1-15 意気地なし
ややしばらくして、大福の端末にメッセージが届く。
ただ一言、『いいよ』とだけ打たれたハルからのメッセージ。
なんだかそれだけの事なのに、変にドキドキしてしまう。
なにが『いいよ』なのか。……いや、部屋に入ってきていいよ、という事なのだろうけど、それ以上の意味を深読みしてしまう。
何せ狭い部屋に男女が二人きり。
しかも、お互いに好き合っており、その気持ちを確かめている。
こんな状況で、こんな関係性の二人が、ベッドのある部屋で……!?
「お、おおお、落ち着け、俺。変な期待をするな。変に動揺するな。変な勘繰りをするな」
深呼吸をして鼓動を落ち着けつつ、大福は覚悟を決めて寝室のドアに手をかけた。
「し、失礼します!」
開ける前に声をかけ、返事がない事に多少不安を覚えながらも、ノブをひねる。
そして、開けた視界に飛び込んできた光景とは……
「おかえりなさいませ、ご主人様」
「……お、おう」
メイド姿のハルであった。
「なに、その反応? メイドは趣味じゃないか」
「い、いや、そうじゃなくて……普通に動揺してる」
「動揺って……変なの」
メイド服にも実は種類がある。
伝統あるヴィクトリアンメイド服や、その流れを汲みつつ大人しめのアレンジがなされたクラシカルメイド服、和風メイド服やチャイナメイド服なんていう飛び道具もまた存在している。
その中でも特にフレンチメイド服と呼ばれるモノをご存知だろうか。
胸元がザックリあいていたり、やたらヒラヒラしている上に丈が短いスカートだったり、ぶっちゃけるとエッチなアレンジがなされたメイド服というのが、フレンチメイド服と呼ばれる。
アニメや漫画等で見られるメイド服というのはこれに近いモノが多いのではないか、と思われるのだが、ハルが今、身にまとっているのが、それである。
そりゃ、大福でなくとも動揺する。
確認事項であるが、ハルは美少女と言って過言ではない。
白い肌、黒く艶のある長髪、大きめの瞳に通った鼻筋。シルエットも女性らしく、出るところは出てるし、引っ込むところは引っ込んでいる。
ビジュアルを数値化すれば百点に近い数字を出してくれるはずだ。
そんな女の子が、扇情的で有名なフレンチメイド服を着ている。
動揺をするなという方が無理な話だ。
いや、なんなら動揺で済んで御の字まである。
変に思考がぶっ飛んでいる人間なら、ハルに襲い掛かってもおかしくない。
大福が理性を手放さなかったのは、奇跡的とも言える。
「お、落ち着け、落ち着け……」
「どしたの、大福くん」
「どしたのはこっちのセリフ!」
近付いて来ようとするハルを、なんとかジェスチャーだけで圧し留め、なんとか距離を取りつつ対話を試みる。
何故、ハルがあんな恰好をしているのか。その原因を突き止める必要があったのだ。
もしかしたら、何かしらの罠である可能性はある。
先ほど、すでに日下の罠にかかっている大福は、慎重になっているのだ。
大福の質問を受け、ハルは服を見せびらかすようにクルっと一回りして見せた。
正直、かわいい。
「なんかね、今度の文化祭で私のクラスはメイド喫茶をやるみたいなの。ベタだけど、こんなに可愛い制服を作ってくれるなら、やっても良いかなって思ったよね」
「手作りの制服なんスか……
「なんか、この服だけは一着だけ、コスト
「な、なるほど……」
服を作った人間も、そりゃモチベーションもブチ上っただろう。
何せハルほどの美少女が、手作りの服を着てくれるのだ。
服を作る人間にとって、着せ替え人形のビジュアルが良ければ良いほどテンションも上がる。
そりゃコスト度外視にもなる。
そしてそのコストの中には時間的なモノも含まれているのも窺えた。
何せ文化祭本番はまだまだ先。今月末であるはずなのに、一着だけガッツリ作りこんだメイド服を作り出しているのだ。
製作者も寝る間を惜しんで服の製作に挑んだのだろう。
「クラスの子からサイズを教えてくれって言われた時は戸惑ったし、私も自分の身体のサイズとかザックリとしかわからなくてさ。採寸は新宿にいる時に、職員の人に手伝ってもらってやったんだよね。大変だったけど、これだけ良いモノが出来るなら、その甲斐あったよね」
「採寸もしたんスか」
「うん。だからこの服、すごくフィット感があって、動きやすいのよ。作った子も私と同い年なの考えると凄いよねぇ。すぐに服屋さん開けそう」
「そ、そうスね……」
ハルは色々とポーズを取って動きやすさを確認しているようだが、大福はどうしてもそちらを直視することが出来ない。
まともにハルを見た瞬間、何かが決壊してしまう気がする。そして、それを完全に悪い事だと思っていない自分もいる。
だからこそ、危ういと思っているのだ。
しかし、そんな大福に対し、ハルはニヤニヤと笑う。
「ふふふ、大福くんには私の能力は通用しないらしいけど、今なら少し、考えてることがわかるぞよ……」
「な、なにを仰います。俺は地元じゃポーカーフェイスで有名なんですよ。俺の心を読むなんて至難の業のはずです」
「死ぬほどドキドキしてるでしょ?」
図星だった。
いや、これだけ大福が動揺していれば、誰にだってわかることだろう。
だが、それに加えてハルは言葉を続ける。
「実は、私もすごくドキドキしてる。……正直、この恰好ってちょっと恥ずかしいしね」
「良かった、
「失礼な。人を
大福の言葉に頬を膨らすハル。
これは大きなミステイクであった。大福は今、まな板の上の鯉なのである。ハルの心持ち一つでどうにでも料理されてしまう、危うい状況にある。
だからこそ、ハルの感情を逆撫でするのは良くなかった。
ハルは、大福が視線をそらした一瞬を突いて距離を詰める。
そして、耳元で囁くのだ。
「ね、もっとドキドキすること、しちゃおうか?」
凡百の人間であれば即死してしまうほど甘美な響き。
耳の中で反響するようなその言葉は、大福の頭を強か殴りつけるような、強烈な衝撃を伴っていた。
理性の手綱が、手を離れ――
「ば、ばばば、ばかやろう! もっと自分を大切にしなさい!!」
――そうになったのだが、ヘタレが勝った。
大福はハルを突き飛ばし、部屋の外へと出て行ってしまったのだった。
ドアが閉まるのを見ながら、ハルは『からかいすぎたか』と反省しつつ、小さく独り言をこぼす。
「意気地なし……」
****
その後、何事もなく森本宅へ帰ってきた大福であったが、その時のことを死ぬほど後悔していた。
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