第5話
椅子に腰掛けた冬奈の背後に立ち、まずはブラシ、それから櫛を使って丁寧に髪を梳かしていく。
彼女はリラックスしきっているようなぽやぽやとした表情で、されるがままだ。
こちらを警戒どころか意識すらしていなさそうな様子に複雑な気分になりながら、俺は冬奈の髪を結い始めた。
「やっぱり広夜くんに相談して良かった~。お兄ちゃんなんか、すぐに『めんどくせえな。もう切れよ。バッサリいっとけ』とか言うもん。ママの出勤前にお願いなんてのも、申し訳ないし。かなり早起きしなきゃだし」
「残る親父さんは、冬奈に負けず劣らず不器用だしな。冬奈が自分でできるのは、ポニテかハーフアップくらいだよな? ツインテールの高さが左右で揃わなくって泣いたのって小三のときだっけ?」
「たぶんそのくらい。結局広夜くんにやってもらったよね。もうこの歳でツインテールにしようとは思わないけど、今ならさすがにできないことはない、はず。たぶん」
「たぶんかー。まあ、それも仕方ないか。自分の髪って、見えないしいじりづらいもんな。それに、冬奈の髪はふわふわで広がりやすいから、扱うには多少コツがいるし」
「広夜くんは、私の髪だってしゅぱっ、ビシッ、しゃららーんってキレーに仕上げてくれるけどね!」
「なんだそれ。何も伝わってこない擬音じゃん。褒めてくれたのはなんとなくわかったけど。ありがとな」
「いえいえー。こっちこそいつもありがとうだよー」
冬奈は鏡越しにこちらを見つめ、ふわりと笑った。
その笑顔に見とれそうになりながらも、さっきから会話を交わしながらも、俺は休まず手を動かし続けている。
「どういたしまして。はい、これで完成。うん、最高にかわいい」
最後にまとめた髪をくるりんぱとして結び目を隠し、ちょいちょいと流れを整えて、完成。
それを聞いた冬奈は、パッと表情を輝かせ、手鏡を手に取りながら席を立つ。
「わーいありがとう! 洗面所で見てくるね! ……わあ、かわいい! 確かに高貴な感じ、するかも!」
パタパタと駆けていった冬奈の背中を追いかけ洗面所に入れば、洗面所の鏡の前でくるくると回りながらごきげんに新しい髪型を確認している彼女がいた。
完成したのは編み込みハーフアップ。
ツンデレじゃなくて育ちの良さげなお嬢さん感が強いが、つまり高貴な感じと言えなくもないはずだ。
俺の好きな髪型なんざ冬奈次第でいくらでも変わるけれど、これも彼女によく似合っているし、とてもかわいい。
ただし、コレに決めた一番の理由は、ふいに動きと笑顔を硬直させた冬奈が気づいたのだろう一点だ。
「え。でも待ってひろくん。私、コレ、自分でできる気がしないよ……?」
そう、それこそが俺の狙い。
不安そうにこちらをうかがってきた冬奈に、俺はニコリと笑ってみせる。
「俺がやるよ。これから、毎朝。学校でも崩れたら俺が直すから俺のところにおいで。体育の時なんかはその上からざっくり一つ縛りにまとめれば良いと思うけど、そうやってまとめるのも戻すのも両方俺に任せて欲しいな。どうやったって多少は崩れるだろうし、微調整もしておきたいし」
「いやいや、それはさすがに申し訳ないよ!」
冬奈は本当に申し訳無さそうな表情で、ぶんぶんと首を横に振った。
はっ。遠慮なんかさせてやるかよ。絶対に押し切ってやる。
冬奈にこの冬奈自身では扱いきれない髪型をさせて、それを俺が管理すれば、より一層周囲を牽制できるだろうから。
髪に触れるなんて、プロを除けば相当深い関係でないと許されないことだからな。
学校でそんなことしている奴らがいて、ましてそれが男女であれば、バカップルでしかない。
そこから俺を捨てようものなら、冬奈は批難されるだろう。
冬奈の好きな男とやらもどん引き間違いなしだ。
つまり、冬奈の作戦と告白の成功率が下がる。
この髪型こそがベストチョイスだ。
そんな後ろ暗い本音は隠して、綺麗に微笑んで返す。
「良いって。このくらい協力させてくれよ。大した手間じゃないし。どうせ俺、朝は花咲家に来てるんだから。そう変わらないって」
「そう、なんだけども。そもそも毎回うちに来てもらうのもひろくんの負担になってる気がするし……」
「いや、そこは俺の気持ちの問題だから気にしなくて良い。俺は、とにかく冬奈を一人で外歩かせたくないの。冬の帰り道なんてもう真っ暗だし。そうでなくたって、冬奈はこんなにかわいいんだからさ」
しゅんとうつむいた冬奈の肩をぽんと叩いて、できるだけ軽い声音を意識して伝えた。
そろりと顔をあげた冬奈は、少し困ったような表情で言う。
「ひろくんってば過保護だね……。でもありがとう! でもでも、それなら朝ごはんくらいはひろくんの分もこっちで用意させてくれない? せめてものお礼、っていうか。髪やってもらう時間分、こっちでも何かさせてほしい、みたいな」
「朝ごはんか。そりゃ、用意してもらえれば助かるけど……。なあ……、それって、もしかして、冬奈の手料理?」
「うん。朝からそんな凝ったものは出せないだろうけど、愛情だけはしっかりたっぷり込めて作らせてもらうよ!」
そっと尋ねれば、しっかりはっきりとそんな返事が返ってきた。
「そ、そっか。嬉しいよ。ありがとう」
内心の動揺を押し隠してなんとかそう返せば、冬奈は照れくさそうににへへと笑う。
そう、動揺。動揺だ。俺は動揺している。
それなら朝ごはんの材料費については互いの親同士も交えて後で相談しなきゃな、とか、そんなところも気になったりはしたんだが。
それよりなにより。
いやいやいや。待ってほしい。
朝から愛情たっぷりの手料理って。俺のために作ってくれるって。
この子、本当にこれで俺のこと好きじゃないのか……? 他の男が好き……? 嘘だろ……?
だとしたら、とんでもない小悪魔じゃん。
俺に髪をいじられるのも、別に嫌とか気持ち悪いとかじゃないみたいだし。
これはもう、俺が勘違いして冬奈の恋人面したってしょうがないんじゃないのか……?
俺には冬奈の恋路を邪魔する権利がある気がしてきた。いやあるな。確実にある。全力でやる。
こんなのもう責任取ってもらうしかない。
果たして冬奈は、俺の心をもてあそぶ小悪魔なのか。
あるいは、実はやっぱり俺の事が好きなのだが、なにかしらの勘違いで致命的に間違ったアプローチをしてしまっているポンコツなのか。
なんか、段々ポンコツ説が有力なような気がうっすらとしてきたものの。
どっちにしろ、それでも好きだなという気持ちは少しも変わらないので。
俺が冬奈のヘアアレンジを行い、冬奈がそのお礼として手料理を振る舞ってくれる。
これから、学校のある日は毎日、それ以外も予定が合う限りはできる限り。
そんな、どう控えめに評価してもバカップルの末期的いちゃいちゃでしかない約束を、俺は冬奈と交わすことになったのであった。
……俺からしかけたことではあるが、本当にこれで良いのか、冬奈よ。
ポンコツ幼なじみがツンデレ極めるとか言い出した 恵ノ島すず @suzu0203
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