第5章 魔剣という名のメス

 翌朝、3機は揃って同じ時間にスリープから目覚め、揃ってダイニングに行くとセレーネとクレスは朝食を終えてダンジョン攻略の準備に取りかかっていた。


 セレーネはザインの前では初めて魔道士のローブを身にまとった。その下はいつものデニムルックだが、左手には変わった籠手を身につけている。指先は露出し、セレーネの媒介であるカードをセレクトするのに支障がないようになっている。そして下腕の部分は扇状になったパーツがあり、カードがセットされているのが外からも分かった。


『選ぶときのタイムラグを減らすアイテムですね』


 ピンときたザインが言うとセレーネは苦笑いした。


「実は子供用のおもちゃなんだけどね。これ、媒介カードをセットして、戦闘時に盾っぽいのを広げればすぐに使いたいのが見つかるんだ」


『使えるものはなんでも利用するのはいいことだと思います』


「ありがと」


 セレーネは少々挽回したとばかりに笑む。


 クレスは相変わらず黒のスーツだ。ただ、革の籠手と胸当てだけつけている。籠手はセレーネと同じように指先が露出している。ピアノの演奏ができなければクレスは死活問題だから当然である。


「君たち、よく眠れたかい」


 そういうクレスが寝不足気味に見える。


『セレーネ様に迫られてたんだな』


 マルコーがボソっというと2人は真っ赤になった。


「僕が眠れなくなってしまっただけだから」


 セレーネの色仕掛けが不発だったわけでもないようだ。


「胸を張れるようなことは何もなかったのよ」


 セレーネは照れ照れしている。かわいい2人だ。


『そうでしょう、そうでしょう。それでは私はまた夜、様子を見に来ますね』


 そしてスカートの裾を持って深々とお辞儀をしてリリィは屋敷を後にした。


 ザインとマルコーは特に準備もないので2機でストレッチのまねごとをする。


 2人の準備ができたところで地下へお出かけである。


 昨日確認したダンジョンの入り口へ赴き、クレスが封印を解く。


 アンデットダンジョンだけあって、扉が開くと腐臭がする。


 中には当然、明かりなどなく、ザインとマルコーが目からサーチライトで照らし出す。ダンジョンは古式ゆかしいダンジョンで神経質に石組みされた通路がずっと続いていた。


 セレーネはマルコーの背中に座った状態で移動する。


『クレス様、全部マッピングしてあるんでしょ?』 


「マッピングもしてあるし、ここ、地下10階まであるんだけどそこまで直通のエレベーターも見つけてる」


 クレスの答えにザインは肩をすくめる。


『こういうときのために残しているんですね』 


「まあそういうことだね」


『早い者勝ち?』


 マルコーの質問にクレスは残念そうに言う。


「ごめんね。セレーネ優先でいいかな」


『わかったさ』


 マルコーは大きく頷き、自分の背中にいるセレーネを振り返る。


『任せろ。お姫様を守るのは好きな任務だぞ』


「そうそうお姫さまを守ることなんかないでしょ」


『そうでもないぞ』


「そうなの? ま、いっか」


 セレーネは首を傾げるが、嬉しそうにいうマルコーを前にすると納得したようだ。


 前に骸骨の集団が現れ、ザインとマルコーがじゃんけんし、マルコーが負けて、尻尾の一振りで一掃する。骸骨など経験値にもならない雑魚だから面倒なだけなのだ。


 次に出てきたのはひょろっとした男の幽霊で、またじゃんけんの後、今度はザインが目からのサーチライトの出力を上げて倒した。一応、このタイミングで全身鎧姿になった。


「わたしにもやらせろよー」 


『地下10階に行ってからです』


 ザインは今回は露払いしか仕事がないことを分かっている。


 エレベーターの前に到着し、ドアは何事もなく開き、2人と2機は地下10階へ。


 チーン、とベルが小さく鳴り、針が△Xを指すとドアが開く。


 そこはもう最下層で――怪物が出る場所だった。


 エレベーターのドアが開くなり、灰色の濃い霧の塊が複数侵入してきて、叫び声を上げた。その霧の怪物はアンデットの中でも上位存在で、一般人であれば叫び声だけで生気を吸われてしまう。


 クレスとセレーネは叫び声に耐える力を持つが、万が一ということもある。


 クレスは無言で鍵盤の一部だけ召喚し、数回、鍵盤を叩く。


 すると瞬時にクレスとセレーネの周囲に障壁ができ、霧の怪物は自ら障壁に衝突してダメージを負ってしまう。


「うざ!」


 セレーネは籠手の扇を開き、媒介カードを宙に投げる。


 それは複数の光の矢を作り、それが束ねられ、周囲のエネルギーを奪って1本の光の槍となる。マルコキアスの背でセレーネはそれを手にし、霧の怪物に投げつけ、エレベーターホールの壁に突き刺さる直前で反転させ、次の霧の怪物へと襲いかかる。


 襲いかかるだけでなく、光の槍は霧の怪物のエネルギーを逆に吸い取りながら強大化し、輝きを増す。しかしセレーネのコントロールはそこで突然終わる。


 光が闇に転じ、周囲のエネルギーを食い荒らし始める。

 

 最終階位魔法は混沌神の顕現とまで言われる力である。


 発現以上にコントロールと維持が至難であり、魔法はどんなものでもそうだが、確実に実践できるほど練ることができて初めて習得したと言える。戦闘系魔法であれば戦場で味方を巻き添えにすることなく、その効果を敵に余すことなく発揮できて初めて習得と言えるだろう。


 セレーネは光のサイコ・スピアを消滅させる。


 残った霧の怪物はマルコキアスが炎を吐いて蒸発させておしまいだ。


 セレーネは脂汗を滲ませ、肩で息をしながら口を開く。


「う……ダメージ、返ってきた……」


 暴走した魔法を無理矢理消滅させれば、魔道士の精神ダメージは大きい。頭の中でぐるぐると発動させていた魔法のイメージが暴れていることだろう。


「いくら戦闘力が高くてもこれでは――」


 クレスが心配してセレーネの髪を撫でる。


「少し威力を上げただけでこれじゃ――扱い切れていない証拠だね」


「暴走して無差別に周囲の物質を食い始めるのを止めたんだ。十分だ」


「わたしが止められなかったときはお願いね」


「それは大丈夫。僕も、2人も対処できる」


 クレスはザインとマルコーに確認の意味で目配せする。


 2機は小さく頷く。


 一行は少しエレベーターの中で休む。上で誰かが呼び出さない限り、エレベーターは地下10階に居続けるからできる芸当だ。


 3分ほどでセレーネは落ち着いたようだった。


「行こう」


「無理だと思ったらすぐ引き返すからね。ザイン、展開装着ディ・アイだ」


了解コンセント


 ザインは装甲を展開し、クレスを包み込む。


「なるほど、これは便利だ。全身鎧なのに違和感がない。魔道士の戦い方がそのままできそうだ」


『仮想空間に意識を移して、ピアノも召喚できますよ』


「それは楽しみだね」


 潜むものダイバーⅢはエレベーターホールに先んじて出る。


 マルコキアスの背中にいるセレーネはまだ少し苦しそうだが、苦しくても暴れる呪文に対抗するイメージを抱いて次の戦闘に移行した方がコントロール習得の効率がいい。マルコキアスも潜むものダイバーⅢの後をついていく。


 3ブロック歩いたところで先ほどクレスが張った障壁にまた何者かが衝突した。


「ハイ・ヴァンプ」


 吸血鬼の中でも特に戦闘力に長けたものをいう。それもそのはず、ダンジョン探索者のなれの果てというのが定説だ。姿を消せていた理由は盗賊系か忍者系かの二択だろう。


 衝突したそれは人型を現した。霧の怪物よりは人間っぽい形をしているがやはり形状は安定していない。彼らは実体化するための生気を必要としていた。闇のような暗がりが人の形状を成している、というところだろうか。それが数体来ている。


洋琴召喚サモン・ピアノ


 クレスが愛用のグランドピアノを召喚するが、今まで出ていた半透明の筐体は現れない。


「これが仮想空間か。外に召喚するより、現実に近いから弾きやすいね」


 クレスは7コードを多用し、優しく、ゆったりと、間のある旋律を奏でる。


 当然ザインが仮想空間を制御しているので、ザインにはクレスのイメージしている姿が見える。


 彼は今、早春の緑が芽吹く草原の中、穏やかな風に揺られながら燕尾服でピアノを奏でている。


 イメージこそが混沌の魔道の根幹である。


 その彼のやさしさは愛する人に音となって届く。


「ありがとうお兄ちゃん!」


「どういたしまして」


 セレーネは元気を取り戻すどころかダンジョンに入る前以上に元気になっていた。


『うわ、初めて見た、治癒術士』


「僕は治癒術士じゃないけどね」


 驚くマルコキアスにクレスは目を向ける。


 治癒術士はこの地方では極めて珍しい。クレスの力は教会の聖者に認定されても不思議がないくらいだ。彼のコンサートは心が癒やされる、元気を貰うともっぱらの評判だが、その魔道の力が漏れているのかも知れない。


 セレーネは再び媒介カードを宙に舞わせ、光の槍サイコ・スピアを生成。出力を上げつつ、コントロールを試みる。3体を消滅させるが2体がセレーネの攻撃から逃れ、襲いかかってくる。


『マルコー』


『合点』


 マルコキアスはハイ・ヴァンプの1体を、顎を大きく開けて吸い取ってしまう。


『不味い』


 潜むものダイバーⅢはハイ・ヴァンプを羽交い締めにしてセレーネに攻撃するよう促す。ハイ・ヴァンプは生気を吸おうと試みるが、非生物である潜むものダイバーから生気を吸い取ることはできない。


「なんだかなー」


 セレーネは猛禽が狩りの仕方をひな鳥に教えるかのような潜むものダイバーⅢの振る舞いに、苦笑する。光のサイコ・スピアで混沌の怪物を吸い取り、術を解く。


「なんか分かった気がする」


「2回の戦闘で何かを掴むとは僕の妹弟子はやはり天才か」


 クレスは本気でそう言っているようだが、セレーネは首を横に振る。


「ううん。そうじゃなくて、操作と出力制御が同時にするのが難しいのならどちらかに専念すればいいと思うんだ」


「制御に専念できても誰が使うんだい? 持てば大ダメージを受けるものを誰も揮えない」


「3《ザイン》ちゃんの中に入っているときは大丈夫だった」


「術者判定されているんだね。なるほど。『装着解除』」


 クレスは演出なしに装着を解除し、今度はセレーネが潜むものダイバーⅢを装着する。


『つまりセレーネ様は仮想空間で制御に専念して、ボクが光のサイコ・スピアを持って戦えばいいんだ』


「察しがいいね」


 生身に戻ったクレスは潜むものダイバーⅢを見て言う。


「君の中は安心して魔法が使えるね。攻守一体だ。直接戦闘能力が高いんだろうけど、魔道士にとっても理想的なユニットだ」


『お褒めいただき感謝の限りでございます』


 ザインは小さくお辞儀をする。


『じゃあオレの背中に乗る? クレス様』


「助かるよ。君の背中なら安定してそうだから、ピアノを呼んでも魔法が使えそうだ」


『オレに乗ってても酔わないって評判なんだぞ』


 クレスはマルコキアスにまたがり、「ロデ……」まで言って、口を塞いだ。その言葉が何を意味するかザインには分からないが、この場で発してはならないものという表情が浮かんでいた。

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