盧循6  敗死

盧循ろじゅんの勢力はいよいよ底を尽き、もはや逃れきれぬと悟り、先んじて妻子十人あまりを毒殺すると、更に妾らに問う。


「私は死のうと思うが、ともに逝こうと思う者はおるか?」


ほとんどの者はこう答えている。

「雀や鼠ですら生にしがみつくものです。わざわざ死を選ぶなど、人情として受け入れるのは至難です」


ただし、こう言うものもあった。

「あなた様が亡くなろうとなさるのに、どうして私などが生を願いましょうか!」


この後、死を拒否した者は毒殺され、その後盧循は泉に飛び込んで死んだ。杜慧度とけいどはその死体を引き上げて首を斬った。また盧循の父、盧嘏ろかも斬った。その共謀者たちはことごとくが捕まえられ、盧循の首は建康に送られた。




循勢屈,知不免,先鴆妻子十餘人,又召妓妾問曰:「我今將自殺,誰能同者?」多云:「雀鼠貪生,就死實人情所難。」有云:「官尚當死,某豈願生!」於是悉鴆諸辭死者,因自投于水。慧度取其屍斬之,及其父嘏;同黨盡獲,傳首京都。


(晋書100-11)




投水自殺と言うことは、孫恩のあとを追う、という認識でいいんでしょうかね。とは言えだいぶ孫恩の時代と盧循の時代では教団の性格も違っていそうだし、この辺が実際にどう違うのかを、徐道覆の参与に見るべきなのかなあ、という気もしています。劉裕も「狂信に悪知恵までついた」と宋書武帝紀で言っていましたし、番禺にやって来た盧循の率いている勢力に徐道覆が目をつけて戦力とした、とすればいいんでしょうかね。このあたりもうちょっと掘り下げられないもんかなあ。いまは徐道覆まわり、小説しかできる気がしない。当時の始興、えー現広東省韶関市? そこに行ければ何らかの民間伝承とかあるのかなあ。まぁでも地方史ってどこまで残ってるもんなんでしょね、少なくとも地元史で遊んでる肌感覚からして、西暦1000年より前って結構しんどそうなんだよなあ。


まぁ、なんか知れるチャンスがあれば臨んでみたいですね。とは言え中国に行けるなら最優先が南京ナンキン(=建康けんこう)、次いで鎮江ヂェンジャン(=京口けいこう)、そして紹興シャオシン(=会稽かいけい)だけど。

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