第29話 ヘアピン


「すみません、遅くなりましたっ」


 食堂に駆け込むと、既にお客さんが入り始めていたが、まだ本混みではなかったのは幸いだった。


「焦んなくてもへーきだよ。ゆっくり準備してきな」


 エリスさんが厨房から顔を出して、いつもの調子で言う。

俺は小さく頭を下げてからバックルームへと入り、荷物を置いて着替えをした。


 今日で既に三日目になるが、だいぶ仕事には慣れてきたような気がする。


注文内容もすぐに頭に入ってくるようになったし、配膳も素早く行えるようになってきていた。

エリスさんからも、手際が良くなってきたね、と褒めてもらえた。

この年になって褒められるという行為に慣れておらず、思わず少しばかり照れてしまう。

そんな様子を見てからかわれるので、更に顔が赤くなるのを感じた。


 何はともあれ、仕事には少し遅れてしまったものの、無事に今日も仕事を終える事ができ、今はバックルームで帰る前に一休みしているところである。


「そういえば、キリーカは奥ですか?」


「そうだけど、何か用があるなら呼んでこようか?」


「いえ、大した用ではないので。昼間のお詫びにちょっと土産を買ってきたので、渡しておいてください」


 そう言って、小さな包をテーブルに置く。


「そういうのはちゃんと直接渡してあげないとダメだよ。それに、あたしには何も無いのかい?」


「あ、その……また今度、何かしら、ということで……」


「あはは、冗談だよ冗談。ちょっと待っといてくれよ」


 ケラケラと笑いながら、エリスさんがエプロンで手を拭きながら奥の住居スペースへと入っていく。

遠くでキリーカを呼ぶ声が聞こえる。


 しばらくすると、キリーカが小走りでバックルームへとやってきた。


「す、すみません……、遅くなりましたっ……」


「いや、こっちこそ呼び出す感じになっちゃってごめんね」


「い、いえ。私はぜんぜん、全然だいじょうぶなので……!」


「そ、そう?なら良かったんだけど……。あぁ、用件なんだけどさ」


 そういって、小さな包をキリーカの前に突き出すと、両手でそっと受け取ってくれる。


「これは……?」


「昼間、なんだか落ち込ませちゃったみたいだからさ、お詫びと、これからよろしくって気持ちも兼ねて、お土産。大したものじゃないんだけど、似合うかなって思って」


 キリーカが包みを、破かないようにと丁寧に広げている。

別に破いてもいいんだよと伝えても、綺麗に開けようとしていて、律儀な子だなと思った。


 そうしてようやく中身のヘアピンを取り出すと、わぁと小さく声を漏らす。

表情はあまり見て取れないが、喜んでもらえたのだろうか。


「……私、お姉ちゃん以外の人から、プレゼントされるの、初めてで……。とっても嬉しい、です。ありがとうござい……ます」


 そう言って、両手でヘアピンを握りしめ、胸元で大事そうに抱えてくれるのを見て、なんだか心が暖かくなった気がした。

喜んでもらえて良かった。


「まぁ、用件はそれだけなんだけどさ。わざわざ呼びだしちゃってごめんね」


「いえ……その、大丈夫ですよ……?」


「そっかそっか。なら良かったんだけど」


 と、会話が途切れてしまう。今時(?)の女の子との会話など、生きていた頃にもまともにしたことがないので、どんな風に話を広げていいか分からなかった。


いつもはエリスさんがいるので、うまく会話を繋げてくれるのだが、今は二人きりである。

何か会話のネタはないか考えていると、キリーカの方から話しかけてきた。


「あの……、明日は、その、今日より、お話、でき、ますか……?」


「ん?あぁ、そうだね。今のところは特に予定は無いし……多分、大丈夫だと思うよ」


「多分、ですか……?」


 なんだかとても悲しそうなトーンになる。


俺は思わずとっさに、

「いや絶対! うん。明日は絶対大丈夫!」


「……! それじゃぁ、その……楽しみに、してます、ね」


 先程とは打って変わって、嬉しそうなトーンになる。


 そして、首を小さく傾げながら言うキリーカの前髪がふわりと横に流れ、隠れていた目元がちらりと見え、視線が重なった。

 

 その『笑顔』は、思わず見とれてしまう程に可愛らしかった。

そう感じると同時に、こんなおっさんに見つめられても気持ち悪がられるだけだろうと思い、スッっと視線を逸らした。


「それじゃあ明日に備えて、今日はそろそろ帰るよ。それじゃあ、また明日」


「はい……、おやすみなさい、です。お兄さま」


「お、おに……?」


 突然のお兄様呼びに面喰らっていると、


「ダメ、ですか……?」と泣きそうな声で言われてしまえば、


「全然! オッケー、大丈夫大丈夫!」と言わざるを得ないだろう。


 ふと奥の方を見ると、こっそりと覗きながら、笑いを堪えているヱリスさんが見えた。

いつから見ていたのだろうか……。


「えっと……、じゃあ、おやすみキリーカ」


 この場に居づらくなった俺は、別れの挨拶を仕切り直して荷物片手に食堂を後にしたが、外の角を曲がる所までキリーカは見送りをしてくれている。


曲がり際になんとなく手を振ると、キリーカも小さく手を振り返してくれた。





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