桓玄6  西方不穏

○晋書


さて桓玄はもともと荊州で無位無冠でブイブイと言わせていたわけだが、その状態ですら士庶は桓玄を憚っていた。そんな人物が州牧となったわけで、警戒は最高潮に達した。殷仲堪の親戚郎党は桓玄を殺してしまうべきだと勧めたが、殷仲堪は聞き入れなかった。尋陽じんように帰還したところでその声望や門地のゆえに盟主として推挙されたわけだが、これによって桓玄の自負心は過去最高に高まった。


楊佺期ようせんきの性格は悪い意味での豪傑、しかも弘農楊氏という天下一級の家門の後継者であることを自負し、江南に並ぶこと無き名門と標榜していた。しかし桓玄はそんな楊佺期を寒門の士として扱う。このことに楊佺期は大いに恨みを抱いており、会盟の地にて桓玄を襲撃してやりたいと考えていた。しかし殷仲堪は楊佺期やその兄である楊広の暴れん坊ぶりを知っていたため、いざ桓玄が殺された後には自分の番が回ってくるのではないかと恐れ、必死で楊佺期の凶行を食い止めた。こうして会盟はなにごともなく終わり、それぞれが任地に撤収する。いっぽうで桓玄はここで楊佺期に企みごとがあったことを察知、内心で制圧してしまおうとの意図を抱きつつ、夏口かこうに駐屯した。


隆安りゅうあん年間、すなわち安帝が即位して間もなくのころ。桓玄に都督ととく荊州四郡けいしゅうよんぐんが加えられ、また兄の桓偉かんい輔國將軍ほこくしょうぐん南蠻校尉なんばんこういとする詔勅が下された。殷仲堪は桓玄の勢力拡大を恐れ、楊佺期と婚姻関係を結ぶことを決意した。


これより以前のこと、桓玄と殷仲堪楊佺期との間に仲違いが生じたとき、それぞれが相手の襲撃を警戒し、朝廷に任地の拡大を願い出ていた。朝廷もまたこの仲違いが拡大してほしいと思ったため、そこで楊佺期の任地のうち四郡を桓玄に与えたのである。もちろん楊佺期は激怒するとともに桓玄への警戒を更に高めた。そうした局面で、今度は後秦こうしん姚興ようこう洛陽らくようを攻撃。よう楊佺期は迎撃のための軍を編み、洛陽への救援を高らかに宣言。とはいえその本心は、編んだ軍を運用して、殷仲堪とともに桓玄を襲撃する心づもりであった。殷仲堪は表向き楊佺期と姻戚関係を結んだが、一方ではその内心を疑い、この襲撃計画を拒絶した。とはいえそれで楊佺期を抑え込める気もしなかったため、その監視役としていとこの殷遹いんきつを楊佺期の任地との境界に配した。楊佺期は単独で桓玄打倒を果たせる気もせず、しかも殷仲堪の目論見がどこにあるのかも測りきれなかったため、結局この計画を中止した。


この頃、楊佺期の兄である楊広が南蠻校尉となっていた。桓玄と連動して動く桓偉の動きを食い止めたい、と殷仲堪に願い出たが、聞き入れられない。それどころか宜都ぎと建平けんぺい二郡太守にぐんたいしゅ征虜將軍せいりょしょうぐんへの転属となった。荊州の西の端への転属、つまりは前線からの左遷措置である。


これより以前、楊佺期の弟である楊孜敬ようぼくけいが江夏相となっていたのだが、桓玄は手勢に襲撃させたうえ、楊孜敬を自らのもとに招き、諮議參軍しぎさんぐんに任じていた。名目上は招聘だが、実質人質として劫略したに等しい。そして楊佺期が不穏な動きをし、しかし思いとどまったのを見るなり、桓玄は軍を興し、西方に進軍を開始。表向き洛陽の救援を大々的に歌い上げ、その上で殷仲堪には手紙を送ってよこす。そこにはこのように記されていた。


「楊佺期は國恩を受けておきながらもみすみす歴代晋帝のみささぎを夷狄になされるがままとした。ともにその罪を糾弾すべきである。今、私も自ら兵を率い、金墉城きんようじょう(洛陽城北西部に構えられた砦)に急行しようと思っている。あなた様は楊廣を捕縛なされよ。もし貴方様が応じられないのであれば、我らが信頼関係も見直さねばなるまい」


殷仲堪は桓玄と楊佺期のどちらに滅ばれても困ると考えていたのだが、桓玄からの手紙を読むと、もはや押し留めるのも難しい、と気付いた。なので言う。


「あなた様が漢水を経て洛陽に向かわれたところで、ただ一人とて得られぬまま長江に戻ることとなられよう」


桓玄は行軍をやめた。




初,玄在荊州豪縱,士庶憚之,甚於州牧。仲堪親黨勸殺之,仲堪不聽。及還尋陽,資其聲地,故推為盟主,玄逾自矜重。佺期為人驕悍,常自謂承藉華胄,江表莫比,而玄每以寒士裁之,佺期甚憾,即欲於壇所襲玄,仲堪惡佺期兄弟虓勇,恐克玄之後復為己害,苦禁之。於是各奉詔還鎮。玄亦知佺期有異謀,潛有吞併之計,於是屯于夏口。

隆安中,詔加玄都督荊州四郡,以兄偉為輔國將軍、南蠻校尉。仲堪慮玄跋扈,遂與佺期結婚為援。初,玄既與仲堪、佺期有隙,恆臣掩襲,求廣其所統。朝廷亦欲成其釁隙,故分佺斯所督四郡與玄,佺期甚忿懼。會姚興侵洛陽,佺期乃建牙,聲雲援洛,密欲與仲堪共襲玄。仲堪雖外結佺期而疑其心,距而不許,猶慮弗能禁,復遣從弟遹屯于北境以遏佺期。佺期既不能獨舉,且不測仲堪本意,遂息甲。南蠻校尉楊廣,佺期之兄也,欲距桓偉,仲堪不聽,乃出廣為宜都、建平二郡太守,加征虜將軍。佺期弟孜敬先為江夏相,玄以兵襲而召之。既至,以為諮議參軍。玄於是興軍西征,亦聲雲救洛,與仲堪書,說佺期受國恩而棄山陵,宜共罪之。今親率戎旅,逕造金墉,使仲堪收楊廣,如其不爾,無以相信。仲堪本計欲兩全之,既得玄書,知不能禁,乃曰:「君自沔而行,不得一人入江也。」玄乃止。


(晋書99-6)




君自沔而行,不得一人入江也。

マジ桓玄伝の記述わかんなさすぎてわろた。ただ、中途半端に殷仲堪伝や楊佺期伝を拾うくらいなら、とりあえず桓玄伝拾ってから読んどこうや感は否めません。とりあえずこの殷仲堪のコメントについては消極的手切れ、みたいなニュアンスを拾うべきなのかな。もう少し読み進めてからまたここに戻ってくれば、もう少しなにかを拾えるんでしょうかね。まぁ、わからんです。

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