―新たな物語の始まり―

 大学を卒業して実家に戻った。地元の企業に就職したからだ。

 薄情なようだけど家に戻るのは大学入学して以来初めてになる。

 約束したから、縁切りしたから、というのはただの言い訳にしかならない。僕が幸せそうにしている『真名』を見たくなかったからだ。

 まさか、彼女と徹の二人が三年も前に事故で亡くなっているとは思いもしなかった。


 高校卒業直前に僕と真名が絶縁したのは両親も知っているので気を使って連絡して来なかったのかもしれない。高校時代の友人も同様なのだろう。

 自分で思っている以上にはた目には落ち込んでいるように見えたのかもしれない。

 周囲の人たちの優しさを感じると共になんとも言えない虚しさが胸の奥に飛来した。

 どこか心の奥底では真帆・・の姿を見る事ができると期待していたのかもしれない。


 さらに驚く事に、二人は結婚していて女の子の子供がいるという。



「堅苦しく顔合わせなんてしたら警戒させちゃうでしょう? 今なら公園で遊んでいるから一緒に遊んで打ち解けて来なさい。あなたの精神年齢ならすぐに仲良くなれるわよ」


 我が親ながら失礼で毒のある言葉を吐きながら、背中を押されて家から追い出された。

 向かう公園は徒歩三分、まさに目と鼻の先だ。


 砂場で赤いワンピースを着た女の子が自分の背丈より高い砂の山に肩まで腕を突っ込んでトンネルを掘っていた。年齢は三歳ほどだろう。この子が真帆ちゃんかな?

 少し離れた場所で見覚えのある顔、真名の母親の蛍さんと視線があった。軽く会釈を交わす。彼女が戻した視線の先にいるのは赤いワンピースの女の子。

 少し近寄り、女の子の作業の様子をうかがう。


「!?」


 気配を感じたのか、少女はトンネルから肩を引き抜くと、振り返って僕を仰ぎ見た。

 その顔を見た瞬間に息が止まる。


「真帆――ちゃん?」


 幼い頃の真名そっくりの少女がいた。まるで真名の生まれ変わりのようだ。

 波立つ心を落ち着かせながら、ゆっくりとしゃがんで真帆ちゃんと目線を合わせた。


「初めまして。此平舜といいます。よろしくね。おじちゃんはね、真帆ちゃんのママのお友達なんだよ。真帆ちゃんとも仲良くしたいんだけど、ダメかな?」


 突然話しかけられた事に、真帆ちゃんは数秒固まっている様子だった。確かに見知らぬおじさんからいきなり話しかけられたら、警戒するのも無理はない。

 もう少し慎重に近付けばよかったと後悔した。しかし、そんな心配をよそに――


「しん、あいちゃかっちゃや」


 真帆ちゃんは僕の顔を見つめたままそう言うと、両腕を広げて飛びついてきた。

 その姿はまるで――



 ***



「いつまで寝てるの! 早く起きてよ! 遅れちゃうでしょう!」


 乱暴にカーテンが開けられ、眩しい日差しが窓から差し込んできた。


「もう少し寝かせて。昨日は遅かったんだよ――」

「ダメよ、約束したでしょう! まさか忘れちゃってるの?」

「遊園地に行く約束のこと? 忘れてないけど、まだ六時前だよ。もう少し寝かせて欲しいな」

「ダメだったらダメ! 先週も先々週も同じことを言って結局家から動かなかったじゃないの」


 腰に手を当てた真帆がプリプリと頬を膨らませてベットに横になっている僕を見下ろしている。


「開園に合わせて一番乗りしないと人気アトラクションの順番待ちが長くなっちゃうもの。ジェットコースターとフリーフォール、観覧車は絶対にはずせないからね」

「移動に二時間みたとしても、七時出発で十分に開園の九時には間に合うよ。だから、あと三十分寝させて――」

「だーめ! えいっ!」

「ぐぇっ!!」


 両手を上に広げるとそのままの姿勢でベットに寝ている僕に向かってダイブしてきた。

 衝撃を受けきれずにたまらずに声が出る。

 もう僕も若くない。あれから10年経ちもう32歳だ。

 中学に進学した真帆は活発で天真爛漫、僕には眩しい存在だ。なのにも関わらずくたびれた壮年の僕にまとわりついてくる。

 いずれ離れていくのかと思うと寂しい気持ちになる。これが男親の気持ちなんだろう。

 将来の事を嘆いても仕方がない。今を楽しもう。

 真帆の行動がたまに『彼女・・』たちの姿に重なって見える時があり僕を戸惑わせる。それすらも今が幸せな証なのだろう。



 ***



 観覧車が頂上に近付いた。街が一面に見渡せる絶好のスポットだ。


「久しぶりだわ」

「前に来た事あるんだね」

「ええ、あの時は夕暮れ時だったの」

「昼間と全然雰囲気が違うけど、あれはあれで綺麗だよね。僕は苦手だけど」

「ふふふ、舜らしい。まだ・・克服してなかったの?」

「そんなに簡単に克服できるなら苦手とは言わないだろ?」

「それはそうね」


 コロコロと笑う真帆の姿が『彼女』たちと重なる。


「ねえ、答えづらいなら言わなくてもいいけど、舜の初恋の相手って私の母さんだったの?」

「突然どうしたの? まあ、確かに言いずらいけどさ。僕の初恋の人は――」


『真帆』

 同じ身体に存在していても別人格。今はいなくなったとしても同一視して語るわけにはいかない。


「――残念ながら別の人だよ」

「ええ? そうなんだ。じゃあさ、今度機会があったら合わせてよ。ダメならチラッと見るだけでもいいよ」

「残念ながらもう逢えないんだ。彼女は遠くに行ってしまったからね。逢えるなら僕も逢いたいよ」

「そうなんだ――じゃあね、真帆が代わりをしてあげるよ。ダメかな?」


『真帆』とそっくりな顔で僕を誘惑する。自覚していないのが末恐ろしい。どんな魔性の女性に育つのだろう。


「ありがとう、気持ちは嬉しいよ。でもね、真帆は真帆に似合う年頃の男の子と一緒になるのが一番だよ」

「そんな事ないと思うな。真帆は舜の事、ちゃんと好きだよ。愛してると言い換えた方がいい?」

「軽々しく好きとか愛してるという言葉を使っちゃいけません」


『真帆』そっくりな顔で愛してると言われると心の奥底がズキズキと痛み出す。


「横暴だよ! 舜には今、好きな人いないの? 恥ずかしがらなくていいよ、実は私なんでしょう?」

「ふう、大人を揶揄って遊ぶものじゃありせん」

「私、十八歳の誕生日にロマンチックにプロポーズされるのが夢なんだけど」


 ずいぶんと女の子らしい可愛らしい事を言う。でもきっとその時そこに居るのは僕じゃない。


「舜からされたいな」

「それは将来の彼氏に言いなさい――」

「そんな事言ってると後悔するんだから」

「後悔なんてしないよ」


 散々後悔はしてきたんだ。もうこれ以上後悔する事なんてきっとないさ。


「真帆だけじゃないよ。真子も真里も真央も真名もきっと同じ事を言うと思うな」


 あれ以来『彼女』たちの名前を口に出した事はない。どうして真帆が知っているのだろう。

 慌てて真帆の顔を見つめると、してやったりと悪戯っぽく微笑んでいる。


「もしかして?真帆・・――」

「さあ、どうなんでしょう? どう思う? 今からでもいいんだよ。情熱的にプロポーズしてくれたら教えてあげる。さあ、はい!」


 ハグを要求するように、ゆっくりと両腕を広げる真帆の左手の薬指に少し古くなったおもちゃの指輪が春の日差しを浴びて光っていた。






-あとがき-

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 本作品を楽しんでいただけたら幸いです。


 もし時間があるようでしたら、皆様の感想や意見をお聞かせいただけると嬉しいです。

 今後ともよろしくお願いいたします。

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