28.味方

「うん、いい感じいい感じ。琴音、大変なときなのによく頑張ってるよ」


日本史の小テストを返しながら、森崎先生がそう言ってくれた。

ちょうど採点が終わったからと、職員室、もとい生徒のフリースペースで呼び止められたのだ。おばあちゃんの件で最近何かと忙しくて、時間の合わない授業が出てきていた。渡部先生に事情を話したところ、先生たちで会議にかけて、登校の都合がつかない場合、課題を提出して出席に替えるという措置が認められたのだ。


「琴音、今日は帰らなくていいの? こんなところで座ってるなんて、珍しいじゃん」


「今日はお母さんが家にいるので。あと、せっかくだから次の現代文、出ておこうかと思って」


偉い、とにんまり笑って、森崎先生は机に置いてあるコーヒーメーカーから、コーヒーを紙コップに注いで、こちらに差しだした。


「あ、砂糖とミルクはそこの左ね。赤いペン立てのとこ」


「ありがとうございます。いただきます」


ここの学校は変わった先生が多いけれど、黒髪ロングの、黒シャツ黒ロングスカートの眼鏡美人、森崎先生も相当変わっている。自分のデスクとはいえ、延長コードを繋いでコーヒーメーカーを設置している先生なんて、そういないだろう。


なんでも、コーヒーが出来上がる「こぽこぽいう音があると仕事がはかどる」んだとか。そして、それに対し何も気にしていない様子の周りの先生もすごい。

ちなみにわたしの担任の渡瀬先生のデスクには、「刑事コロンボ」のDVDセットが、こんなところで観る機会もないだろうに、書類にまみれてずらりと並べられている。


「りんちゃんはどう、元気?」


「はい。相変わらず、散歩嫌いなんですけどね」


「まあ仕方ないよね。犬でも向き不向きはあるだろうし」


自分のぶんのコーヒーをマグに注ぎながら、森崎先生。

最近の写真ある?と訊かれたので、スマホの画面から、クッションの上でひっくりかえって、ベロを出したまま爆睡しているりんの写真を見せたら、「ぎゃあ、かわいいいっ!!」と、爆笑された。


「お、この子が進藤さんところの子か。可愛い盛りだな」


後ろから声をかけてきたのは、珍しく顔を出している富沢とみざわ先生。たぶん50代半ばの、日によく焼けた細マッチョの、校長先生だ。


「というか森崎先生、今度の資料は間に合うんだろうね?」


「うへえ・・・・・・。善処いたします」


今から、と小声で付け足して、森崎先生はしおらしく首をすくめている。

やれやれ、と、富沢先生。「毎回よくできてるんだけど、毎回期限ぎりぎりに持ってくるんだよ、彼女」と、苦笑い交じりに種明かしをしてくれた。

それってかなり、危ないのでは・・・・・・?

生徒ながらにそう思っていると、森崎先生は「まあ、まあ」という感じで、富沢先生にもコーヒーを注いで渡していた。


「これで懐柔かいじゅうしようたって、俺はそうはいかないよ?」


「そんなんじゃないですって。純粋な敬意ですよ、敬意」


嘘つけ―!と、入口から笑い声がした。金髪ヤンキー組の女子、3人だ。

授業が終わったらしい。すかさず森崎先生が「何だよそれー!」と不平をぶつける。が、彼女たちはひらひらと手を振ると、それぞれにキラキラとまぶしく飾ったバッグを持って、エレベーターのほうへと行ってしまった。


苦手に思っていた、こんな風景。

正直騒がしいとは思うけれど、彼女たちにはこちらに向かう悪意がない。

最近は少し、いろいろと考えてしまうことが多い。そんなわたしに、この賑やかさは、少しだけ優しかった。



「ちょっと惜しいところはあるけど、大丈夫。こういうのは、とにかく慣れだから。琴音はもともと読解力はあるから、今からでも十分カバーできるよ」


今度は田崎先生から、授業後に現代文の課題を返してもらうついでに、教室で話していた。


崎田さきた先生も感心してたよ。自主勉でここまで頑張れる子はすごいって。というか、自分の出番がなくなるって、嘆いてたし」


英語担当の、崎田佑二ゆうじ先生。冷静沈着で、どちらかというと淡々としている印象で、最初は苦手意識を感じていた。フランクな先生が大半のこの学校で、生徒とも、一定の距離を持っているような感じもしていた。


ところが、時間が重なったときに個別指導をお願いしたら、いつのまにか崎田先生が実家で柴犬を飼っていたという話になり、今ではすっかり、りんファンの一人。普段の面持ちはどこへやら。画像を見るたび、孫を見るお年寄りのごとくデレデレだ。


理美ちゃん曰く、3年生の男子と、いかに自分の犬が可愛い(可愛かった)かについて、廊下で延々と「討論」していたらしい。もしかして、あれでツンデレキャラなのではないかと、理美ちゃんとひそかに噂している。これでチョコボールの缶バッジとか集めてたら笑うよねと、理美ちゃんは笑っていたけど、ホントに集めていそうで怖い。


「琴音、最近は大丈夫?」


一通りの添削を終えて、さりげなく田崎先生が問いかけてくる。

相変わらずの、姉御肌だ。

ちなみに田崎先生のデスク横には、古今東西の積読の山が出来上がっている。

仕事中に、「ギアチェンジ」のため、気分で読みたいものを読むためだそうだ。


「まあ、なんとかです。バイトは、辞めても良かったんですけど、社員さんはシフト融通してくれるし、両親には、いい経験だから、琴音が続けたかったら続けなさい、って言われてて」


「じゃあ、4つも頑張ってるんだ。家のこと、学校、バイトに・・・・・・」


りんちゃんのお世話ね、と、田崎先生は笑って付け加えた。


「私、ペット飼ったことないから分からないけど、どう? 癒される?」


「うーん。個性の強い子なんですよ。相変わらず、おばあちゃん子だし。それに世話が大変ですけど、たまに寝て起きると、わたしのお腹の上で丸まって眠ってたりするんです。あったかくて、可愛いなあ、なんて思ったりします」


爪切りのときは一家総出で大仕事ですけどね、と付け足すと、そりゃ大変だと、田崎先生は微笑んだ。


「琴音、無理しないでいいからね? 何かあったら、必ず言って。渡部先生も、私もだけど、みんなあなたが元気でいられるよう頑張るから」


それとね、今の出席扱いの案は、森崎先生が一歩も譲らなかった案なんだと言って、

小さく内緒のポーズをした。


「森崎先生が・・・・・・」

いつも飄々としている先生の姿とうまく重ならない。けれど不思議と、黒統一のいつもの格好で会議室に立つその姿がすっと浮かんできて、つんと、目頭が熱くなった。

腕時計を見た田崎先生が、「おっと」という表情をする。


「あ、ヤバ。私、そろそろ行かないと」


「あ、わたしも帰ります」


2人そろって、教室を出た。

入れ違いなのだろう。エレベーターの前には、4、5人の生徒らしき子たちが、集まっていた。


「琴音、乗る?」


「ああ・・・・・・。やめときます。人数多いのは、ちょっと」


倉庫のような広い場所ならいいのだけれど、狭いスペースでぎゅうぎゅう詰めになるのは苦手だ。ここは4階。階段でもたいした距離じゃない。


「そっか。じゃあ、お疲れ。行ってらっしゃい」


「はい。行ってきます」


にっと笑うと、田崎先生は駆け足でエレベーターに向かっていった。


扉を開けて階段を下りる。

廊下に比べると心もとない灯りだけれど、それでも足元ははっきり見える。


大丈夫。きっと大丈夫。

大変だけど、みんながいれば。


3階から2階目の踊り場に差し掛かった。

そこに、見覚えのある背中が、うずくまっていた。











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