桓玄19 建康入り
○晋書
群臣は密かに顔をつきあわせて言う。
「これではまるで葬送の車ではないか。
また
同月、桓玄は聽訟を視察。収監されていた罪人たちを自ら視察し、罪の多寡にかかわらず、その多くが許され釈放された。桓玄の乗る輿に直接窮状を訴え出るものがいたら、その時の気分によってその者に施しをくれてやったりもした。こうしてささいな恵みを与えることで悦に浸っていたわけである。
自らを水德のひとであると自認、そこに基づき祖宗を祭った。
○魏書
桓玄が建康宮入りした月はとても寒く、中でも当日がもっとも甚だしかったと書かれる。政は基本的に苛政であったが、まれに小惠をほどこしたという。ただ桓玄は遊びほうけることも多かったが、建康入りして以降は出歩かなくなったとされる。
玄入建康宮,逆風迅激,旍旗儀飾皆傾偃。及小會於西堂,設妓樂,殿上施絳綾帳,縷黃金為顏,四角作金龍,頭銜五色羽葆旒蘇,群臣竊相謂曰:「此頗似輀車,亦王莽仙蓋之流也。龍角,所謂亢龍有悔者也。」又造金根車,駕六馬。是月,玄臨聽訟觀閱囚徒,罪無輕重,多被原放。有幹輿乞者,時或恤之。其好行小惠如此。自以水德,壬辰,臘于祖。改尚書都官郎為賊曹,又增置五校、三將及強弩、積射武衛官。
(晋書99-19)
玄入建鄴宮,逆風迅激,旌旗、服章、儀飾一皆傾偃。是月酷寒,此日尤甚。多行苛政而時施小惠。迎溫神主進于太廟。玄遊行無度,至此不出。殿上施金額流蘇絳帳,頗類轜車、王莽仙蓋。
(魏書97-13)
なんかもう、ほんと桓玄伝の読めなさがヤバい……なんでこの伝こんな意味の取れない漢字が頻出するんだ……つら……
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