第7話 満月は好きじゃない、その理由

 日が暮れて、空には星が瞬く。

 

 夜勤や残業のある者以外は、すでに家に帰ってしまった頃。

 大聖堂の東側にある庭園は、宮殿や役所の関係者の憩いの場になっているが、今は時間が遅いためひっそりしている。


 そんな静かな庭園のベンチに、ぽつんと小さな人影があった。

 その人物は、何をするでもなく、ベンチに腰掛け、夜空を眺めている。


「……君は何をしているんだ?」

「あ、聖女様」


 その人物――ユイトが振り返る。

 そして、ベンチのすぐ後ろにシンは立っていた。


 突然、シンが背後から呼びかけたわけだが、ユイトには驚いた様子がない。おそらく、気配で誰かが近づいていることを把握していたのだろう。


 ユイトはにこりと笑った。


「空を見てました」

「空を?」


 シンは上空を見上げた。

 今宵は雲一つなく夜空は澄んでいて、星や月がはっきりと見えた――だが、それだけだ。その他にはなにもない。


「特に何もないが?」

「えっと…、星と月があります」

「それがどうした」

「いや…、ただ綺麗だなぁって」

「……」


 つまり、ユイトは単に夜空を眺めて楽しんでいたというわけである。シンは口をへの字にした。


 正直なところ、シンには景色を楽しむという感覚がない。

 空は空、山は山、街は街。それ以下でも以上でもなかった。

 情緒もへったくれもないが、景色に限らずシンはそういう性質だった。物事にあまり感動しないのである。

 もっとも、だからと言って、他人の感性に口を挟むつもりもない。


 結局、シンは否定するでもなく肯定するでもなく、ユイトに対して「そうか」と小さく言っただけだった。

 傍から見れば、不愛想でしかないシンの態度だが、ユイトは全く気にしていないようだ。


「夜空は綺麗だから好きです。あ、でも…」

「なんだ?」

「満月の夜はあまり……」


 困り顔をするユイトに、さもありなんとシンは思った。

 満月の夜と言えば、月に一度の『祈りの儀』だ。


 その夜、近衛隊員たちは激しいエニグマの猛攻から聖女を守り切らなければならない。『祈りの儀』における聖女の護衛は、近衛隊員たちにとって最も過酷な任務である。

 その厳しさ故に、満月の夜を嫌っても不思議ではなかった。


 すると、不意にユイトは黙り込んだ。

 顎に手を当て、何かを考えているようである。


「どうかしたか?」

「……聖女様に一つ、お伺いしても良いですか?」

「別に良いが……答えるとは限らんぞ」


 下らないことならば、にべもなく回答を断れば良い。

 そう考えていたシンだったが、ユイトの質問は予想外のことだった。


「あの、聖女様という存在は世界に一人しかのでしょうか?」

「……どういう意味だ?」

「聖女様は候補生の中から、最も適したお人が選ばれると伺っています。でも、お一人に決める必要があるのでしょうか?」

「ほぉ」


 とシンは思った。


「確かに、結界を維持するという点においては、聖女が複数いた方が都合良いだろう。誰か倒れても、すぐに替えが利くしな」

「それではどうして?」

「教会の政治的都合だろう」

「政治……」


 ニヤリとシンは笑った。


 結界を維持する――この点のみにおいて、『聖女』に神格性や神秘性は必要ないとシンは考えていた。必要なのは霊脈を操るに足る霊力、それだけだ。

 なにせ仮初かりそめとはいえ、男のシンを聖女に据えても、結界の維持に何ら支障はないのだから。


「教会が人心を掌握しょうあくする上での政治的都合だ。信仰の対象として『聖女』を一人に定めた方が、大衆の理解を得やすい。信仰を集めやすい。また、『聖女』という頂点トップに据えたのも、男性よりも神秘化されやすいからだろう。もしかしたら、女性にした方が、権力集中が起こりにくいという狙いもあるのかもしれん」


 全てはスーノ聖教会の政治的都合上だと、シンは今の国政の在り方を省みながら、そう話す。


 コハク国のまつりごとは、聖女と補佐役の枢機卿たちで執り行うことになっている――が、それはあくまで建前だ。実際のところ、実権を持っているのは枢機卿たちであり、聖女は蚊帳の外だった。


 このことはシンに限らず、歴代聖女にも共通していて、枢機卿たちは意図的に政治から聖女を遠ざけていた。おそらく、聖女に権力が集まりすぎるのを恐れているのだろう。


 枢機卿らが聖女に求めるもの――それは、結界の維持と民への偶像的役割のみである。


「……そうなんですか」


 ユイトは目を丸くして、シンの言葉を聞いていた。


「自らのいる環境に疑問を持つというのは良いことだ。何も考えず、愚鈍に生きるよりずっといい。ただ、何かを尋ねるとき、相手が誰なのかは注意した方が良いな」

「えっと…?」

「君はそのつもりはないだろうが、先ほどの発言。現在の教会の在り方を否定しているようにも受け取れる」


 シンがそう言うと、ユイトは目に見えて慌てだした。


「ええっ!?いや、私はそんなつもりじゃ…」

「分かっている。だが、悪意ある者なら、そこを突き難癖をつけてくるだろう。気を付けたまえ。これからも教会で出世していくつもりなら、特にな」

「はい……」


 神妙にユイトは頷く。まるで、シンの忠告を肝に銘じているような様子だ。

 それを見て、淡い笑みがシンの口元に浮かぶ。


「さて、聖女の件に話を戻すが…。現在に限っては、政治的云々なしに、ろくな候補者がいないという問題もある」


 現在、他の候補者たちはシンやイオよりも霊力が格段に劣る。アレで結界を維持しようとすれば、相当な負荷が身体にかかるだろう。それこそ、すぐに身体を壊しかねない。


「つまり、政治的な話を抜きにしても、聖女様お一人が頑張るしかないんですね……」


 シンの話を聞いて、残念そうにユイトは目を伏せた。


「もし、代わりの人がいるなら、満月の夜も少しは楽になると思ったのに……」


 ボソリと呟いたその言葉に、「ん?」とシンは眉をひそめた。


「聖女複数にいても、君ら近衛隊の仕事は変わらない。『祈りの儀』では大量のエニグマと戦わなければならず、君たちは楽にならないぞ?」

「あ、はい。そうですけれど?」


 キョトンとするユイトの顔には「どうして、そんな当たり前のことを聞くの?」という気持ちが透けて見えていた。

 ここで、シンはやっと自分の思い違いに気付く。



 ユイトは満月が好きではないと言っていた。それは、『祈りの儀』での近衛隊の任務が過酷だからだと、シンは受け取った。


 しかし、どうやら違ったようだ。


 ユイトは聖女が複数にいれば、『祈りの儀』がと言う。同時に、そのような状況でも近衛隊員の仕事は変わらないと分かっている。

 ということはつまり、彼女の言う対象は――シンなのだ。


――まさか『祈りの儀』で私に負担がかかるから、満月が嫌いだとでも……?ユイトは私を心配しているのか?


 通常、シンは心配されることが嫌いだ。それは少なからず、彼に心配される要素があるということ、隙があるということを意味するからだ。

 けれども、今この場に至っては、シンは不快感を覚えなかった。

 ユイトに心配されも嫌ではない。ただ、何となく落ち着かない。


――私は……どうしたというのだ?


 自らの心境の変化に、シンは戸惑うのだった。



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