空を見上げる彼女の横顔を見ながら、そんな記憶が走馬灯のように蘇った。

二十年ぶりに会った棗ちゃんは、あの頃のあどけなさを未だに残していた。

 私が世間に下りてしばらくした頃、かつて新選組にいたという男と偶然にも知り会う機会があった。組の末期に十四で入隊し会津までを戦ったが生き残ったという。私が島原で遊女をしていたと告げると、心を許した彼は当時のことを懐かしそうに語ってくれた。

その中で聞いたのは、衝撃的な事実。あの油小路の惨劇の後、斎藤一は新撰組に戻っていた。彼が密偵だったことは、公然の秘密だったという。

それを聞いた当初は頭が混乱して何も考えられなかったが、冷静になってみれば思い当たる節があった。

私が平助から伊東の襲撃計画を聞いたとき見た人影。あれは、やはり棗ちゃんだったのだ。

盗み聞きした彼女がそれを斎藤に伝えた。そして事が露見し、新撰組に逆襲を許したあげく、平助は……。

そこまで考えが至ると、あの狂気の檻に再び連れ戻されそうな感覚に襲われた。

だってそれならば、平助を殺した遠因は私にもあるんじゃないか。私が、あの時料理の約束なんてしなければ。あの時棗ちゃんを呼び止めていれば。しばらくは、そんな後悔に苛まれて眠れぬ日々が続き、実際海に身を投げようとしたこともある。

けれど、いつからかそれは憎悪へと移ろい変わっていった。

棗ちゃんが、あの場所にいなければ。斎藤にそれを教えなければ。そうだ、平助は今でもこの隣で生きていたんだ。

それから、その思いは胸にこびりついて消えなくなった。


 一年前、久々に訪れた京は随分と様変わりしていた。

歴史の影も薄れ、かつてを知る人々も少なくなった。島原の見世もなくなっていたし、あの狂い咲きの桜の木も見つけられなかった。切られてしまったのか、もしかしたらあの出来事は夢だったのかもしれない。

かつて平助が死んだ小路へ花を手向けながら、私は思った。

きっと彼はまだ生きたかったはず。あんな死に方をして、悔しくて惨めで、その相手を許せないはず。

二十年の時を経て、私の生きる目的は復讐になった。

あの日、平助を奪った奴等に思い知らせてやる。


 そんな情念を抱きしめ生きてきたが、遂にその機会が訪れた。

私にとっては、最も憎い憎い相手。棗ちゃんと斎藤さんの間にどのような別れがあったのかは分からない。しかし着物の仕立てや肌つやから、今の彼女が良い暮らしをしていることは間違いない。新しい人生を、のうのうと幸せに過ごしている。

私と平助は、あんな結末を迎えたというのに。私だけが、まだあの場所から動けないでいるのに。

 何も気づいていない彼女の死角で、自らの懐に右手を入れる。常に持ち歩いていた守り刀。

これで棗ちゃんを刺し、私も命を絶つ。そんな覚悟くらい、とっくの昔に出来ていた。

 「もう花残月なのね」

けれど、ふと彼女が呟いたその時。

目に入った、琥珀色。

刃物を取り出そうとしていた右手から力が抜ける。それは、長い間見ていなかったのに決して忘れることは出来ぬもの。

棗ちゃんの髪には、古ぼけた琥珀の簪が、幕末のあの日と同じように差されていた。

この色が似合うような年になった彼女。もしや。まだ忘れられぬのだろうか。

急に、足から力が抜けて座り込んでしまいそうになった。


 あの時代を生きた者は、誰もが未来を見るふりをしながら、歴史の鎖から逃れることは出来ない。

それならば、私は、これからどうやって生きて行けば良いのだろう。


 ふと、尼寺から外に出た日のことが思い起こされた。

歴史の彼方に消えていった者達の魂は今どこを彷徨っているだろう。

私も棗ちゃんも、きっとそんな名もなき中のただ一人に過ぎない。


 百年後、二百年後、この国はどうなっているだろう。私達はどのように語り継がれているだろうか。

願わくば……

知らず、私は天に手を合わせていた。






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