第6話 【回想】戦に向かう主人
【過去編】崇史二十二歳、希海七歳、さぎりニ十歳。
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さぎりが二十歳になり、
和楊帝国の帝都から半月ほどかかる位置に、強い妖怪が現れるようになった。帝都に向かう街道沿い、盗賊が多く出たことにより、恨みが淀み、妖気の溜まり場ができてしまったらしい。
その妖怪は強く、民間の護衛――忍達では手が及ばず、数人の人死にが出てしまっているとのこと。
そうして、六大公爵家に討伐依頼が来たのだ。
そして問題となったのは、その妖怪の性質である。
木の化身たる木霊の精が、恨みを吸って暴れているらしい。
「
帝の御前にて。
六大公爵家の当主が向かい合い、此度の討伐依頼について、どの家が出向くべきか、会議が開かれている。
そして、萩恒家をと提案したのは、 地を司る異能を持つ
年の頃は四十歳。この国によくある黒髪に、鈍色の瞳。鼻が低く、すっきりとした顔立ち、肌の色が僅かに濃い彼らは、消して醜いわけではなく、端正な顔立ちをしているものの、他の五家からは
そして、彼に真っ向から立ち向かったのは勿論、萩恒家の当主・萩恒崇史である。
「謹んで断り申し上げる。我が家は、先だっての事件で人手がない。周知の事実だ」
「そうは言うがな、萩恒家の当主よ。それを理由にこの四年、お主らの家は、お役目を免除され続けてきたではないか」
「成程、
「我が家を愚弄するか、狐の若造が!」
「家ではなく、貴方個人の不徳を指摘したまで。しかし、家の代表として立たれている御方がそのようなご様子では、家の程度も知れるというもの」
「き、貴様……っ!」
「ほほほ、よく口が回るものよ。これは
「しかし、他の五家では相性が悪いのも事実」
「そ、そうだ! それだけではない、お役目を免除され、このように図に乗らせて良いものか。此度は萩恒家を遣わすべきである!」
「……陛下」
「萩恒家には、人手がない。それは皆の者も分かっておろう」
しん、と静まり返る室内に、帝はただ、穏やかに声を紡ぐ。
「しかし、それだけでは、不満が溜まるのも然り。お役目は、その家の戦士の命を懸けてのもの。ただ漫然と免除を続けるのも、皆に良くないこととなろう」
ぱちりと扇を閉じる音がした後、帝は一つ、息を吐く。
「此度の件、萩恒家に任せる」
「……陛下!」
「萩恒家の血が途絶えることは、なんとしても避けねばならぬ。それ故に、
暗に、萩恒家の当主が死んだ場合は、二家に責任を負わせると告げる帝に、二家の当主は、にやついていた顔を強張らせる。
「そして、萩恒家は、此度の遠征に出た後、五年はお役目を免除する」
「陛下、そのような!」
「その間に、萩恒家の当主は婚姻せよ。これ以上猶予を与えることは無い。まあしかし、そうよの……婚姻せずとも好い。子を成せ」
サッと青ざめた崇史に、五家の当主達は、逆に不思議そうな顔をする。当主であるのだから、早々に婚姻すべきだ。何をそのように、躊躇うことがあるというのか。
崇史は十八歳で当主となり、引継ぎを行い、支えるべき大人達の居ない中、必死に仕事に邁進してきた。それを理由に、婚姻を避け続けてきたのだ。しかし、あれから四年。確かに、帝の言うとおり、そろそろ頃合いである。
そして、ただ二人しかいない萩恒家。五家の中から当主の妻を見繕えば、萩恒家に対する五家の均衡は崩れることとなる。だから、崇史は、侯爵以下の家柄の娘を自由に選ぶこととなるだろう。特に政略も絡まない、恵まれた状況だ。しかし崇史は、死刑の宣告でも受けたかのように、白い顔をしている。
「……承知致しました」
これをもって、その日の会議は解散となった。
崇史は、唇を噛んだまま、最後までその場に残っていた。
―✿―✿―✿―
「たかし兄さま、遠くに行くの?」
「そうだよ、
「すぐってどのくらい?」
「すぐは、すぐだ。そうだな、一ヶ月くらいかな」
「いや!」
「希海」
「嘘つき! 一ヶ月はいっぱい長いもん、すぐじゃないもん!」
そこは湯あみも終えた後、二人の団欒の場であった。
畳の上で仁王立ちをし、むくれたほっぺを見せつけながら、肩口で切りそろえた黄金色の髪を振り乱した希海は、寝巻姿で崇史に立ち向かう。
どうやら、なんとしても、大好きな兄さまを遠くに行かせまいと、立ちはだかっているつもりらしい。
希海は、家の中で一人で育った箱入り娘なので、年の頃に比べ、幼い行動をとることがある。
しかし、それもまた可愛らしい。希海は本当に、可愛いのだ。しっとりと長い、子どもらしからぬまつ毛も、ふくふくのほっぺも、はっきりとした二重の大きな緋色の瞳も、何もかも可愛い。平均より少し低めの身長も、また愛らしい。育ての侍女の欲目ではなく、これはゆるぎないこの世の真実である。その事実を確認し、さぎりは満足そうに頷く。
「さぎり、何がしかに満足している場合ではないぞ」
「崇史様。希海様のお気持ちは、尤もなことにございます。そこはもう、誠心誠意向き合わないと」
「そうよ! たか
「こら。『崇史兄様』だろう?」
「たか兄ぃは悪い子なの。だから、のんはたか兄ぃの言うこと、聞いてあげないもん」
「なんて悪い姪っ子だ」
「たか兄ぃとお揃いよ?」
「それもそうか」
くすくす笑っている二人を、さぎりは微笑ましく見守る。
そうして、希海を膝に乗せると、崇史はさぎりに向き直った。
「さぎり。此度の件、どうしても断ることができなかった。帝の思し召しだ」
「帝の……」
「だから一月、家を空ける。……その間、家のことは、叔父上が管理することとなった」
青い顔をするさぎりに、崇史は苦虫を噛み潰したような顔をする。
崇史の言う叔父とは、崇史の母方、萩恒家ではない方の叔父だ。
名を、
彼は、四年前のあの事件の後、この萩恒家を助けることをしなかった。葬儀には参列したが、希海の力を恐れ、この家に近づくことがなかった。
ただ、ずっと、この家の管理に口だけは出そうと、崇史に手紙を送りつけたり、外で話を持ち掛けたり、嫌な態度が続いていた。
だから、さぎりはなんとなく、彼に対して良い印象を持つことができずにいるのだ。
「すまない」
「いいえ。私は、希海様にお仕えするだけです。やることは変わりませんから」
「そうか」
「それよりも、崇史様。ご自身の心配をしてくださいませ。大丈夫なのですか?」
「……うん。他に二家も手伝いが入る。問題ないだろう」
心配するさぎりに、崇史は嬉しそうに、恥じらうような笑みを浮かべる。
その爽やかな微笑みに、なんだかさぎりは恥ずかしくなってしまって、つい俯いてしまう。
「さぎりー、顔が赤いの」
「えっ!? いえ、そんなことは」
「風邪かなぁ。ね、たか兄ぃ。さぎりはお休みした方がいいと思う!」
「そうだな、それがいい。私が送っていこう」
「ええ!? いえいえ、大丈夫です。一人で行けるので」
「のんも行くー!」
「そうだな、それがいい。先に希海を送り届けてから、さぎりを送り届けよう」
「えええ!? で、ですから、私は……」
「おくりとどけよー!」
「送り届けよう」
「ええええ!?」
結局、仲のいい二人の主人に推されて、私達は三人で希海の部屋へと向かい、希海を寝かしつけた後、崇史と二人で、住み込み
部屋の前まで来たところで、さぎりがへらりと笑って、送り届けてくれた礼を言うと、崇史は深刻な顔で彼女の名を呼んだ。
「さぎり」
さぎりは、不味いと思った。
なぜなら、崇史が言おうとしたことが分かってしまったからだ。
「崇史様」
「何故避ける?」
「避けて、なんか」
「俺が嫌いだからか」
「そんなこと!」
「そう、良かった」
目を伏せ、哀しそうにする美丈夫に、さぎりは慌てて取りすがる。
すると、崇史は、悪戯が成功したときの希海のように、嬉しそうな顔で砂霧を見つめて、抱きしめた。
「た、崇史様。いけません」
「嫌なら、突き放せばいい」
「私はか弱い娘です」
「力は入れていない」
「か弱い侍女です。主人を突飛ばしたら、存在が吹き飛ぶ程度の」
「だけど、俺の好いた女性だ」
ゆるくさぎりを抱きしめてきていた腕が、ふわりと外れる。
離せと言っておきながら、不謹慎にも物足りないような気持ちになってしまい、さぎりが恐る恐る崇史と目を合わせると、そこには、乞うような緋色の輝きが揺れていた。
「好いた
真摯な男性のような顔をしているが、この崇史という主人は、その言葉で、さぎりがどれほど動揺しているか、手に取るように分かっているのだ。顔を真っ赤にして、蜂蜜色の瞳を潤ませるさぎりの額に、崇はそっと唇で触れる。
「崇史様」
「さぎり。まだ決心はつかないか」
「まだ、と、いうより……」
「まだ、だ。早く堕ちてこい」
「なんてことを言うんです」
「婚姻を命じられた」
びくりと肩を跳ねさせるさぎりに、崇史は自嘲する。
「いや、違うな。帝はこうおっしゃられた。婚姻しなくても好いから、子を成せと」
「……!? こ、子を!?」
「俺が、未だ届かぬ恋に溺れていることを、ご存じのようだ」
「届かぬ……」
「こうして近くに居ても、焦がれる相手はつれない素振りだ。なあ?」
するりと頬に手を滑らされ、さぎりは恥ずかしくてみっともない顔をしてしまったように思う。
けれども、崇史は蕩けるような顔をして、より喜んでしまった。さぎりは、解せないと不服に思う。
「私と崇史様では、身分が、違います」
「帝も認めている」
「そうと決まったものでは」
「決まっているとも。『婚姻』が想いを阻むなら、しなくとも好いと仰せだ」
「……! で、でも、綺麗じゃ、ないから。体だって……」
「綺麗だ」
違う。
だって、さぎりの体は、この四年間で、火傷の痕だらけになってしまった。
希海は七歳だ。大きくなった。狐火の操り方も達者になり、もう、今までみたいに火傷をしてしまうことも少なくなってきた。だからこそ、崇史の叔父・佐寝蔵律次が、留守を預かるなどと言い始めたのだ。
けれども、さぎりの体の傷痕は消えない。そしてそれは、嫁入り前の娘としては致命的な
身分が違う上に、事故物件。そんなさぎりを、さぎりは崇史に押し付けたくはなかった。
なのに。
「さぎりより綺麗な女性なんて、知らない」
ぽろりと落ちた涙に、崇史はただ、優しく微笑んでくれる。頬に口付け、さぎりを好きだと、そう言うのだ。
さぎりは迷っていた。
自分のことだけを考えるのであれば、崇史の想いに堪える以外の選択肢はない。
けれども、自分が嫁ぐことで、崇史の得るものはなんなのだろう。
希海の力のことも、彼を阻むことがなくなった。彼は今、誰をも傍に侍らせることができるのだ。
きっと、彼の想いは、この四年間の危機的な状況が生み出した、一時的なもの。
そうして、崇史の元を去るかどうか迷っている最中に、崇史の叔父・佐寝蔵律次はやってきた。
希海の周りに、新しい使用人達を入れ、崇史に、家のことは心配するなと言い、彼を戦場に送り出す。
そうして、崇史が居なくなったところで、律次はさぎりを呼び出したのだ。
「
「えっ」
「お前、崇史に近づいているようだな」
カッと顔を赤らめたさぎりに、律次は嘲るような笑いを浮かべる。
「相手にもされていないだろうが……遊ばれていたとしても、この四年の、一時的なことだ。分かっているか」
「……はい」
「崇史には、他に妻を宛がう。私の懇意にしている御方の娘でも、私の娘でもよかろう。候補には苦労せん」
それは、分かっていた話だ。
そして、そのことを乗り越えてまでの何かを、さぎりは持っていない。
「だが、お前が傍にいては困るのだ」
「困る……?」
「崇史との間柄を疑われてもおかしくない年齢、崇史と希海に最も近く侍る、一人だけ残った未婚の
余りの言われように息を呑むと同時に、それは正鵠を射たものであったため、さぎりはただ青ざめる。
「そうでなくとも、醜い火傷痕だらけで、見目が悪く、そういった意味でも、主人の評価を下げる。お前のような者は、
そうして、律次は最後に言い放ったのだ。
「
こうして、さぎりは萩恒家を出た。
その、胸の内に燻る炎のような気持ちには、蓋をして。
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