桓玄21 義旗立つ
○晋書
兄の
その性格はとにかくせっかちであり暴力的、いきなり誰かを呼びつけたと思えばすぐに来いと言う。このため直属の官吏たちはみな厩の前からまともに離れることもできなかったし、また「あまり慌ただしく動くな」なる下命もあったため、臨時の案件にもまるで対応できず、朝廷の政務がほぼ機能しなくなった。こうしたいきあたりばったりの政令に人々は疲弊し切り、恨み、怒り、乱を立ち上げんと目論むものも十家のうち八家、九家にすら及んだ。
こうしたことから
時期が至ると、劉裕は
○魏書
特に新規情報は無い。
玄自篡盜之後,驕奢荒侈,遊獵無度,以夜繼晝。兄偉葬日,旦哭晚遊,或一日之中屢出馳騁。性又急暴,呼召嚴速,直官咸系馬省前,禁內嘩雜,無復朝廷之體。於是百姓疲苦,朝野勞瘁,怨怒思亂者十室八九焉。於是劉裕、劉毅、何無忌等共謀興復。裕等斬桓脩於京口,斬桓弘於廣陵,河內太守辛扈興、弘農太守王元德、振威將軍童厚之、竟陵太守劉邁謀為內應。至期,裕遣周安穆報之,而邁惶遽,遂以告玄。玄震駭,即殺扈興等,安穆馳去得免。封邁重安侯,一宿又殺之。
(晋書99-21)
玄驕逸荒縱,不恤時事,奏案停積,了不省覽;或親細事,手注直官,自用令史,制度亂出,主司奉答不暇。晨夜遊獵,文武因乏。直侍之官,皆繫馬省中;休下之吏,留供土木之役。朝士勞瘁,百姓力盡,民之思亂,十室而八。德宗彭城內史劉裕因是斬徐州刺史桓脩於京口,與沛國劉毅、東海何無忌收眾濟江。
(魏書97-15)
桓玄さんひどいなー(しろめ
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