第5節(3)

「お見苦しい所をお見せしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。もう、大丈夫です」


 十分程が経ち、亜鈴は普段の調子を取り戻していた。ずっと足元に転がっていた「それら」は呪符に収納され、目元には見慣れた黒の包帯が巻かれていた。彼女から感じる雰囲気は、飢えた肉食獣でもなく、怯えた少女のものでもなく、毅然とした白崎家当主のそれへと戻っていた。


「気にしないで下さい。私としては、白崎様の年相応の部分を拝見することが出来て、正直嬉しいですから」

「それは……、出来ればあまり思い出さないで頂けると、その……、助かります」


 顔を赤らめながら言い淀む亜鈴の姿はとても愛らしく感じられた。少女らしからぬ丁寧で流暢な喋り口調、そして感情表現の乏しさが常の彼女だからこそ、こういった一面に心が動かされるのだろう。


「そう言えば、白崎様のご年齢はおいくつになるのですか?」

「十四です。二ヶ月後には十五になります」


 ということは燈子よりも二歳年下になる。燈子は個人的に十二歳と予想していたので、亜鈴は同年代の人間と比べて童顔であるようだ。


 しかし十四歳。それでも士族の当主としてはかなり若いな、と燈子は思う。


「立ち入ったことをお聞きしますが、十四歳で一族の当主を継がれているのはかなり早くありませんか?」


 亜鈴はその指摘は的を射ている、といった面持ちで答えた。


「他の士族の方の認識ではそうなるでしょうね。ただ白崎家に関しては、おおよそ十歳から十五歳の間で家督を継ぐのが常となっています。実際、私が家督を継いだのは四年前、母の死と合わせてです。白崎家の人間は生まれつき身体が弱く、長命の者でも三十年生きられません。ですから家督を相続する年齢も、自然と早くなるのです」


——三十年、生きられない?


 燈子はその言葉に衝撃を受けた。それは人の寿命としては余りにも短すぎないか、と。


 天神国において、住民の平均寿命は厄災時の被害と夭逝を除いて六十歳前後と言われている。亜鈴の話が真実であれば、白崎家の人間は普通の人間よりも半分の年月しか生きることが出来ないということになる。橙子よりも年下の少女が既に人生の折り返し地点を迎えている事実に、燈子は居た堪れない気持ちを抑えることが出来なかった。


「それは……辛くはありませんか?」

「? 何故ですか? 人に限らず、この世に生まれ落ちた全ての生命には定められた寿命があります。それぞれに長短はあれ、いずれは平等に、全ての命に終わりが訪れる。少しばかり他の者より生きる時間が短かろうとも、そこに特別抱く感情などありはしないと思いますが」


 当の本人が何事でもないように語っているのが、燈子の居た堪れなさをより増幅させた。


「それでもやはり疑問です。同じ天神国の人間でありながら、これほど寿命に差が出るのはおかしくありませんか?」

「それについては、白崎家が代々犯してきた、呪術に対する飽くなき「業」が影響しているのです」

「業、ですか?」

「はい。先程の光景をご覧になった緑川様であれば薄々察しているとは思いますが、白崎の人間が使用する呪術は『魂魄術』。つまりは魂や霊体など、この世の非実体物に干渉する術を私達は得意としています」


 名士の一つ、緑川家に名を連ねる燈子をして初めて聞く種類の呪術だった。士族が扱う呪術は基本的に『火』、『風』、『雷』、『土』、『水』の五つの属性のいずれかに該当し、どの属性に適性があるかは親からの遺伝に依る部分が大きい。そして属性の種類は先述の五属性以外にも少数派ではあるが存在する。例えば同じ名士の家系である青山家は『空間』の属性を有し、最大勢力である黒城家は『影』の属性を有している。緑川家も同様に少数派属性を有する一族であり、燈子自身も例外的ではあるがそこに該当する。


 こういった情報については、勢力の大きい家系であればある程周知されているものだが、唯一の例外が白崎家である。名士のひとつに数えられながらも、かの家に関して知られている事柄はあまりにも少ない。領地は本土と海を挟んだ離島にあり、また社交界に顔を出すことも殆どなく、士族の間では秘密主義を徹底した陰気な一族なのだと認識されている。燈子が零幻島を訪れてから初見・初耳の連続であることも、白崎家の呪術について知識を持ち合わせていなかったことも、その事情を考慮すれば無理からぬことだった。


「今更ですけれど、そんなことまで部外者の私に話してしまって大丈夫ですか? 白崎家にとってそれは機密情報に当たるのでは?」

「いえ、問題ありません。知られた所で私達に大した不利益はありませんから」


 噂の内容に反して、亜鈴は聞いたことに関しては基本的に何でも答えくれた。別段秘密主義なのではなく、ただ聞かれなかったから教えなかっただけだ、とでも言わんばかりに。


「話を続けます。魂魄術を扱う私達ですが、遥か昔、ある白崎家の当主は考えました。霊体に干渉出来る白崎の人間ならば、霊体そのものを己の血肉とすることで、呪術師としての力量をより向上させられるのではないかと。おあつらえ向きに、死した魂は向こうから勝手にやって来るのだから、霊魂の確保に難儀することもなく効率的だと。そう、私の祖先は考えました」


 亜鈴の話を聞いて燈子は背筋に薄ら寒いものを感じると同時に、彼女の語った「業」が何であるかをこの時完全に理解した。つまりは、呪術師でもある士族が一族の呪力向上に向ける「盲嫉的な情熱」。


 結局のところ、各一族の勢力の大きさは麾下に従える「呪術師個人の力量」と「人数」の総体で決まる。そのためどの士族も呪術師の能力向上という点においては並々ならぬ心血を注ぐのである。中にはそれが行き過ぎてしまい、人体実験紛いの行為に及ぶ一族も少なくない。おそらく名士と呼ばれる家系の歴史を紐解けば、過ぎ去った過去か現在進行形かの違いこそあれ、例外なく非人道的手段に手を染めた事例が発見されるだろう。「霊魂の捕食による人体と霊体の融合」は、白崎家において結実した盲嫉の形の一つと言える。


 その成果を証明するように、白崎亜鈴が保有する呪力量は燈子がこれまで出会ってきた士族の誰よりも多い。おそらく他の名士の当主と比較しても倍近くはあるだろう。


 誰かを犠牲にして力を得るという考えは燈子にとって嫌悪の対象でしかないが、しかしそれは紛れもなく歴代の士族達が侵してきた罪であり、その罪科は士族の血を受け継ぐ燈子自身にも帰せられるものだ。だからこそ現代においても罪の意識のないまま犠牲を容認する士族のあり方を、燈子は心の底から腹立たしいと思ってしまう。


 亜鈴の語りは淀み無く流暢に続く。


「結果的にその考えは正しかったと言えるでしょう。霊魂の捕食行為によって、白崎家は天神国内でも強力な呪術師を輩出する指折りの家系となり、名士の一角に名を連ねるまでになりました。しかしそこにはいくつかの代償も伴いました。

 一つが寿命の短命化。霊魂を取り込んだ白崎の人間の体は、捕食行為を行えば行う程、取り込んだ霊魂そのものに身体を侵食されます。イメージとしては体内に蓄積する水銀毒が近しいでしょうか。侵食による体への負担は大きく、現在において白崎家の人間の寿命は三十年を超えないものとなりました」

「それはつまり、霊魂の捕食を止めればその時点で寿命の短縮もしなくなる、という事ですか?」


 目の前の少女にまだ長生き出来る可能性があるのではと期待を込めて、燈子はそう口にした。

 しかし亜鈴から発せられたのは、燈子の期待を無常に裏切る事実だった。


「仰る通りです。ただ残念ながら、現在の白崎の人間がその手段を取ることはもう出来ません。おそらく霊魂の捕食を永きに渡って行った影響なのでしょう。いつからか、白崎家の人間は霊魂以外を食物として摂取出来ない身体へと変質してしまいました。私も例外ではありません。残念ながら今の私達にとって、霊魂の捕食と生きることは同義なのです。

 寿命が蝕まれると分かっていても止められない。既に自分の意思とは関係なく、身体そのものが霊魂を求めるようになってしまっているのです。それはもう、捕食欲によって理性が吹き飛んでしまう程に」


 燈子は先程目撃した霊魂を捕食する亜鈴の姿を思い出しながら、ひとつ納得していた。昼間の作戦会議前に亜鈴が食事を共にしなかった理由。あれは普通の食物を口に出来ないのと共に、自身の食事風景を他人に見られたくないという彼女個人の心情が現れていたが故だったのだと。

 その心情は燈子にも容易に想像出来る。理性を失って肉食獣と化した自分の姿など、今日初めて会った人間になど晒したくないのが当然だ。


 ここで、一度も止まることなく続いていた亜鈴の説明に一拍の間が生まれた。亜鈴は一度深呼吸を行い、心を落ち着かせるための動作を取ってから、再び話を始めた。


「そして、霊魂の捕食によって発生したもうひとつの代償。それが通常視野の喪失です。緑川様は私の瞳を見て、どう思われますか」


 亜鈴はそう問いかけながら、目元の包帯を外した。包帯を外す時の彼女の両手は、僅かながら震えていた。

 包帯の下から露わになった彼女の瞳は、やはり死んだ魚の目のように白く濁りきっていた。燈子はどう答えたものか数秒黙考してから、口を開いた。


「……既に、機能していないように見受けられます」

「お気遣い頂かなくても結構です。醜く、腐った死体のように濁っているでしょう? 私は自分で自らの眼を見ることは既に叶いませんが、記憶に残る母の眼はそうなっていました。

それに四年前、当主の就任挨拶を兼ねて天主府での士族会議に参加した際、青山家のご当主から言われました。『お前の腐り果てた目は見ただけで吐き気を催すから二度と衆目に晒すな』と。私はその時初めて知りました。自分の容姿が他者に見せられない醜悪なものであることと、母が常に布で目元を覆い隠していた理由を」


 語る亜鈴の言葉には、先祖の遺した呪いに苛まれる自分を笑ってくれと言わんばかりの自嘲の念が含まれていた。


 燈子はこの時、青山家当主の憎らしい程に端正な顔を思い浮かべながらその顔面を潰れたトマトになるまでぶん殴ってやりたいと思ったが、それ以上に今の亜鈴の姿が酷く寂しいものに思えてやるせない気持ちになってしまった。それと同時に、自分と同じく、自身の境遇に苦しめられる少女が存在したこと。その事実に燈子は大きな衝撃を受けた。


「視力はもう、完全に失っているのですか……?」

「どちらとも言えません。普通の人間としての視界は既に失っています。ただその代わりに、霊魂はもちろんのこと、世界に揺蕩う力の流れなどの不確かなものも含めて、普通の人間には視認出来ないものが見えるようになっています。昔とは視え方は異なっていますが、日常生活をする上で難儀することはありません。包帯で目元を覆っていても世界を認識出来る点においては、むしろ以前よりも利便性は上がっているかもしれません。

ああ、そう言えば……」


 話を中断して、亜鈴は燈子の体全体を眺め回しながらジッと視線を向けてくる。燈子は少しだけ後ろに身じろぎする。


「……何でしょうか?」

「いえ、昼間にお会いした時からずっと不思議に思っておりまして。普通の呪術師であれば内包した力が外に漏れ出ているものなのですが、緑川様の場合は逆に力が外から内へと流れているのです」


 燈子の中で無意識に緊張感が走る。亜鈴の指摘は燈子の本質を正確に捉えていたからだ。


「それは何か、不味いことでしょうか」


 自然と拒絶の感情が芽生え、発する言葉にも険が籠る。昔感じた恐怖が燈子の脳裏に呼び起こされる。

 しかし今の亜鈴は好奇心が刺激されているためか、それとも他者の感情の機微に疎いのか、燈子の発してしまった険に彼女が気づいた様子はなかった。


「いえ、特には。ただ珍しいな、と思っただけです。ああ、珍しいと言えば。ずっと疑問だったのですが、緑川様はなぜ髪を短く切っていらっしゃるのですか? 女性の呪術師にとって髪を伸ばすことは呪力量を向上させる上で重要な行いの筈ですが、どうして自ら力を削ぐようなことを?」


 話題の対象が燈子に変わったためか、亜鈴から先程までの自嘲の雰囲気はなくなっていた。むしろ今は彼女らしからぬ押しの強さが現れている。どうやら物静かな性格に反して、一度気になったことは徹底的に解明しないと満足出来ない性分らしい。


 そんな亜鈴の純粋な知的好奇心からくる押しの強さに燈子は毒気を抜かれた気分になった。嫌味や裏のない人間の態度というのは、時には救いになるのだなと燈子は思った。

 燈子は右手で自身の髪を一房摘みながら答える。


「これは、私自身への戒めと、覚悟の証なんです。私は昔、取り返しのつかない罪を犯しました。その過去の過ちを決して忘れないように。そして、二度と同じ轍を踏まないためにと。だからこそ、こうして呪術師としての力を削ぐという手段をもって、私は私自身に誓いを立てたのです」


 亜鈴はよく分からないという風に眉根を寄せていた。より具体的な説明を求めます、と顔に表れている。

 燈子は苦笑しながら話を続けた。


「まあ、つまりは、私も白崎様と同じで、業を背負った人間という事です。そうですね。詳しいことは妖の討伐が終わった後にでもお話しします。それに三日後の戦いの中で、白崎様も自ずと知ることになると思いますから」


 亜鈴は未だもって不服そうな表情を浮かべていたが、しばらくして根負けしたように深く息を吐いた。


「分かりました。話の続きは三日後の妖討伐が終わった後で。大妖相手に三十人少々という過少戦力で立ち向かう過酷な状況にあっても、緑川様にはその後を考えるだけの余裕があるご様子ですから。その分討伐戦においては大いに期待してよろしいということですね?」


 やはり戦力不足の懸念が払拭出来ていないのか、「本当に大丈夫か」と亜鈴は最終確認を入れてくる。

 亜鈴の懸念に、燈子は不敵な笑みで答える。


「ええ、その点についてはご心配なく。

それでは夜も更けてきましたので、今日のところは部屋に戻らせて頂きます。ただ白崎様、私、部屋までの道が分からなくてですね。差し支えなければ、案内して頂けると助かるのですが……」

「構いません。白崎家の屋敷は通路が複雑に入り組んでいますから、初めての方ですと迷ってしまうのも当然ですね。こちらも配慮に欠け申し訳ございません」


 亜鈴はそう言って優雅にお辞儀をした後、何かを逡巡するような仕草を見せてから、少しだけ躊躇うように続きの言葉を口にした。


「……それと、緑川様がよろしければですが……、今後私のことは「亜鈴」と名前で呼んで頂けますでしょうか? あれ程色々とお話しした後で、家名で呼び合うのも何だか面はゆいですから……」


 この時の亜鈴の姿は、人生で初めて恋心を伝えた若人のような初々しさに満ち溢れていた。

 頬は赤く染まり、視線は恥ずかしさに耐えるために逸らされ、全身からは「断られたらどうしよう……」といった漠然とした不安が滲み出ている。その姿は大変可愛らしく、そして愛らしい。


 燈子は亜鈴のそんな姿に数秒見惚れてしまったが、我に帰ると心はすぐに嬉しさで満たされた。

 彼女との距離が縮んだこともそうだが、「白崎亜鈴という存在から絶対に逃げない」と言った自分の想いが正しく彼女に伝わってくれた。その事実が燈子にとっては何よりも嬉しかったのだ。

 燈子は先程の不敵な笑みとは違う、心からの自然な微笑を亜鈴に向けた。


「分かりました。それでは私のことも「燈子」とお呼び下さい。妖討伐、絶対に成功させましょうね、亜鈴」

「はい、こちらこそ。全力を尽くしましょう、燈子」


 そう言った亜鈴の顔にも安堵の微笑が浮かんでいた。

 二人はお互いの気持ちを確かめ合うように視線を交わし、亜鈴を先頭にして地下回廊を後にするのだった。

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