんだ、と思うほどに圧倒的な火力を持った。

 流起友野がそこにいた。




《行間》




「全力でぶっ飛ばせ、《風神》!」

 


 そう言われた、光は火力を上げようとした。

 ズキン、と頭が痛む。

 

 これまでにないくらいに尋常に。

 手足の感覚さえもなくなってしまているように感じた。

 

 いよいよ、体が《能力の核オーブ》の放出量に耐えられなくなってきた。



「や、やめろ《風神》!」

 


 未来が何か叫んでいる。



(聞こえない、聞きたくない。ここまできて私だけ甘えるわけにh……)

 


 フツリ、と地面が近づいてきた。

 あぁ、と光は悟った。



(ここで、終わるんだ)


 

 そうして、光の意識は闇に飲まれた。



「し……ん」

 


 最後のその呟きが少年を起こした、などとは知らずに。





《あとがき》

 バッドエンドは嫌いです。(意味深)

 次回はやっと進くんのお話!

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