第36話‐邪神の眷属
「何が起きている! 外の騒ぎは何だ!?」
ディルムッドが叫んだ。それに応じるかのように、聖堂の入り口付近に立っていた衛兵の何人かが扉の前に集まり出す。この騒ぎの原因が掴めず、緊張感が高まった聖堂内も、外の騒ぎに釣られてざわざわと騒がしくなり始めた。
「……シーちゃん、剣にへんしんして。
ウィータが緊張感のある声で口を開いた。
シーが見ると、先程までの怯えた表情はなりを潜め険しいものとなっている。何かに気付いているのか、スンスンと鼻を動かす彼女は、既に儀礼用のローブを脱ぎ捨て、下に着ていた何時もの服装を整えながら臨戦態勢に入っていた。
「……分かった」と、言われるがまま剣に変身したシーを、ウィータは装備する。
「……このにおい、
「っ! じゃあ、この騒ぎは奴らの——」
「——ううん、ちがうと思う。
そう言って、ウィータは額から一筋の冷や汗を垂らした。意味深なその言葉を聞き、静かに息を呑んだシーは徐々に緊張感が高まり始めた聖堂内へと視線を移す。
外の騒ぎとは対照的に、聖堂内には薄ら寒い静けさが満ちていた。一瞬にして異様な空気感に支配された人々は、得体の知れない『何か』の存在を感じ、静かに立ち上がって入り口から離れて行く。
その行動とは対照的に、聖堂内の人々——半狂乱に陥ったエドモンドを除いた全員の視線だけは、入り口扉へと吸い込まれて行く。歴戦の猛者であるジャンやカルロ、見た目に似合わず肝の据わったあのディルムッドでさえ、場の空気に呑まれ、何も言葉を発せられずにいた。
根源的な恐怖心から来る荒い呼吸音と心臓の音だけがやけに大きく聞こえる聖堂内。満ち満ちた静寂を破るように、ウィータが流した一筋の冷や汗が、ぴちょん——、と……床に落ちた。
「——来るっ……奴が来る……っ!」
そして、半狂乱に陥ったエドモンドがそう呟いた——次の瞬間だった。
不意に扉が開き、ギィィ……、と。不気味な開閉音が響き渡る。
その扉の奥から現れたのは——
突如として現れた不気味な戦士を見た瞬間、聖堂内が一瞬にしてパニックに陥る。
悲鳴を上げながら逃げ惑う人々。転んだ前の者を押し退け、我先にと別の出口へと駆け出して行く。とち狂った羊を追い込む牧羊犬が如く、その背中達を、首の無い戦士は二振りの剣を掲げて追いかけて来た。
「……衛兵っ!! この場の指揮は私が執る! 各自っ、この場の人間と外の市民の安全を最優先にしろっ!!」
その中で、冷静に衛兵たちへ指示を出し、脇に差した自前の剣を抜いたディルムッド。「……お前達は、その男を見張っておけ」と、エドモンドを捕縛していた衛兵二人に指示を出し、自身も首の無い戦士の元へと駆けて行く。
得体の知れない敵を前に委縮していた衛兵たちだったが、勇敢に一歩前に出た彼の姿に鼓舞されたのか、そのままディルムッドの指揮下の元、襲い掛かって来た首の無い戦士と交戦を繰り広げ始めた。
「なに、アレ……?」
「……どう見ても死体だが……カルナ、アレに心当たりはあるか?」
「何らかの魔法を使って操っていると考えるのが妥当ですが……少なくとも、自分の知識の中に死体を操る魔法などという魔具はありません……」
「と、なると……魔術、か?」
敵の正体について考察していたジャンとカルナが、シーとテメラリアの方を見る。魔術についての知見を求めたのだろう。ウィータも「シーちゃん、わかる……?」と、問い掛けて来る。
「「……」」
「……? どうしたの、二人とも?」
その問い掛けに、シーとテメラリアは答えられなかった。
いや——その表現は正しくないだろう。何故ならシー達は、アレの正体について嫌という程に知っているからだ。千年前に幾度となく見た首の無い戦士——。
いる筈の無い敵を前にして、シー達はあまりの衝撃に言葉が出てこなかったのである。呆けたように固まるシー達に業を煮やしたのか、ウィータの「二人とも!」という喝で我に返ったが、すぐに陰鬱に表情を濁らせた。
「……アレは、邪神の眷属だ」
テメラリアが、思い出したようにポツリと呟いた。
「神は、精霊や悪魔と同じように人間と契約する事が出来る……中でも一部の強大な力を持った神と人間の契約は特殊でな……。自身の力を分け与えて不老不死にしたり、死者に仮初の命を与えて疑似的な死者蘇生さえ可能にしたりするんだ——
「死者の、蘇生……? 可能なんですか、そんな事が……?」
「……ケケッ、可能なんだろうぜ、あの邪神ウルには? だが——邪神の眷属の一番恐ろしい部分はそこじゃねェ。一番恐ろしいのは、ウルが自らの眷属を完璧に隷属させる為に、
カルナの質問に、シーとテメラリアが答える。
シー達の話を聞いて怪訝に表情を歪めた彼らは、視線を首の無い戦士へと向けた。テメラリアの言葉——『ウルが自らの眷属を完璧に隷属させる為に、あァして首を捥いじまうことだ』という部分が気になったからだろう。
その疑問に答えるように、テメラリアはさらに言葉を続けた。
「……
「「「……」」」
話を聞いた三人は恐ろしさで言葉が出てこない様子だった。
シーとテメラリアも、彼等と同じで次の言葉を紡ぐ事が出来ず黙ってしまう。しかし——彼らとは違う理由で、だ。
「——ねぇ、シーちゃん、テラちゃん」
その沈黙を破るように、ウィータはポツリと言った。
「……なんで、ここに『じゃしんのけんぞく』がいるの?」
「「っ……」」
奇しくもその質問は、シー達が黙った理由の核心を突いていた。分かり切ったその答えに、シーは「……そんなの決まってる——」と口を開く。
「——
キィン——、と。甲高い音が鳴り響いた。シーが言い終わると同時、邪神の眷属である首の無い戦士がディルムッドの剣を弾いたのだ。
「ぐぅ……っ!?」
「議長……!」
そのまま後ろに倒れ込んだディルムッド。都市の長である彼の身を案じ、衛兵たちの意識が目の前の敵から逸れる。その隙を縫うように、ギョロリと此方へと身体を向けた首の無い戦士と、シー達は一瞬だけ視線が交錯した気がした。
無い筈の頭、その頭についた両目が喜びに歪んだかのように見えた次の瞬間、脱兎の如く駆け出した首の無い戦士が、シー達目掛けて走って来た。地面を蹴って高く飛び上がり、二振りの双剣を上段に構える。
「来るぞ! 構えろ!」とジャンが叫び、全員が腰を低くした。
一拍の間を置き、落下の衝撃が乗った一撃がウィータへと振り下ろされる。腰を落とし、上手く剣で受け止めた彼女は、一瞬の鍔迫り合いの後……「っ!」と、驚きで眼を大きく開く。
スンスンと、鼻を動かすと「シーちゃん……っ」と、焦った様子でシーに向かって叫んだ。
「コイツ、
「……っ!?」
言われて気付く。襲撃時と違い首から上が無く、普段着のため分かり辛かったが……この二振りの剣と、洗練された剣筋には覚えがある。……だが、何故? 何故この男が邪神の眷属になっている?
「——フンッ!!」と、シーの思考を遮るようにジャンがトポスの布手袋から取り出した大剣を大上段から振り下ろす。後ろへ跳んでそれを回避した首の無い戦士——ハンス・シュミットは、軽やかに地面へ着地した。
「——【
着地のタイミングを狙い澄まし、後方で詠唱文を唱えていたカルナが魔法を閉じ込めた魔具——
「大丈夫か?」
「……うん、だいじょぶ。でも、アイツって……」
「……気付きましたか? 間違いありません……ハンス・シュミットです。でも、何故あの男が……」
「考えてる暇はねェぜっ? ……
「「「「……っっ!!」」」」
テメラリアの一喝。見ると、入り口から幾人もの首の無い戦士——邪神の眷属に変えられたシャーウッド傭兵団が雪崩れ込んで来る。弾かれるように武器を構えたシー達だったが、敵集団から勢いよく飛び出して来た二つの影に、一瞬の遅れを取ってしまう。
「ぐぅ、ぁっ——」
「小娘!」「ウィータちゃん!?」
——ブゥン、と。下から振り抜くような大剣の一撃。
腹に走った衝撃に喘いだウィータは、何とか剣でのガードが間に合ったようだが、そのまま大聖堂の天井に届こうかという高さにまで吹き飛ばされる。ジャンとカルナが助けに入ろうとウィータを呼ぶが、そうはさせないとばかりに他の邪神の眷属が彼等に斬りかかった。
「おのれっ、木偶共が……!」と、ジャンの悔しげな声が聞こえる——
「——油断するな、テメェら!?
「「……っ!?」」
——その瞬間を狙い澄まし、いつの間にか
テメラリアの声が無ければ気付けなかった。ウィータは咄嗟の判断で、身を捻り剣でそれを弾くが……弾かれた先には、先ほどウィータを吹き飛ばした邪神の眷属——
「……っ!!?」
「コイツもかよ……っ!?」
見覚えのあるその大剣とシルエット——二週間前、自身の手で殺めたはずのマックス・ムスターマンの姿を見て、ウィータの表情から驚きと恐怖が入り交じったような感情が漏れる。表に出た怯えを振り払うようにギリリと歯を食い縛って、彼女は体勢を整えようとするが……間に合わない!
「——え……!?」「……っ!?」
次の瞬間、ギャリィィン! と。
何故か、ウィータ本人ではなく、その剣——シーを狙って大剣を振り抜いたマックス。強い衝撃で変身が解け、小さな狼の姿に戻ったシーは、「ぶべ!?」と、無様に地面へ転がった。
「がっ、ぁ……!?」
「っ……ウィータ! 逃げろ!!」
そのまま地面に落下したウィータは、頭を強く打ったのか、額から僅かに血を流してその場に蹲った。よろめきながらも立ち上がろうとするが、天井から飛び降りて来たハンスと、大剣を構えたマックスに狙われている。
(——不味いっ! 間に合わない……!?)
脳裏にウィータが血ダルマになっている姿が過り、シーは全力で無防備なウィータの元へと走った。
「……ちがうっ、シーちゃん!
「ぇ……っ」
ウィータがそう叫んだ次の瞬間、ハンスとマックスは構えた武器をウィータへ降り下ろす事なく、マヌケにも無防備で敵に飛び込んで行った
予想外の攻撃に反応できなかったシーは真っ直ぐと迫って来る二つの刃を、呆けたように見つめ——
「——こォんのバカたれがァ!!」
「うぉっ!?」
ビュンっ、と。刃が振り下ろされる寸前、シーと同じ位の大きさの影が通り過ぎる。その影——テメラリアは、呆れ半分、怒り半分といった風に叫ぶと、シーの首根っこを鉤爪で鷲掴み、女神ユースティアの彫像の下まで運ぶと、ポイっと、乱暴に投げ捨てる。
「うべぇ!?」と、地面に叩きつけられたシーは情けない声を上げた。
「いってぇなぁ……っ、もっと優しく投げろよ!」
どうやら助けてくれたようだが、もうちょっと丁寧に扱ってくれてもいいんじゃないだろうか。シーがぷんすかと抗議の声を上げると、テメラリアは額に青筋を浮かべて「うるせェ! このアホ!!」と、思った以上に本気で怒った声音が返って来る。
「敵は邪神の眷属だぞ!
「……っ!」
ピシャリと言われて気付く。シー——邪神ウルをあと一歩という所まで追い詰めた変身の大精霊シーがいる場所に、邪神の眷属がいるという事……その理由は、考えればすぐに分かる事だ。
間違いない。邪神ウルは、変身の大精霊シーを殺しに来たのだ。
——自身を殺し得る可能性を一つでも多く潰す為に。
「シーちゃん!
「!」
ウィータの声。顔を上げると、すぐそこまでハンスとマックス……そして、他の邪神の眷属たちがゾロゾロとシーの方へと走って来ていた。
「——シー!
「……あぁ、その方がいいみたいだな!」
テメラリアの提案に乗ったシーは、
「一旦、退く! 乗れ!」
「……わかった!!」
言うや否や、強く地面を蹴って跳び上がったウィータは、綺麗にシーの背中へと着地した。ウィータ——と、いつの間にか背中にしがみ付いていたテメラリア——が背中に乗ったのを確認したシーは、器用に空中を旋回しステンドグラスの方へと方向を転換——
「シーちゃん、テラちゃん! あそこ!」
「「……っ!!」」
——した瞬間、壁を走って来るハンスとマックスの姿をウィータが見つける。そのまま壁を蹴り上げ、空中にいるシーへと襲い掛かって来た。
「……させんぞ!!」
叫んだのはジャンだった。
いつの間にか杭のようなものがついた二本の鎖を持っていた彼は、それを投擲。見事にハンスの太腿と、マックスの脇腹に命中する。肉を抉って貫通した鎖が、返しとなって奴らの身体に引っ掛かると、ジャンは「フン——ッ!」と、気合の乗った声と共に、鎖を思いっ切り引っ張った。
鎖に引っ張られたハンスとマックスは、他のシャーウッド傭兵団が固まっていた場所へと叩きつけられる。
「——【砕け散れ、喚き散らす氷天の
そして
両腕で無い筈の頭を覆い、防御態勢を取った彼らへ次々と直撃した氷の礫は、ダメージは大したダメージは無いようだったが、直撃した傍から凍り付き、傭兵たちの全身を氷で覆い始める。
数秒ほどで魔法の発動が終わると、白い冷気の中から身体が地面と一緒に凍り付けになり、その場から動けなくなったシャーウッド傭兵団の姿があった。
「今のうちに行って下さい! どのみち長くは持ちません!」
カルナの言葉通り、シャーウッド傭兵団を覆っていた氷がすぐにパリパリと砕け始める。力任せに身体を動かし、無理矢理に氷を砕いているのだ。それを見たシーは、「ありがとうっ、助かった!」と礼を残し、ステンドグラス目掛けて力いっぱい羽搏く。
その羽搏きによる風圧で、聖堂内を一陣の風が通り抜けた後、甲高い音と共にステンドグラスが割れる音が響き渡った。
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※後書き
次の更新は、4月17日20時30分です。
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