第50話 怠惰と勤勉と正義と


「これからどーしよーかなー」


 外界の南東


 海に程近い、狭く暗い建物の路地裏をイデアの隣人のアジトから逃げ出した木崎錦は歩いていた。


 そこを歩いている錦はイデアの隣人のアジトから逃げ出したあとのことを考えている。


 おそらく今回のことで烏の饗祭と招き猫には顔を知られているはずであるし、捜索が行われるだろうことは容易に想像できた。


 そんな追手と戦うなんて面倒なことをしたくない錦は烏の饗祭と招き猫の傘下ではない小さなグループの身を寄せようなんてことも考えていたが、仲間たちが集まってできたような小さなグループに初対面の自分が入れる事はまずないだろうと思っていたし、もし入れたとしてもぐうたら出来ないのは嫌だなあと思っていた。


 逃げ出した後のことはノープランであった錦


 ならなぜあの時、あの場から逃げたのか


 ぶっちゃけなんとなくである


 普通に純や硯たちに拘束される方が安全ではあるが、敵だったと言うレッテルを貼られながら生きていくのは嫌だったし一度裏切りを行うとあまり信用されなくなること、もちろん錦の実力や想いを相手が知れば、ある程度自由にさせてくれるだろうが、今まで通り自由に活動する事はできなくなる可能性の方が高いなど色々と理由はある。


 しかし、そのどれもが後付けの理由であり、あの時錦が逃げると判断した理由は完全に勘である。


 元々錦は白夜の夢デイドリーマーが上に立った新イデアの隣人から脱退しようと考えていた。


 伊神新内がいた頃のイデアの隣人はまだ良かった。

 リーダーがスカウトしたということでアジトでぐうたらしていてもいい環境だったし、彼のおかげで自由にやらせてもらっていた。


 初めてヘイルムと会った時、錦は勝てないと感じた。

 その時にはもうイデアの隣人から抜けようと考えていた錦はヘイルムが夢幻ヴィジョンで契約を結ぶと知った時は今すぐここから逃げるべきかと危機感を抱いていた。


 その後、ヘイルムは自分の想いを侵害しないと言う言葉に一旦は矛を収めた錦であったが、ヘイルムは自分よりも圧倒的に強く、最終的には暴力による強制労働も可能性としてあったため、ヘイルムの完全に警戒を解くことはなかった。


 それでもまだたらればの話だったためアジト防衛の仕事自体はきっちりこなそうとは思っていた。


 それも、自分の夢幻ヴィジョンが突然燃やされたことで他の場所が失敗したのだと思い、彼は仕事を放棄して逃げ出したのだ。


新宿ここから出て行こうかなー」


 これからどうしていこうと考えた錦はヘイルムが外から来たと言うことを思い出し、自分この都市から出ていこうと思っていた。


「ダメだよミランダ」


 錦はその場に立ち止まる。


 誰かの声が聞こえたからではない。


 後ろからその首元に刃が添えられていたからだ。


「ロワン!こいつは敵だぞ!」


白夜の夢デイドリーマーが乗っ取ったグループの幹部だったってだけでしょ」


 いや、添えられているのではない。


 首を斬られかけていたのだ。


 錦は首に刃が添えられており後ろを振り返らないので状況は分からないが、ロワンと言う男がミランダと呼ばれる女が自分を斬ろうとしているのを止めたのだろうことは分かった。


 錦は肉弾戦の心得がないため気配を察知するなんてことはできないが、足音などから察することはできる。

 しかし、ロワンの静止の声でやっと自分が斬られかけていたことを知った錦は自身が死ぬ一歩手前だと言うことを遅らせながらに自覚して汗が吹き出す。


「おい。白夜の夢デイドリーマーに関して知ってること全て話せ」


 ミランダは錦の首元に刃を添えたままそう言った。


「それは出来ないねー。契約であいつらのこと喋ったら死ぬからねー」


「知るか。さっさと喋って死ね」


「ねぇロワンくん、でいいんだっけー。君は俺を殺すのは反対だよねー。この子のこと説得してくれなーい。この子と話が合わないんだけどー」


 ミランダと話しても埒が開かないと思った錦は話をロワンへと振った。


 しかし、それがミランダにとって癪に触ることだった。


「貴様、ふざけてるのか?」


「なにがー?」


「その態度だ!貴様は悪に加担していたという自覚がないのか!」


「はあー?」


 錦はミランダが何の言っているのか意味不明だった。


 いや、分かる。

 なんとなく分かるには分かるが頭がそれを理解することを拒んだのだ。


「なにー?君はその白夜の夢デイドリーマーの傘下に入ることが悪だって言いたいのー?」


「当たり前だろ。正義の心が残っているのならあんなやつらに与したりはしない」


「俺従わないと死んでたかも知れないんだけどー」


「悪に落ちるよりましだろ」


 錦はミランダの姿は見えないが、今の言葉が冗談ではないと言うことは分かった。

 まるで自分の思想が正解だと言わんばかりの態度は錦にとって嫌いな部類の人間であった。


「俺、君みたいに自分の為すこと全てが正義だと思っている人嫌いなんだよね」


「なんだと!」


 錦の言葉に怒ったミランダは、その首に添えられた剣を持つ手に力を込める。


「ミランダ」


 それを察したロワンが制止しようと声をかける。

 だが、今回はミランダもそれを許容することができなかった。


「止めるなロワン!こいつは私の想いを否定した!」


「ミランダ」


 再び名を呼ばれたミランダ。


 その言葉に彼女の動きが止まる。


 ロワンの言葉を納得したわけではない。

 その言葉に僅かながらに怒りの感情が乗っていたからだ。


「否定したからなに?いつも言ってるでしょ。人々の想いは千差万別。その人にはその人の想いがあるんだ。君の想いも理解している。けど、それを他人に押し付けてはいけない」


「だが!」


「君にとっての正義が誰かにとっての悪ではないと言い切れる?少なくとも僕にとって君の想いは悪ではないが、正義でもない。今まではただただ噛み合っていただけだ」


「っ!」


 ミランダはこれ以上言葉が出なかった。


 長い間一緒に活動していたからかミランダにとってロワンは仲間だと言う認識を持っていたためだ。

 それなのに彼はそんなことを考えていなかったことに頭が真っ白になったミランダ。


「俺の想いも尊重するなら、見逃して欲しいんだけどなー」


 その言葉にハッとなったミランダはさっきから外れていた錦へと意識を戻す。


 すると刃の近くに錦の姿はなく、その姿はミランダの数十歩先にあった。


 錦はその時初めて2人の姿をその目でみる。


 ミランダと呼ばれる女性は赤いショートボブの髪型に吊り目をしており、動きやすい格好をしており、その右手には剣を持ち腰には鞘が付いていた。


 ロワンと呼ばれた男性は、黒に近い紺色の髪色をしておりロングコートを着て、腰にはバックホルダーがついており、本が開かれた状態で手に持っていた。


 錦が移動していたことに気づいたミランダは彼に近づこうとするが、体が動かないことに気づく。

 よく見てみるとその体と剣が糸に絡みつけられていることが分かった。


「いつの間に!」


「僕とミランダが話している隙にだよ。それより逃げなかったんだ」


 驚いているミランダとは対照的にロワンは驚くことなく錦を見ていた。


「君が気づいているのはわかっていたからねー。それに君達の話にも興味があるんだー。?」


 その言葉にロワンは笑みを浮かべた。

 その笑みは驚きと言うより、やっぱりと言った感じであった。


「いいね。人間は話し合いでお互いの想いを尊重し合える生き物だ。…でも必要なら、僕の想いのために君の想いを踏みにじることはするよ。僕にとって自分の想いが何よりも大切だから。だから、話し合いで終わることを願っているよ」


「あっそー。で、君たち誰?」


 今更ながら自己紹介していなかったことに気づいたロワンは軽く自己紹介をした。


「ああ。僕はロワン・ブックラー。彼女はミランダ・コンポスタ。白夜の夢デイドリーマー打倒を掲げる組織、落日の夜空デイブレイクの一員だ。それで君は?」


 自分ともう1人の女性の自己紹介も行ったロワン。


 もう1人の方は拘束しているから自己紹介出来ないから代わりに行ったのかなと錦が思っていると、突然拘束していた糸が緩んだことを感知し、彼女の方に目を向ける。


 するとそこには自由になったミランダがいた。


 確かにミランダを拘束していた錦の夢幻ヴィジョンである糸は斬られたとかではなく、なぜか勝手に糸の拘束が緩まったのだ。


 どう言うわけか問いただしたい錦であったが、どうせ彼女が答えることないし、話が脱線することから、一旦そのことは頭の片隅に置いておくことにして自身も自己紹介することにした。


「木崎錦。今はフリーの人間だよー。でー?僕に何の用ー?あいつが言ってたように白夜の夢デイドリーマーの情報が目的?ならさっきも言ったように言えないよー」


 錦はそう言いながらミランダの方に目を向けてみると、彼女は怒っているのか顔を待ったかにした状態で錦を睨んでいた。


 ロワンが手で静止していなければ今すぐにでも錦に襲いかかりそうなほどである。


「いや、それはいい。どうせ大した情報持ってないでしょ?それより勧誘だよ。君、落日の夜空デイブレイクに入らないかい?」


 その言葉に錦だけでなく、ミランダも驚いた表情をしていた。

 彼女も初めて聞いたのだろう、バッとロワンへと顔を向け、どう言うことだと言わんばかりに表情で彼を睨んでいた。


 錦は彼女が劇的な反応を示したためか比較的早めに立ち直ることができた。


「突然どう言うことー?なんで俺が勧誘されるのかな?」


透夢幻ステルスヴィジョン


 その言葉に錦はピクリと反応する。


 無理もないだろう。

 それは錦が切り札として持っていたものなのだから。

 だが、同時に納得もした。

 錦自身、この情報は夢幻ヴィジョン同様頭に刻まれたことで得た情報なのだから他にもいるだろうと


「やっぱりね。ここでは知られてないと思っていたけど、知れ渡っていないだけだったようだ。君のあの時の戦い方は知ってる戦い方だったからね」


 ロワンは錦がかすかだが反応したことで彼が透夢幻ステルスヴィジョンを知っていると言う確信を得た。


 錦は気づいていたようだが、ロワンは純、硯達との戦いを離れた場所から眺めていた。

 リーダーからは白夜の夢デイドリーマー及びイデアの隣人の作戦を全て阻止せよとの命令であったが、ロワンは様々な人の夢幻ヴィジョンを記録したいという思いからギリギリまで手出しはしないようにしていた。


 そして、そこで錦の夢幻ヴィジョンに彼は興味を持ち、見失った時はミランダの夢幻ヴィジョンで探しだし、イデアの隣人を抜けたと言うことで勧誘したのだ。


「どうする?」


「……別にー、そんなことしなくてもー新宿から出ると言う選択肢が俺にはあるんだよー?」


 錦は他の選択肢もある中、知りもしないグループに入ることを躊躇っていた。


「無理だよ」


「どう言う事ー?実際に君たちは他から来たでしょ?」


「ノンフィクション以降、大部分が寓話獣のテリトリーとなったことで人々は気軽に外に出れなくなった。そんな魔境の中、都市間を移動している者は僕たち以外にも確かにいる。相性によっては夢想アーツでもいけるかもしれないね。僕たちもまだ夢想アーツまでしか会得してないから」


 ミランダが勝手に自分の情報をバラすなと怒っているがロワンはそれを無視する。


「なら僕も行ける可能性が……」


「それはない」


「…なんでそう言い切れるのー?」


「なら聞くが、ノンフィクション以降ここ新宿に都市の外から来たものはいるかい?ああ、僕たちと白夜の夢やつらは除くよ」


 その言葉に錦は言葉が詰まる。

 今回の出来事以外でここ新宿に人が来たことは錦が知る限り一度もないからだ。


「僕の想いは〈全ての知識を保存する〉こと。ノンフィクション以前の消失してしまった技術や文化の復活、そして、寓話獣たちの全てを解明し後世に伝えることが僕の願い。僕は仲間のテレポートで新宿にきたけど、その後ここら一帯の寓話獣の調査を行った。その結果、この都市、いや次元門クラックゲートも囲む形で強力な寓話獣がテリトリーにしていることが分かった。はっきり言おう。君の実力じゃあの領域を突破することはできない」


「……それが嘘じゃない保証はー?」


 錦は怪訝な表情でロワンを見つめる。


 ロワンの話の信憑性がないからだ。


 彼は先ほど錦を勧誘している。

 そこからロワンは錦を落日の夜空デイブレイクへと入れさせるためにわざと嘘の情報を教えて都市を出るという選択肢を排除させるためという可能性も錦には否定できなかった。


「ない。だが、今の話は僕の想いに誓って真実だ。……それに、落日の夜空デイブレイクに入ることは君にもメリットのある話だよ」


「メリットー?」


 ロワンが想いに誓ったこと、そして入ることにメリットがあると言ったことで錦はロワンの話に興味を持ち始める。


「君が他の人たちから追われないようにすることができるし、白夜の夢デイドリーマーを倒すこと意外だと自由にしてていい」


 ミランダのような人物が多いと思っていた錦は、自由にしていいと聞き少し意外に思った。

 落日の夜空デイブレイクが正義のヒーローみたいな立ち位置だと思っており、自分には合わないと思っていたからだ。


夢想アーツの源はその人の想いだ。それをルールによって縛ることはその人の夢幻ヴィジョンの存在力の低下になるし、最悪内部から瓦解する。だから、基本的に自由に活動できるし君の想いを否定するようなことはしない。そこは契約によって保証されてるよ。まあ、裏切らないっていう契約も結ばせてもらうけどね。どうだい、入る気になったかな?」


 そこまで聞かれた段階で錦の中では一つの結論に至っていた。

 というか、都市の外に出るなんて錦の想いからしてあまり取りたい手段ではなかったため、初めから少し傾いていたところはあった。


「はあー。それが嘘だったら逃げさせてもらうよー」


「じゃあ」


「俺も都市を出るなんて面倒なことはできるだけしたくないからねー。君の勧誘を飲むよ」


「よろしく頼む」


 ロワンは片手を差し出し、何がしたいのかを察した錦もまた片手を差し出してお互いに握手を行なった。


 ミランダはそれを少し不満げに眺めていた。

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