1-10 お邪魔します

 本当に走り去ってしまった日下の車を見送りつつ、再びハルを背負う羽目になった大福は途方に暮れていた。


 地図アプリで現在地を確認してみれば、森本宅からは相当離れた位置だ。学校を挟んで逆方向に進んでいたらしい。これでは帰るのに相当時間がかかる。

 そもそも、この場にハルだけ捨て置けるわけもない。


 何せ空を見上げればほぼ完璧に夜。

 秋になりつつある季節の移り変わりの時期、寒空さむぞらの下に人を放置するのは、余りに人情に欠ける。


 そうでなくとも、女の子を一人で夜に、路傍ろぼうに捨て置くのはありえないだろう。自分の恋人ともなればなおさらだ。

 ゆえに、大福に取れる選択肢はハルを部屋まで連れて行く、という一つのみであった。


「ご丁寧に変なアプリ入れやがって……」


 自分の端末を見ると、ホーム画面に『ユーティリティーキー』というモノがあった。


 これは先ほど、日下から送られてきたアプリで、奈園島でまかり通っている電子キーに対する汎用キーとなっているらしい。


 ある程度のレベルの秘匿會員には与えられる権限の一つであり、緊急時にロックを破れるようにするためのモノなのだとか。


 これを使えば、このマンションのエントランスも素通りだし、ワンチャン、ハルの部屋にも侵入出来るとかなんとか。


「やべぇモンくれちまったが……これは俺の倫理力が試されているのかもしれない」


 ハルの部屋に入れるということは、当然他の部屋にも入れる。

 空き巣もやり放題というわけだ。


 こんなもんをポンとくれるということは、秘匿會支部長とは言え、結構な越権えっけん行為な感じがする。


 本来ならば協議に協議を重ねて権限付与に値する人物かを品定めするべきなのだ。

 それがこんな降って湧いた展開のために……。


「くそっ、見てろよ。道徳心が人間の形を取った、と言われて地元では有名な俺を甘く見た事を後悔するがいい!」


 謎の反骨心に煽られ、大福はマンションの内部へと向かった。




 確認であるが、奈園島はよく台風の被害が出る地域にある島である。


 そのため、背の高い建物は避けるようにしており、基本的には地下開発の方が盛んで、マンションなども地下へ向けて伸びているきらいがある。


 ハルの住んでいるマンションも例外ではなく、基本的には地上階よりも地下階の方が多い。


「ええと、B405……ってことは、地下四階か」


 日下に教えてもらったハルの部屋番号。


 頭についているBというのは地下階を示す頭文字で、実際、エレベーターのボタンにもそう言った表示がある。


「しかし、先輩を担ぎながらエレベーターに乗るというのも、珍奇ちんきな絵面よな」


 エレベーター内に設置されている防犯カメラを見つつ、自分が客観的にどう見えるのかを想像してしまった。


 この映像を見る人間がいれば『どういう状況なのか……』と疑問を持つに違いない。


 しかし幸運なことに、エレベーターに同乗する人間はおらず、廊下でも誰ともすれ違わなかった。


 大福はそそくさと405号室までやって来て、また端末をかざす。

 ピピっと音がして、電子キーが解除されたことを知らせてくれた。


「お、お邪魔します……」


 大福がドアを開けると、自動で玄関の明かりがつく。

 屋内に人気はなく、シンと静まり返っている。


「家族とかは……仕事なんだろうか?」


 考えてみれば、ハルの家族構成などは聞いた覚えがない。

 もしかしたら共働きで、この時間も外出しているのかもしれない。


 小綺麗になっている玄関に並んでいる靴は少なく、大福は適当な所に靴を脱ぎ……


「先輩の靴……は、また後で良いか」


 一回ハルを降ろして靴を脱がせ、また担ぐというのも結構な労力なので、適当にリビングのソファにでも安置した後、靴の処理をしようと思考を巡らせる。


 初めて恋人の部屋に足を踏み入れてテンパってるわりに、頭は働いているようだった。


 短めの廊下を抜け、突き当りのドアを開く。

 そこは通常なればリビング。


 部屋の住民がいこいの場として作り上げ、一番居心地のいい空間が出来上がっているはずだった。


「……なんだこりゃ」


 大福の眼に映った部屋は、簡素というには簡素すぎた。

 家具がちゃぶ台ぐらいしかないのである。


 ミニマリストにしては行き過ぎている風格すら感じられる。


 テレビも無ければソファも無い。フローリングにカーペットも敷いておらず、逆にちゃぶ台の存在が浮いているまである。


「先輩をフローリングに転がすってのもなぁ……」


 固いフローリングに寝かせてしまえば、身体を痛めてしまうかもしれない。

 せめて座布団の一つでもあればよかったのだが、それすら存在していないのだからどうしようもなかった。


「仕方ない、寝室を……探すか……」


 大福の喉がゴクリと鳴る。


 果たして、付き合いたての彼女の寝室をあばいて良いのだろうか。


 その疑問は確かに頭をよぎったが、こうなっては仕方がない、という言い訳も立つ。


 そう、大福は日下の罠にハマって、今こうなっているのである。

 原因を突き詰めれば日下にある。責めるなら日下を責めろ。

 なんなら眠りこけているハルにも責任がある。自責しろ。


 誰も見ているはずがないのに、心の中で必死に言い訳しつつ、大福はリビングを後にした。

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