「よし、じゃあ、行こうか」


『セレーネ様と重さがあんまり変わらない』


「なにい。聞き捨てならぬ!」


「ほら、彼からしたら誤差だよ誤差」


『誤差』


 セレーネは納得せず、不満顔だが、さっきまでのテンションの低さは感じない。


 マルコキアスが空気を感じ取ったわけではないだろうが、これが彼のいいところだ。


「行こうか」


 クレスが促し、2人と2機、見た目は1人と2機が歩き出す。


 さすが最終階層だけあって、すぐにエンカウントする。


「待ってたよ、君たちを」


 クレスが実体化の前兆を感じ取り、言葉にする。


 現れたのは先ほど現れたハイ・ヴァンプが生気を十分に吸い取って進化したヴァンプ・ロードだ。身長3メートル近い全身鎧の形をしているが、まだ完全に固定した形状をもってはいない。1歩、歩き出すと残像のように形が流れる。


 1体しかいないのにクレスが『たち』と言ったのはヴァンプ・ロードはヴァンプ・ロードを召喚するからだ。


 クレスはピアノを召喚し、最強クラスの対攻撃魔法を展開する。


 セレーネは媒介カードを使って光の槍サイコ・スピアの生成を始める。


 マルコキアスは様子見だ。


 ヴァンプ・ロードは攻撃せず、仲間を召喚し、3体となった。


 ヴァンプ・ロードの方が動きが速く、『死』の呪文を広範囲に撃ってきた。


 『死』の呪文は呪詛の類いであり、攻撃呪文とは見なされない。そのため、クレスが展開した対攻撃魔法は意味がない。クレスは自力でレジストし、潜むものダイバーⅢは『死』の概念がないため意味がなく、マルコキアスは武装自動人形アームドなので意味がなかった。


 潜むものダイバーⅢの中のセレーネは『死』の呪文の影響を受けず、仮想空間に意識を移し、魔法を練り続ける。


 潜むものダイバーⅢは目の前に光り輝きながら周囲のエネルギーを吸い取り続ける光の槍サイコ・スピアを手にする。


 クレスの対攻撃魔法呪文がなければ、直接触れていないクレスやマルコキアスもエネルギーを無差別に奪われそうなほど、強力なものになる。吸収系のアンデッドより質が悪いのは生気だけではなく、エントロピーの法則を無視し、物理エネルギーも吸収する。


 それは3次元に限定していては起こりえない事象だ。


 高次元の存在のみが可能とするまさに“神”の力である。


 ついに光が歪められ、光が弱まってきた。呪文の起点となった魔法の矢のエネルギーを真の光の槍サイコ・スピアが吸収し終え、外からの光を反射せずに吸い取り始めたのだ。


 そしてそれは黒の槍とでもいうべき姿になった。


「制御で手一杯だよ。3ちゃんにすらダメージを与えそう」


 セレーネはザインに言う。


『威力を試します』


「投げちゃだめだよ。このダンジョンを突き抜けてどこまでいくか分からない」


 セレーネは苦しそうな、呻くような声だ。


 マルコキアスがブレスを吐き、ヴァンプ・ロードを牽制する。


 ヴァンプ・ロードは更に仲間を召喚し、9体となった。


「いい頃合いだ」


了解コンセント


 クレスのコマンドを受けて、潜むものダイバーⅢは対攻撃魔法の結界から飛び出し、瞬時にヴァンプ・ロードの1体に向けて間合いを詰め、黒の槍――もはや闇の槍とでもいうべき姿に変わったそれを突き入れる。


 狙われたヴァンプ・ロードは彼らの最強呪文である灼熱を連発するが、全て闇の槍が霧散させ、槍先を突き入られ、渦巻きに巻き込まれたかのように回転しながら、闇の槍に吸い取られていった。


「――なんだ、これ」


 クレスは呆然とする。マルコキアスが聞く。


『まだ見てるか?』


「ああ。たぶん、もう終わる」


 潜むものダイバーⅢは闇の槍を横薙ぎにし、3体同時に霧散させ、吸い取る。 


『あと5体、いけます?』


「――3ちゃん次第」


『一閃でやってみせます』


 潜むものダイバーⅢは全身のスラスターを同調させ、フローティングしながらダンジョンの床を失踪し、熱したナイフでバターを切るようにヴァンプ・ロード5体を闇の槍が吸収しきるより早く一掃した。


 霧散したヴァンプ・ロードが崩壊前に漏らした周囲に漂う生気を、闇の槍は吸い取り尽くし、消えた。消えたのはセレーネが制御限界に達したからだと思われた。


『セレーネ様、大丈夫ですか?』


「今まで、恐くてとてもできなかったレベルまで、いけた。3ちゃんのお陰だけど、光の槍サイコ・スピアより、もっと恐ろしいものができてしまった――」


「ザイン、解除してくれ。セレーネを癒やしたい」


 クレスの言葉にザインはセレーネを解放すると、汗だくになったセレーネが現れ、クレスが支え、抱きとめた。その姿を見たクレスは首を横に振った。


「いや、今日はここまでだ」


 ザインも同意見だった。


 セレーネの疲労が限界に達していることは誰が見ても明らかだ。セレーネは意識がもうろうとしている。マルコキアスが言う。


『背中に乗せるさ』


「ありがとう、だけど僕が彼女を抱きかかえたまま、屋敷に帰りたいんだ」


『それはセレーネ様、目が覚めたらきっと喜ぶさ』


 マルコキアスは嬉しそうな声で応える。


 クレスは愛おしい人を慈しむ表情を浮かべ、セレーネを抱きかかえたまま、エレベーターに乗る。


『セレーネ様、本当に愛されてますね』


 ザインは思わずまた同じ言葉を発してしまう。


「彼女に恋をしたことはないけど、ずっと愛しているよ」


『難しいですね』


「彼女は僕に今も恋しているけどね。だから温度差があるように彼女は思っているんじゃないかな。僕には彼女なしの人生なんて考えられないし、彼女のためにここまで頑張ってきたことも分かってくれていると思うけど」


『バスターさんがもうすぐゴールみたいなことを言ってましたね』


 ザインは思い出す。


「うん。財閥のお嬢様だからね。政略結婚の話も当然のようにあるし、僕が子爵家の跡取りだからっていっても、名ばかり貴族だから。領地経営は火の車だし、先も見えない。そんなところに嫁に出すわけがない――だからがんばってがんばって、ここまできた。ここまで来たのに」


 クレスの顔には悔しさが滲んでいた。


『どうかしたのか?』


 マルコキアスにはピンときていない様子だった。


 エレベーターは地下1階に到着し、ダンジョンから出る。


 クレスはセレーネをマルコキアスにいったん託し、自分はダンジョンの入り口を再封印する。そして2階の寝室にセレーネを寝かせた。


 そしてクレスは廊下で待っていたザインとマルコキアスに言った。


「あれは確かに光の槍サイコ・スピアの紛い物だった。彼女が光の槍サイコ・スピアだと考えていたから槍の形をしているが、あれはもっと恐ろしいものだ」


『女神の永遠の騎士の記憶にあった――ということですか』


 ザインがためらいがちに言うクレスを促す。


「そうだ。あれは完成してはいないが――この世界でも完成する、いや、顕現する“運命”にあるが――あれは『魔剣スカルペル』の1振りだ」




 セレーネに記憶がよみがえる。




 眩しい複数の輝きが自分を照らしている。


 自分は薄布一枚で台の上に乗せられている。


 アルコールとゴムの臭い。


 小さな電子音。


 これは女神の記憶。


 そして傍らには何振りもの小さな刃が並んでいる。


 それらが彼女の世界いのちを救う『魔剣スカルペル』だった。




 目を覚ますと見知らぬ天井だった。いや、これは昨夜見た天井だとすぐに思い至る。


「目が覚めたね」


 傍らに本を手にしたクレスが座っていた。


「あれ、わたし、ダンジョンにいたんじゃ……」


「うん。ザインの仮想空間内で力を使い果たしたんだ」


「ああ……覚えている。あれは魔剣スカルペルだったんだ」


 セレーネは半身を起こした。


「無理せず寝ていた方がいい」


「ううん。大丈夫。だって弾いてくれていたんでしょう?」


「それでもだ」


 クレスは苦い顔をする。


「こんなことなら君の修行を許すべきではなかった。どうせやるんだろうから僕の目の届くところでと思ったけど、それでもやっぱり――」


 セレーネはクレスの、焦燥して少し乱れた髪を指で直す。


「光のサイコ・スピアかと思ったら、とんでもないものを作り出そうとしていたんだね、わたし。でもお兄ちゃんには全く責任ないから」


 魔剣スカルペルとは仮にも魔道士であれば知らぬ者がない禁忌の存在だ。


 異世界の超存在である外神を受肉させ、鍛造し、この世界そのものを切り取り、排除する、おそるべき存在だ。数多の世界に存在し、数多の名で呼ばれるが、この世界ではその存在は魔剣スカルペルと呼ばれている。


 混沌と秩序のバランスも何もなく、ただ切り取り、別の世界に送ってしまうこの魔剣は一般人の中ではおとぎ話ではあっても、魔道士の中では実在のものとして語られている。実際に記録に残るだけでもこの100年で13回、外神信者が魔剣スカルペルを精錬しようとして制御できず、都市一つ、島一つといった規模で消滅させているのだ。


「責任がないはずがないだろう。君は、僕の、大切な片翼なんだから」


 セレーネはぽかんとした顔をせざるを得なかった。


「そんな風に思ってくれていたんだ」


「いや、今まで何度も愛しているって言っているよ!」


 クレスは拳を握りしめてやや憤慨する。


「だって絶対手を出してくれないから、妹のままだと思っていた」


 クレスは大きくため息をつく。


「バスターさんが結婚の許可の話を持ってきてくれたとき、どれだけ僕が嬉しかったか君には想像もできないだろうね。あの人に弱みなんて見せられないんだ。僕が君に相応しくない存在になった瞬間、君は政略結婚の道具になってしまうんだよ。分かってる?」


 セレーネはまたぽかんとする。


「そのときは西の果てまで、オンポリッジまでお兄ちゃんを連れて逃げるよ」


「僕が連れて行かれる方なんだね」


「だってお兄ちゃんの方がウキグモで大きな名声を持ってる。わたしが連れて行かないと!」


「僕が、君を、連れて逃げるよ。そうならないよう努力するけど――今回はその意味では好機だな」


 クレスは真顔になる。


魔剣スカルペルが顕現して、行使できるのが僕とザインだとすれば、君の側に僕がいないわけにはいかないから。君のお父上の力も及ばない」


 国家の安全保障に関わってくる規模になる。当然、一枚板とは決して言えない帝国では第一級の問題になる。


「好機どころか状況悪化してない?」


「してるかも」


 2人は顔を見合わせて苦笑する。


「このまま魔剣スカルペルを未完成のままにするのが呪われし者を阻むためにはいいだろうね。あの隊長機が光のサイコ・スピアを奪うのが目的だと言っていたから。間違えて奪いかねない」


「呪われし者が、他人が覚えた魔法を奪えること、知っていたの?」


「いや、そう言っているのなら、その手段があるんだと思って」


「それはそうだ。ハイランダー卿はそういう極希少魔法武具アーティファクトを持っているって話だ」


「3ちゃん情報?」


「うん。彼を悪く思わないで欲しい。彼は悩みの種を増やすまいとして言わないでいただけだから」


「そんなヤワな女の子だと思われていたとか」


「そうじゃないさ」


 クレスはそこで言葉を止めた。


「呪われし者がどんなことを企んでくるか分からないけど、僕とザインが、もう君にあの魔法を使わせない」


 セレーネは小さく頷く。その気持ちが嬉しい。しかし心のどこかで、またあの光の槍サイコ・スピアだと思っていた魔法を使うことが必ずあるはずだと思っている自分がいる。


 この世界に顕現しかけたあの外神は運命に作用し、使う局面に導くに違いない。


 誰がそんなことを考えたのだろう。


 セレーネはぼんやりと頭の中で言葉にし、そしてすぐに考えたことも忘れた。

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