第十四話 一心同体

「仕打ち……だと?」


 私には、二人が何の話をしているのかサッパリ理解出来なかった。レイス様がオリヴィアにした“仕打ち”とは一体……。


「レイス様は以前、私を呼び出して一方的におっしゃいましたよね? 『俺に二度と近づかないで欲しい』と。あれは私、と~っても傷付きましたわ」


 そんな、どうして……?


「まぁ、レイス様がそんな酷いことを……」


「え? まさかアイシャ様ご存じなくって?」


「え、ええ……初耳ですわ」


 私が口を隠すように手を添えて返すと、オリヴィアは小声で「チッ、やっぱり」と呟いた。焦りを隠せない様子でレイス様が両手を振る。


「いや待て、違うんだアイシャ。これには尋常じゃないくらい深い事情があるんだ。オリヴィアには……も、もちろん申し訳なかったと思っている」


 冷や汗をかきながら弁解するレイス様に、オリヴィアが冷たい視線を送る。


「は? 謝るだけ? あり得ないんですけど」


 そんなオリヴィアの態度を見兼ねたのか、少し離れた所にいた、黒いスーツに身を包むレイス様の護衛二人が近づいてくる。


「オリヴィア様、殿下に対しての言葉遣いにご注意頂きたい。不敬罪ですぞ」


「何ですの? こっちは被害者なんですけど」


 オリヴィアは忠告されても、全く恐れずに彼らを睨みつけた。すかさず私が後ろから護衛の男の肩に手をかける。


「ア、アイシャ様?」


「今、私の大切な友人が自らの尊厳をかけた大事な話をしております。様子を見る限り、どうやらレイス様に非があるようです。今だけ彼女の無礼は勘弁して差し上げましょう。貴方達は……下がってください」


 護衛の男は「はぁ」と息を吐くような返事をし、その場から離れていった。私がオリヴィアを見て頷くと、彼女も真剣な面持ちで頷き返した。


「レイス様……貴方の罪はそれだけではごさいませんわ」


「何?」


「私の“大切な友人”であるアイシャ様に、想像するにもおぞましい深い傷を負わせましたよね?」


 え?


 深い傷って、もしかして婚約解消のこと?


 だとしても、どうしてオリヴィアがそれを知ってるの?


 その件に関しては事の騒ぎを最小化するために、王家とエルマーレ家の間で箝口令かんこうれいが敷かれたから、誰も知らないはずなのに。


「いや、まぁ確かにそうなんだが、アイシャは許してくれたはず……」


 レイス様が不安そうな顔で私をチラリと見つめてくる。すると、今度はオリヴィアが私に尋ねてきた。


「アイシャ様、私達は友達以上の“大親友”……ですわよね?」


「ええ、もちろんですわ」


 そう快く返すと、レイス様が片眉をあげて顔を振りつつ、私とオリヴィアを交互に見た。


「だ、大親友? 一体、何の確認なんだ?」


「大親友とはいついかなる時も嬉しさや悲しさを共有する、お互い“一心同体のような存在”だと思いますの。アイシャ様の大親友である私は裏切られた彼女の心境を思うと……それはもう胸が苦しくて苦しくて、毒を飲んで崖から飛び降りたくなりますわ!」


 オリヴィアが誇らしげな表情で胸に手を当てて応えると、レイス様が怪訝な顔で「……え?」と返した。彼女は呆れた様子で溜息を吐き、目を細めて囁いた。


「はぁ……レイス様、よろしいですか? 聖女のように心優しいアイシャ様が許しても、私は貴方を絶対に許しませんわ」


 オリヴィア……。


「いや待て。だから俺は責任を感じて王位継承権を――」


「当たり前ですわ!! この国は愚かな貴方よりデカント様が王になられた方が、間違いなく栄えますもの!! あのお方は全てにおいて貴方より優れておりますから!!」


 彼の言葉を遮ったオリヴィアが力強くそう叫ぶと、レイス様は悲しげな表情で俯いた。


「……ま、まぁ確かに兄上は尊敬できる人だ。それは認めるよ。兄上と比べたら俺は……駄目な人間だ」


「レイス様は自責の念にかられて、色々とご自身で贖罪を背負うおつもりなんですよね? 貴方はそれで筋を通したおつもりなんでしょうけど、私からしたらこれっぽっちも納得しておりませんの」


 レイス様が「え……納得してない?」と、驚愕して顔を上げる。


「アイシャ様は本来学園を卒業したら、すぐにレイス様と新婚生活を始めたかったはずなのに、何で貴方の軍事養成訓練校を卒業するまで待たなきゃいけないのですか? 三年も会えなくなるのですよ? 結局、彼女の側にいれないじゃないですか。何それ?」


「それに関しては、アイシャとちゃんと話をして同意をもらっ――」


「だから、レイス様のそれは単なる“自分勝手な自己満足”にしか見えませんわ!! まるで『自分の行いは全て正しい』と思い込んでいるような感じがして“こいつマジで何も分かってねぇなこの男状態”ですわ!! 殻を破った生まれたての雛鳥みたいなアイシャ様が、貴方の決定に逆えるワケないでしょ!? いいですかレイス様、ちゃんとお聞きになって。


女が負った心の傷は一生残るんです。鋭利な刃物で彫られた彫刻のように。


そんな時に、一番女が求めるのは『相応の代償』と『苦しみの共感』なんです。


貴方が訓練校で肉体的に追い込まれたところで、本当にアイシャ様のためになるのですか? 彼女が一番辛い時に、脳ミソが筋肉で構成された連中と健康的な汗なんか流してる場合じゃないのですよ。その辺はどうお考えですか? まさかご自身のお悩みや苦しみと同じ様に『放っておけば時間が解決してくれる』とか、ふざけたこと思ってらっしゃるので? 時間はそこまで優秀な憲兵ではございませんよ!?」


 オリヴィアの圧倒的な威圧感は、その場の空気を完全に支配していた。レイス様も塞ぎ込んで、気力を削がれているようだ。



 私のために……オリヴィアがレイス様と懸命に戦っている。



 ずっと心の中にあった燻るものが、霧が……晴れてくる。


「お、俺は……そんなこと――」


 すると落胆したようにオリヴィアが両手を上げ、首を横に振った。


「あーもういいです。これ以上話しても無駄です。とにかく『友達の私に二度と近づくなと発言した罪』及び『私の大親友を死ぬほど悲しませた罪」の両方で、慰謝料として通貨などではなく金貨五百枚を要求致し――」


「いやいやいや!! いきなり何の話――」


「私が大事なこと喋ってる途中でしょ黙ってて下さい!! 『相手の話は最後まで聞け』と幼い頃に習いませんでしたか!? ってか今まで散々女心について教授して差し上げたのに、この様は何なんですか!? ……あ、そうだ。私、海を泳いだあとに体調を思いっきり崩してしまったので医療費の金貨五十枚も追加でお願いします」


「待て待て待て、海に飛び込んだのはどう考えても君の意思だろ!! 俺は『早く戻れ』と――」


「はぁー!? んなもん友達だと思ってた相手からいきなり『二度と近づくな』なんて言われたら、気分転換で海に飛び込みたくもなるでしょ普通!!」


「何、普通だと!? そ、そういうものなのかアイシャ!?」


 いつの間にか涙を流していた私は、こくりと小さく頷いた。


「……すごい普通です」


 彼は驚いた様子で「そ、そんな馬鹿な」と後退あとずさりしたが、オリヴィアは一歩前に出てさらに詰め寄った。


「あと、貴方のおかげで一番お気に入りだったドレスも海水で台無しになりましたわ!! 弁償代として金貨二十五枚追加!!」


「何故そうなる!? お気に入りなら脱げばよかっただろ!!」


「あんな誰に見られてるか分からないような場所で脱げるワケないでしょ!? 馬鹿なんですか!? ――」


 二人は大声で怒鳴り合いながら、徐々に距離が接近しつつある。


 このままでは、お互い白熱し過ぎて収拾がつきそうもない。私は両手を上げながら「ふ、二人とも落ち着いて」と間に割って入ろうとした……が。


「――ってかさっきから何なんですの!? いちいち反論してくるのが鬱陶しくて仕方ありませんわ!! レイス様から全く反省してる様子が見られないんですけど!?」


「そっちの言い分に理解不能なものが多すぎるからだろ!?」 


「理解しようとしてないんでしょ貴方が!! アイシャ様、これでは私達の腹の虫が全然治まりませんわよね?」


「え……ええ」


「こういう男は一発殴らないとダメですわ。アイシャ様、よろしくて?」


 な、殴る!?


 オリヴィアの発言に困惑した私は、小さく首を傾げた。


「さ、さすがにそれは……」


「では、直接レイス様に決めて頂きましょうか」


 と言ってオリヴィアがレイス様を一瞥すると、先程の護衛がまたもや彼女の前に胸を張って立ちはだかった。


「殿下へ危害を加えるというのなら、黙って見てる訳にはいきませんな」


 それに肩をすくめたオリヴィアは、首を横に振って呆れる素振りを見せた。


「ふぅ、鍛え上げられた大の男が二人も……。私のような華奢な体をした女の“張り手”くらいで、まぁ大袈裟ですこと」


 するとレイス様が目の前にいる護衛二人を払いのけ、自信満々な表情で前に出た。


「よし、お前らは下がっていろ! そのくらい耐えられないようなら今後アイシャを守り抜くことなど出来ない……逃げずに受けて立とうではないか!」


「で、殿下……」


 渋々ながら護衛達が退いたら、腕を組んだオリヴィアが不敵な笑みを浮かべた。


「ふふふ……いや〜さすがレイス様ですわ。漢気に溢れていらっしゃる」


「当たり前だろ。さぁ……こい!」


 レイス様がそう言って背筋を伸ばした。


「では、お言葉に甘えて遠慮なくいかせて頂きますわ……」


 オリヴィアは深呼吸すると、膝丈のスカートを少し捲り上げ、股を大きく開いて腰を下ろした。そして、四本指をたてた左手を前に突き出し、右腕を背中側へゆっくりと引いた。


 彼女の立ち姿は、誰から見ても“異様”だった。


 唯ならぬ気配を目の当たりにしたレイス様が、戸惑うように目を見開く。


「あ、すまん。ん〜と、ちょっと待った。イメージしてたのとかなり違うな。明らかに構えが素人じゃないんだが、もしかして思いっきり“武術”とかやってないか? あと、ぶっちゃけ構える位置がやたら遠い気が――」


「あ、申し忘れておりましたわ! 私、幼い頃から護身術の一環として、遠い東の大陸から伝承された“拳法”をたしなんでおりますの。一応手加減致しますが、打ち所によっては“死”にますので、歯を食いしばって動かないで頂きたい」


「おいおいおいおい話が違――」




 次の瞬間――レイス様の体が回転しながら宙を舞った。




 飛ばされて地面に突っ伏した彼は気を失う間際、なぜか「ビシソワーズ……」と小声で呟いていた。焦った表情ですぐに駆けつけた護衛二人が彼を確認し、「救急隊をすぐに呼べ!!」と叫ぶ。


 なぜレイス様の断末魔がビシソワーズだったのかはさて置き、衝撃的な光景を見た私は呆然と立ちすくむことしか出来なかった。


 私がオリヴィアの元に歩み寄って「ありがとう」と伝えると、彼女は申し訳なさそうな面持ちを浮かべた。

 

「ごめんね……アイシャ様の前でレイス様のこと、たくさんイジメちゃって。それと慰謝料は全額、貴女様のものですから」


「そ、そんな謝る必要なんてないわ。それに貴女だって傷付けられたわけだし、慰謝料全額とは――ん!」


 不意にオリヴィアが私の唇に人差し指を押し当ててくる。

 驚いた私が目をパチクリさせていたら、彼女は可愛らしい笑顔を見せてから、おもむろに私の耳元で小さく囁いた。



「とりあえず、無事に仇は取れましたわ……“路地裏の占い師さん”」



 ハッとしてオリヴィアを見遣ると、ニコリと柔らかく笑った彼女は、振り向き様に巻き髪をフワリと靡かせ、お弁当をベンチに置き忘れたままその場を去っていった――。

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