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セレーネは人気者になった今も、時折、路上で演奏をすることがある。
自分の原点は路上だと思うからだ。
魔道しか知らないお嬢様だった自分が音楽を続けられたのは、クレスの背中を自分なりに追いかけたいという気持ちからだけではない。通り過ぎる街の人たちが、自分の音楽に、気持ちに耳を傾けてくれたからだと強く思うのだ。
今日、行こうと思っているのは有名になるずっと前に弾き語りをしていた場所だ。このあたりの1番の繁華街で中心に噴水があり、大きな彫像から水が噴き出している広場だ。馬車鉄道のハブになっており、多くの乗降客や買い物客で賑わっている。
平日の午後4時半でも噴水の周りに座って語らっている人々が大勢いた。空いているところを見つけるとセレーネはギグバッグからギターを取り出し、チューニングを始める。
チューニングひとつとっても気を抜けないのがギターだ。下手すると弾いている最中に音が狂うことがあるくらいだ。
「小さなセレーネがこんなに真剣に楽器に向き合うなんて」
クレスが温かい目で見る。
「からかわないでよ。わたしはわたしなりに頑張っているんだから」
「分かっているよ」
しばらくしてチューニングを終え、少しギターをつま弾く。
すると目の前に男が現れ、帽子をとってセレーネに挨拶をした。
「バスターさん。今までどこに行っていたの?」
セレーネの実家から派遣されている初老の白髪交じりのお目付役がそこに立っていた。セレーネが幼いときからボディガードをしていて、今は監視役だ。
「お嬢様が派手なことばかりするので旦那様から呼び出されて報告に行っていたんですよ。老骨にむち打たないとならないようなことはやめていただきたいものです」
バスターは腰をわざとらしくトントンと叩く。
「ごめんなさい。でも、いつも通りでしょ?」
「歌の方で人気になるなんて想定外です」
「そっちか、ははは。本当にごめんなさい」
セレーネは苦笑するしかない。
「クレッシェンド様もお元気そうで。そうそう、旦那様がたいそう感心されていましたよ。よろしく伝えて欲しいと言付かっております。お嬢様が成人すればご結婚の許可していいか、とか独り言と断って、このじいにわざわざおっしゃったくらいで」
「そんなにですか。それは頑張った甲斐があった」
クレスはセレーネと見つめ合い、お互いに笑顔を見せる。
「こちらの
「わたしがマスター登録した
セレーネが紹介するとそれぞれ頭を下げ、バスターはひゅうと口笛を吹く。
「じいがいない間に大所帯になりましたね。ところでザインってことはアインとツヴァイもいるってことでしょうか?」
『バスターさん、鋭いですね。ツヴァイはこの前、東の火山島事件で有名になったオブシディアン男爵のところにいます。アインは消息不明です』
「え、そんなの聞いてない。実はそんなに有名なの?」
セレーネがまた驚く。
『聞かれていなかったので』
「そういう問題かってこと! 一応ほら、マスターなんだから」
『以後、気をつけます』
「ははは。愉快なお仲間なことだ。ところでお嬢様、また派手に巻き込まれましたな」
「そうだった。バスターさん、父様にお願いがあるんだけど、伝えてもらえないかな」
「おや、珍しい。あの気難しい旦那様がそう簡単に頷くとは思えませんが」
「大丈夫、儲け話だから」
「では、こちらで」
バスターは手帳と万年筆を取り出し、セレーネに書くよう促す。
「大丈夫ですよ。何百文字でもどうせ経費で落としますから」
大陸横断鉄道の開通とともに鉄道沿いに電報網が整備されつつあり、セレーネの一族も大口出資しているので、鉄道電報を自由に使える立場にあるが、何百文字も電報を打てば、庶民の半月分の生活費に相当する金額にもなる。
バスターはセレーネがしたためたメモを見て、また口笛を吹いた。
文面はシンプルなものだった。
「本気ですか、お嬢様?」
「本気も本気!」
「これは旦那様も喜びますし、私もやる気が出てきますな」
「上手くいったら、力貸してね」
「じいでよければ」
バスターは笑み、セレーネは満足げに頷いた。
「何をお願いしたの?」
クレスが聞くが、セレーネは悪戯っぽく笑うだけだ。
「まだどうなるか分からないから、内緒」
「君らしい」
クレスは少々呆れ気味に恋人の顔を見た。
バスターは急いで馬車鉄道に飛び乗り、電報を打ちに大陸横断鉄道の駅に向かう。
「さて、いい感じで用事も頼めたし、そろそろ歌おうかな~」
「これから弾くのは、コンサートで中断を余儀なくされた曲?」
「それがいいならそうするけど」
「その曲なら僕も分かるから参戦するよ。
半透明のピアノと椅子が呼び出され、演奏の準備が整う。
クレスはピアノに腰掛けると、なめらかに鍵盤に指を踊らせる。
そのメロディはセレーネが作曲したものだ。
『うわー、これはジョミー、またまた残念がるだろうなー』
マルコーが目を丸くする。
新進気鋭のチケットが取れない若きピアニストが、路上で、しかも自らのピアノを召喚して演奏を始めたのだ。
街ゆく人はほとんど全て足を止め、噴水の縁に座っていた人たちもびっくりして半透明のピアノに目を向け、噴水の裏側に居た人は駆けつける。
「じゃあ、セレーネ、行こうか」
「うん」
ピアノが主旋律を奏で、セレーネはコード進行に変わる。
セレーネはクレスのピアノの音に寄り添うように、喉に息を通し、歌い始める。
「朝日が昇り、大地を照らすように
月が昇り、闇夜を照らすように
君とボクの希望が重なる ラララ」
そしてクレスが歌う。
「ボクと君の夢が重なる ラララ」
セレーネが歌を継ぐ。
「それはとっても自然なこと だって
君とぼくは昔ひとつだったから ラララ」
そして2人で歌い始める。
「離れた今でもとても恋しいよ WOWOW
いつの日か一緒に戻れる 溶け合える
その日を信じて生きていこう ラララ
さみしくなんかない、いつかは会えるよ WOWOWO
それは夢でも希望でもない だって
約束だから、運命だから、ラララ
ひとつになろう
いつの日かきっと」
クレスはピアノを引く手を止め、セレーネのギターの旋律のみになる。
ギターの音は静まりかえった噴水広場に広がっていき、そして止まった。
ただ馬車鉄道の馬の足音と車輪と線路がすれる音だけが、響いてきた。
静かに、どこかから拍手が起き、それは波紋のように広がり、一面は拍手に包まれる。
人々は息をのんだ。
「お兄ちゃん、逃げよう!」
観衆はその声に我に返り、今、知らぬ者のない歌姫セレーネとピアノの魔術師クレッシェンドの2人のストリートライブに遭遇できたことを理解する。
もちろん、クレスとセレーネの周りに殺到しようと集まってくるが、そのときにはもうクレスは召喚したピアノを消し、セレーネを抱きかかえて混雑した通りを走り出している。
それをリリィを抱えたザインとマルコーがニヤニヤしながら追う。
『もうとっくに2人は会っていたんだな』
ザインの声がセレーネの耳に入る。
「そう。小さい頃からセレーネは分かっていたんだね」
クレスは頷くと走りながらなので少しの間だったが、セレーネを見つめた。
そういうクレスの顔には今まで彼女が見たことがないくらい、悟ったような穏やかな表情が浮かんでいた。
「歌詞のこと?」
「うん。細かくは聞かない。今は君がこの歌詞を作ったって事実だけで僕は戦える」
クレスは小さく笑いながら走り続ける。
そんな彼はとても幸せそうに見えた。
ザインが言っていたように、クレスは自分のことを本当に愛してくれているのだと感じ、不安が消えていくのが分かった。
クレスは馬車鉄道に乗って先に家に戻り、セレーネも別方向の馬車鉄道に乗る。
リリィとは降りた停車場で一旦別れることになった。
『今日はとっても楽しかったです』
「たいへんなこともあったけどね」
セレーネは美少女フェイスに笑顔を浮かべるリリィを見つめる。
「まだまだ大変なことになるんだけどさ、リリィちゃんもつきあってくれる?」
『もちろんです! じゃあ荷物をまとめたらまたここで』
セレーネはリリィの頭をなでなでし、別れた。
セレーネとザイン、そしてマルコーはアパートメントに荷物を取りに行く。
アパートメントの階段を上りながら、ザインは心配そうに言う。
『リリィちゃん、1人で大丈夫かな』
「大丈夫だよ。わたしの読みが正しければね」
『どんな読みですか? それにあのバスターさんに託したお願いは?』
「クレスお兄ちゃんにも言わなかったんだから内緒に決まっているでしょ?」
『オレ、メモ書いているセレーネ様の手の動きで読んじゃった』
マルコーが肩をすくめる。
『しかしバスターさんも驚いてたけど、すごいこと考えるなあ』
「さすがカスク博士の最高傑作。多機能だね。まだ父様が賛同してくれるとは限らないからみんなには内緒だよ」
『そこが白黒つくまでは協力するさあ』
マルコーの顔に表情を表現する機能はないが、セレーネの目には明らかに愉快先晩といった様子の表情が見えていた。
『ボクだけ仲間はずれですか?』
「どうせすぐ分かるよ」
セレーネはまたザインの額を小突いた。
部屋に戻り、しばらくクレスの家に滞在するつもりで荷造りをし、冷蔵庫の中のものも全部持っていく。氷屋さんにはしばらくいない旨、言ってからクレスの家に行かなければならない。
荷物はトランクケース4つ分にもなったが、
「さあ、いざ、夢の新居へ!」
『いやセレーネ様、まだクレス様とご結婚したわけじゃないですから』
セレーネはザインのツッコミを聞き流し、軽い足取りで階段を降りていったのだった。
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