幕間:拾う者

 遠くで、甲高いサイレンの音が鳴り響いている。


 降り始めた冷たい雨が、アスファルトの黒を濡らし、点滅する信号機の光を滲ませていた。日常が悲鳴を上げて崩れ去った、ありふれた事故現場。その喧騒の中心から少し離れた場所に、一人の女が静かに佇んでいた。


 夜の闇よりも深い、黒髪。時折、街灯の光を弾いて、金の糸がその内に織り込まれているかのように輝く。この世のどんな赤よりも鮮烈な光を宿した瞳が、騒がしい救急隊員たちではなく、道の隅にあるゴミ集積所へと向けられていた。


 女は、事故現場に背を向ける。


 そして、雨に濡れてふやけ始めたゴミ袋の山の中から、一冊のスケッチブックを、まるで至上の宝物かのように、指先一つ汚さずに拾い上げた。


 パラリ、とページをめくる。


 そこに描かれていたのは、お世辞にも上手いとは言えない、けれど、どうしようもないほどの熱量を孕んだ絵だった。


 世界から「落ちこぼれ」と蔑まれながらも、その身に秘めた、何にも染まらない、無限の可能性を信じようともがく少年の物語。属性という世界の「理(ルール)」に縛られない、たった一人の魔法使いの姿。


 女の唇に、三日月のような、微かな笑みが浮かんだ。


 それは、何万年も探していた答えを、最も予期せぬ場所で見つけた者の笑みだった。


「――なるほど。こういうことか、アカシャ」


 ぽつりと、雨音に混ざって呟く。


「この魂は、私が貰い受けよう」


 その声は、これから始まる壮大な物語の、最初のページがめくられた音のようだった。

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