ルーツ
あべせい
ルーツ
山手線の電車のなかで、2人の婦人が話し込んでいる。ラッシュ時が過ぎたためか、車内はすいている。
「あんた、いくつだったっけ?」
と、さや。
「また、その話なの。だから、言ったじゃない。あなたより、一回り下だって」
と、きぬ。
「ということは……(指を折って)67?」
「なにいってンのよ。67は、あなた、さやちゃんでしょ。わたしはあなたより、一回り下よ。だったら、55じゃないの」
「あんたが、55才だってッ。見えないわ。どう見ても、67がいいところよ。67にしといたら」
「わかった。67でいい。わたしは、67才ッ! さやちゃんと同い年。(ささやき)どうして、いつもこうなるンだか。さやちゃんの認知はホンモノかも……」
きぬは、仕方ないといった風に納得してみせる。
と、2人の目の前に突然、30前後のスーツ姿の凛々しい男性が現れる。
「お2人さん、こんなところで何をしているンですか?」
さやときぬは、声の主を見上げるが、前に立っているのは見たことのない男。
男はにこやかな笑顔を浮かべている。人相は悪くない。
「あんた、だれだっけ?」
と、さや。
「いやですよ。電話で話したでしょう。大切な話があるからって。ちょうど、同じ電車に乗り合わせてよかったけれど……」
「あんた、知っているかい?」
さやは、隣のきぬに尋ねる。
「どっかで会ったような気はするンだけれど……思い出せない」
きぬは、記憶力ではさやといい勝負だ。昔のことはよく覚えているが、最近のことは、いつもこんがらがっている。
「困ったなァ。ぼくのことがわからないなンて。あらかじめ手紙をお出しして、その中に写真も入れておきましたが……」
さやがハッとして、
「あんたッ、真琴雄輝(まことゆうき)さん?」
「そうです。真琴雄輝です。うれしい、思い出していただけて」
雄輝は、心底うれしそうに喜ぶ。
「それで、何の用だい?」
さやが尋ねた。
「いやだなァ。きょうこれから、ぼくにとって大切な用事があるから、つきあってくださる約束ですよ」
さやときぬは、顔を見合わせる。
きぬがバッグから開封された手紙を取り出す。
「これだ、さやちゃんも同じ手紙をもらったでしょ。『ぼくの出生の秘密について』って、真琴雄輝さんが寄越した手紙……」
雄輝が、窓の外を見て、
「場所は大塚です。次です。降りる仕度をしてください」
「そうか。大塚か。きぬちゃん、だから、山手線に乗ったンだよ」
「さやちゃん、大塚はわたしたちの思い出の場所だって、話したことがあったでしょ」
「さやさんもきぬさんも、荷物を忘れないでください。大塚に到着です」
電車は大塚駅のホームで停止した。
「きぬちゃん、なんだか、わけがわからなくなってきたよ」
「さやちゃん。わたしは思い出した。ここはわたしたちにとって、忘れてはいけないところだもの」
さやときぬがいるのは、大塚駅の北改札口を出て徒歩2分余り、細長い雑居ビルの一室。
ビルはかなりの年数がたっているらしく、老朽化がひどい。ビルの1階はパチンコ店、2階は喫茶店、3階が内科クリニック。4階から最上階の7階までは貸し事務所になっている。
さやときぬは、「大塚北口クリニック」と看板が出ている医院の待合室に案内されていた。
しかし、案内した男は、どこに消えたのか。いなくなっている。
「きぬちゃん、ここ『大塚北口クリニック』って看板があがっているけれど、むかしむかしは『青山クリニック』じゃ、なかったっけ?」
「さやちゃん、思い出したのね、よかった。そうよ。ここは大昔、わたしたちが勤めていた青山クリニックよ」
「でしょ。わたしたち、まだそれほどボケていないわね」
「でも、この待合室や受付カウンターの感じが、まるで違う」
「当たり前よ、あれから、何年たっていると思うの」
「何年だっけ?」
きぬの記憶がフル回転する。
「ここをやめてから、28、いや29年たっている。だから、当たり前。ビルが残っているだけでも不思議なくらいよ」
「だから、乗ってきたエレベータがガタガタして、いまにも落っこちそうだったンだわ」
「これでも、改修工事はしているンだろうけど、そんなことはどうでもいい。あの雄輝っていう男は、どこに行ったのかしらね。わたしたちをこんなところに置き去りにして……」
「このクリニック、ヒマね。きょうは休診日なのかしら。日曜でもないのに……さやちゃん!」
「どうしたの、きぬちゃん」
「わたしたち、誘拐されたンじゃないでしょうね」
「誘拐!? まさかッ。きぬちゃんは、お金持っているの。旦那さんは何しているンだっけ?」
「そ、それは……。さやちゃんは旦那さんが遺してくれた財産がいっぱいあるじゃない。土地にマンション、絵画に骨董品……」
さやは考える。きぬちゃんだって、ご主人のことは知らないけれど、国立大の薬学部に通う出来のいい息子がいるというから、母親のためだったら、いくらでもお金は作るだろう。誘拐ってことも考えに入れたほうがいいかも知れない。だったら、出入り口だ。さやは立ちあがると、入ってきたクリニックのドアノブに手をかけた。
さやが確かめるより早く、ドアが内側に開いて、あの雄輝が入ってきた。
「みなさん、すいません。お待たせしていて。(振り返りながら)小夜ちゃん、ここだよ」
雄輝がそう言うと、彼の後ろから1人の若い女性が、警戒するように入ってきた。
「失礼します」
さやときぬは女性の顔を見た。
整った顔立ちをしている。さやには心当たりはなかったが、きぬは明らかに、知っているという反応を示した。
さやが小声で、
「きぬちゃん、知り合いなの?」
しかし、きぬは顔を横に振って、
「知り合いにちょっと似ていただけ」
「そう……」
さやは妙な雰囲気になってきたと感じる。
「では、みなさん、こちらにお部屋を用意しています。狭いところですが、どうぞ……」
雄輝が先に立って廊下を進み、「院長室」のプレートが貼ってある部屋に案内した。
院長室のなかは、窓を背にして机があり、その少し前に楕円形のテーブルが置かれている。
妙なことに、壁に沿ってキャビネットが置かれていたことがわかる跡が、壁紙にくっきりと残っている。
テーブルに、雄輝、小夜と呼ばれた女性、さや、きぬと腰をおろした。
雄輝が口を開いた。
「このような所にお集まりいただきまして、申し訳ありません。私、真琴雄輝の出生に関しまして、是非ともみなさんのご協力をいただきたくてお連れした次第です。どうか、お許しください……」
「出生……」
さやは、「出生」ということばに反応した。遠い過去の話と思っていたのだが、いま亡霊のように蘇ろうとしている。
「私は29才になります。いまから29年前、私はこのクリニックで生を受けたことになっています。母は残念ながら先週、他界いたしました。私は病床の母から、直接聞かされたのです。『おまえの父は、ほかにいる』と……」
さやが、きぬにささやく。
「きぬちゃん、あの話、まだ生きているンだ。わたしが知っていることはあまりないのだけれどね」
きぬは、深く頷く。
「私を育ててくれた父は、10年前に亡くなっています。母の話は意外なものでした。私は、母の卵子と、父ではない他の男性の精子による体外受精によって誕生したというのです。それで、私は、母に精子を提供してくださった男性の素性が知りたいと考えました」
「待って」
きぬが口を開く。
「覚えている」
横にいるさやも、そうだという風に頷く。
「その頃、この医院の先生……」
さやが隣から、
「路遊(じゆう)先生、路遊小士朗先生だった」
きぬは院長の名前を言いたくなかった。
さやはそのことに気がついていない。
「先生は内科だけでなく、不妊の相談に来られた患者さんに、治療を受けられる病院を紹介したり……」
きぬが言い淀む。
「紹介したり、どうされていたンですか」
雄輝が詰め寄る。
さやが、
「この医院でできる治療は、すべて行っておられました」
「例えば?」
「排卵日を遅らせるお薬を処方したり、あとは食事や性生活の指導です」
「人工授精は?」
雄輝が強く迫る。
さやは、
「それは存じません」
はねつけるように答えた。
雄輝は、隣の女性を示し、
「ここにおられる女性は、ぼくの婚約者です」
女性が頭を下げる。
「小杉小夜といいます」
「ところが、ぼくと彼女は、最近になって兄と妹の関係にあることがわかりました」
「エッ!」
さやは絶句して、数秒口がきけなくなった。
「どういうこと?」
きぬは黙っている。
「2人で結婚を前に、血液とDNAに異常がないか、調べてもらったのです。その結果、ぼくたち2人は、99.99%の確率で兄妹だという結果が出ました」
きぬが口を開く。
「さやちゃん、このお嬢さん、似ているじゃない」
「だれに?……」
そう言いかけて、さやはハッと息を飲んだ。
「そうかッ。院長先生! 路遊先生にそっくり。娘は、父親に似るっていうけど……」
小夜が答える。
「父は、ここにあったクリニックの院長をしていたことがあると聞いています。路遊小士朗といいます。小杉は母の旧姓です」
「ぼくは考えたのです。母はこのクリニックに来るまでは、路遊院長とは面識はありません。だから、路遊院長が、妊娠しづらかった母に精子を提供したドナーではないか、と……」
さやがきぬを見て、激しく首を横に振る。
その顔は「言っちゃいけない!」と言っている。しかし、きぬは覚悟していた。
「さやちゃん、もう、隠せないよ。こんなに迷惑がかかっているンだから」
きぬが話す。
さやは仕方ないといった風に、天を仰いだ。
「30年近く前に、一度だけそんなことがありました。わたしとさやちゃんがここで、看護婦、いまの看護師をしていたときです。もっとも、わたしは当時まだ準看でした。ある日、きれいなご婦人が感冒の治療に来られました。髪の毛を顎のあたりまで垂らし、耳のそばにひまわりの花をかたどった髪止めを付けておられたのをよく覚えています。風邪は2度の通院でよくなりましたが、ご婦人の顔色がすぐれない。路遊先生は尋ねられました……
『何か、ほかに悩み事がございますか?』
そのとき、先生は35才。婚約者がおられましたが、ある事情から結婚の日取りは決まっていませんでした。
『先生、赤ちゃんができません』
ご婦人はおっしゃいます。
ご婦人は、結婚して5年、まだ28才の若さです。産婦人科で調べてもらったところ、ご婦人のほうには問題はなかったのですが、旦那さんの精子に元気がないことがわかったそうです。でも、妊娠できないほどではない。気長に待てば、そのうち赤ちゃんは授かるだろうということだったのですが、それからすでに2年がたっているとのことでした。ご婦人は、人工授精はできないかと、先生に訴えられました。先生は即答を避けられました。
その後、ご婦人は3日おきにクリニックに来られました。風邪はすっかり治っているのにです。わたしは気になって、先生のおそばを離れないようにしました。ご婦人のお話は、赤ちゃんが欲しいということばかりです。3度目の来院のときだったと思います。ご婦人の目がそれまでとは違うことに気がついたのです。先生に恋している。わたしは直感しました。なぜなら、わたしも先生に……」
さやがことばを継ぐ。
「当時、きぬちゃんはわたしより一回り下の……だったよね」
きぬは頷く。
「一回り年下の26才。わたしは結婚していたけれど、きぬちゃんは独身。恋人に捨てられて2年ほどたっていたわよね」
きぬが恥ずかしそうに頷いた。
「患者さんが先生を好きになることは仕方ありません。でも、わたしも先生のことは大好きでした。ところが、先生のようすもおかしくなりました。ご婦人が5度目に来院されたとき、先生はわたしに診察室から出ていくように言われました」
きぬは当時を思い出し、腹立たしそうに話す。
さやが加勢する。
「診察室には、事情が許す限り、わたしかきぬちゃんのどちらかがいるように言われていた。それなのに、おかしい、と2人で話したのを覚えています。先生もそのご婦人の色香に迷われたのね。きっと……」
「そのとき、診察室で何があったのか、わかりません。でも、わたしは、ご婦人が帰っていかれるとき、ひまわりの髪止めがなくなっていることに気がつきました……。ご婦人の姿を見たのは、それが最後でした」
きぬが黙る。
しばらく、だれも口を開かない。小夜がその空気に耐えられなくなった。
「父が、そのご婦人、いえ、雄輝さんのお母さまと、よくない関係になったということでしょうか?」
きぬが反発する。
「でしょうか、じゃないです。先生はそのご婦人を愛してしまった。先生が婚約を解消なさったのは、それから間もなくでした。クリニックの医療設備に5千万円ほどのお金がかかっていて、本当はその返済のために、乗り気ではない相手と婚約されていたンですから……」
「そうか、母の実家がそれを立て替えた。そうでしょう!」
雄輝が言った。
「その話は、あとでうかがいました」
きぬは不愉快そうに答えた。
さやは、はらはらして、きぬの横顔を見つめている。
「この際だから、お話します」
「きぬちゃん!」
さやが強い調子で、制止しようとした。
しかし、きぬは、
「わたしも先生の赤ちゃんを生んでいます」
「キェーッ!」
雄輝が素っ頓狂な声を発した。
「でも、先生は結局だれとも結婚なさいませんでした。小夜さんのお母さんとも。お二人は長い間、内縁関係でしたでしょう?」
小夜は深く頷いた。
「認知はすんでいますが、父とはわたしが小学4年のとき、別れています」
「当然でしょう、そのあと、先生はわたしのところに来られた。ひどくやつれて……」
さやが口を開く。
「わたしは、路遊先生と親しい方から、いろいろお話をうかがいました。雄輝さんのお母さん、そのときは雄輝さんのことは存じ上げていませんが、雄輝さんのお母さんのご実家から援助してもらったことが、その後の先生を苦しめたそうです。のど元過ぎればといいますが、愛娘が妊娠し、無事男の子が誕生すると、雄輝さんのお母さんのお父さまは、急に態度をガラリと変え、立て替えたお金をすぐに返済するように迫りました。『人工授精の費用30万円はくれてやるが、残りの5千万円は、10年で返せッ』とおっしゃって。その結果、先生はこのクリニックの権利を居抜きで売り払い、雇われ医師としてがむしゃらに働かざるをえなくなりました。大学病院の看護師だった小夜さんのお母さんと同棲されたのも、その頃です。しかし、楽しいことは何もない、働くだけの毎日だったと聞いています」
「でも、ぼくの母とは、こっそり関係は続けていたのでしょう?」
雄輝の指摘に、再びいやな空気が漂う。
「母は、路遊先生の借金を立て替えた祖父に対しては、人工授精で妊娠したと告げながら、本当はそうではなかった。こっそり、路遊先生とデートを重ねていた」
「あなたは、人工授精のこどもではない。男女が愛し合って誕生した、そう考えていたいのでしょう。けれど、事実は違う」
きぬがニヤリとして話す。
「あのひとは言った。一度は関係をもったが、あとは母校の大学病院を紹介して、治療をお願いした、って」
「どうして、ぼくと小夜さんがDNA鑑定できょうだいという結果が出たンですか!」
きぬが言い返す。
「先生が母校の大学病院に、精子のドナー登録をしていたから。確率的には低いのでしょうけれど、ありえないことではない。当時、医学生が精子のドナーだったけれど、あまりなり手がなかったそうだから。ふつう他人の精子を使って体外受精する場合、5、6人の精子を混ぜて、子宮内に挿入します。しかし、先生の母校の大学病院では実際は3人ほどの精子しか混ぜることができなかったと聞いています」
「ぼくの父親はだれでもよかったということですか!」
「3人のうちの1人ね」
「きぬさん、さっき、父はあなたのところに厄介になったとおっしゃいましたね。小夜さんの話では、父はいまから19年前に小夜ちゃんのお母さんと別れ、その後は消息不明だった。小夜ちゃんのお母さんと別れて、きぬさんと一緒になった。そうですか?」
「わたしは先生がこのクリニックを引き払い、雇われ医師として生活することを決められたとき、どこまでもご一緒しようと心に決めました。さやちゃんは、このクリニックにそのまま残り、次の新しい院長のもとで看護師を続けていた。そうよね?」
さやは、そうだと言ってから、
「その新しい院長が路遊先生の大学の先輩で、路遊先生の消息はときどき聞くことが出来た。わたしがきぬちゃんとその後もつきあいがあったのは、新しい院長と路遊先生とのつながりのおかげです」
きぬが話す。
「19年前、わたしは路遊先生のこどもを身ごもったのをきっかけに、先生と一緒に暮らすようになった。でも、先生は、あちこちの病院をかけもちして飛び回り、ゆっくり自宅で過ごすことはありませんでした。働きづめということば、そのものでした。そうして10年前、ようやく雄輝さんのお祖父さんの借金を返済することができました。でも、……」
きぬは、じっとこらえるように、
「それが最後でした。先生は、肝臓と腎臓をこわされ、それから数ヵ月もしないうちに……」
さやが続ける。
「わたしもきぬちゃんから知らせを受けて病院に走った。それは、美しい死に顔で……」
雄輝がポツリと語る。
「ぼくの祖父が殺したようなものか。ぼくの父は、ぼくの祖父に殺された。母はこの事実を知っていたのか」
小夜が雄輝を見て、
「わたしたちが出会ったのは、わたしが母と同じ看護師になり、この内科クリニックに勤めて5年目の去年の夏、雄輝さんが患者として来られたからです。『ここにぼくの出生の秘密が眠っている』とおっしゃって。ただ、このクリニックはすでに廃院になっていて、来月には解体工事が始まるそうです」
雄輝が続ける。
「親しくなってから小夜ちゃんに調べてもらったけれど、昔のカルテは何も残っていなかった。ただ、母が診察を受けた当時、さやさんときぬさんがここで働いていたということがわかって。その後のお2人を追跡した結果、きょうを迎えることができました」
「知らないほうがよかったということもあるから、どうなのかしら……」
と、さや。
雄輝は、
「ぼくは満足しています。父は亡くなっていたけれど、路遊小士朗という名前であることがはっきりした。明日からは、この路遊小士朗のルーツを辿ります。珍しい苗字だから、すぐに辿りつけると思いますよ」
と、きぬが言う。
「それは、どうかしら。わたしが先生と生活するようになったとき、告白された。先生は、あなたの祖父、真琴茂秋の愛人だった女性の連れ子だって」
「エッ!」
「茂秋の奥さんに長い間こどもができなくて、真琴家では先生を養子縁組しようかという話までいったのだけれど、それからまもなく、奥さんにようやく赤ちゃんができて、あなたのお母さんが生まれた。だから、先生のお母さんはずいぶん苦労されたはず」
「だから、母は路遊先生。いえ、ぼくの父と思われる医師が開業していたクリニックを訪ねたのですか」
「恐らく、あなたのお祖父さんに、ここがいいと勧められたのでしょう」
「祖父の愛人だった女性の姓が路遊という名前だったのですか」
「そういうことになるわね」
「ぼくの父の母親は、祖父の愛人をしたくらいだから、それなりの生活環境に身を置いていたでしょう。父の生い立ちも、幸福だったとは思えない」
「それを受け止める勇気があなたにあるかしら?」
「わかりません。でも……」
さやが話す。
「あなた、そんなことより、小夜さんをどうするつもり。兄妹なら、結婚はできない。小夜さんは間違いなく、路遊先生のお子さんだろうけれど、あなたはまだわからない。体外授精の、3分の1の確率で、路遊先生のこどもだっていうだけ。もう1度、DNA鑑定したほうがいいわ。DNAの試料が、本当にあなた方のものだったのか、も含めて、詳しく……」
「アッ!」
雄輝と小夜が互いに顔を見合わせた。
「どうしたの?」
「DNAの鑑定をお願いしたのは、ぼくが仕事で親しくしている研究所だったので、ぼくも小夜ちゃんも互いの毛根の付いた頭髪を送りました。けれど、その頭髪は、ぼくも小夜ちゃんもふだん使っているヘアブラシから採取したから、ぼくや小夜ちゃんのものではない可能性があります」
小夜もうんうんと頷く。
「ともだちのかも……」
「それなら、話はもっと複雑になってくるわ。その鑑定した会社は信頼できるの? DNA鑑定はふつう1週間かかるというけれど、どうだった?」
「3日で鑑定書が送られてきました」
「早いわね。早過ぎる。鑑定を依頼する前に、結果に予断や偏見を与えるような話はしなかったでしょうね」
「それは……」
雄輝は、少し思案して、
「兄妹ではないほうがいいと思ったから、NOという結果を誘導しないように、『兄妹』であったほうがうれしいけれどとは言いました」
「別の会社で再鑑定しなさい。それが真っ先にやることよ!」
雄輝と小夜は、明るい顔になった。
2週間後。
世の中は思い通りにはいかないものだ。
雄輝と小夜は婚約を解消した。
(了)
ルーツ あべせい @abesei
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