第19話


「可愛くなりたいなぁ」と言ったのは来栖だった。


「私、可愛くなりたいよ。凛みたいにさ」


 昼休みである。4限目の数学が終わるや否や僕の机にドンと腰かけて、腕を組んでフンと鼻を鳴らしていきなりの宣言である。


 何を言いだすのだろう。


「凛ってとっても可愛いよね。おすまし顔も、笑った顔も、真面目な顔も、絵にならない瞬間が無いんだもん。あんなに可愛い女の子って他にいないよね。しかも可愛いだけじゃないよ? 最近表情も豊かになってきててさ、これからも可愛くなっていくと思ったら目が離せないよね。けんジィもそう思うよね!?」


「はぁ………」


「私、けんジィはもっと凛と仲良くした方がいいと思うな~。けんジィはもっといろんな子と話して見分を広めるべきだと思うな~。けんジィと凛って、相性抜群だと思うな~~~~」


 一言ごとに来栖が距離を詰めてくる。圧がすごい。


「誘導が強いんだよな……仲直りをしろって言いたいわけか?」


「そうは言ってないでしょ~? ただ、凜の可愛さに気づかないけんジィってなんて子供なんだろうなって思ってさ」


「はぁ?」


 僕は思わずムッとした。そしてついに来栖は机に両手をつく。上体をそらさないと視界がボブカットで埋まってしまいそうだが、僕はもうそらせる余裕がない。連絡黒板に後頭部がついてしまった。それでも来栖は詰め寄る事をやめない。なんでさっきから距離が近いんだろう?


 と、来栖が突然声のトーンを落として「凛の練習相手になって」と言った。


「練習?」


「そう。男子との接し方が分からないっていうから、けんジィに話し相手になってあげてほしいの。けんジィならなんだかんだ上手く会話を引き出せるでしょ」


「それを言うために剣呑な雰囲気を装った意味は?」


「私が圧をかける構図を作れば、仕方なしに仲直りする流れに持ってけるでしょ。けんジィ絶対自分からいかないじゃん」


 よく分かってる。僕は肩をすくめた。


「分かったよ。なんとかしてみる」


 仲直りもなにも喧嘩をしていないのだけど、来栖にせっつかれ続けるのも厄介だ。いっそ仲直りをしてよく話すようになったふうを装うのが氷月さんの精神衛生のためにも良いだろう。あの人に我慢をさせてはならない。


「ありがと」


 来栖はパッと机から飛び降りるとお尻をパタパタとはたいた。右隣の男子生徒(話したことが無いから名前も覚えていない)が顔を赤くしていたので「何色だった?」と訊く。「ピンクと白のしましまだった」と答えたので「見るな、阿呆あほうめ」と釘を刺しておく。


「お前、机に座るときは気を付けろよ」と来栖にもそれとなく注意して、僕は氷月さんを探した。


「さっき教室を出て行ったと思うよ。購買に行ったのかな」


「ふぅん、昼は買ってるんだな」


「新商品がお気に入りらしいよ」


 購買は1階のロビーにある。昇降口から入ってすぐに目に映るのが中庭に続く一面ガラス張りの壁と出入口。あと数脚のカフェテーブル。購買と呼んではいるけれど、そこにあるのは地元の総菜そうざい屋さんが出店している移動販売である。火曜と木曜のお昼にやってきて出来立てのお惣菜。コロッケ焼きそばから揚げフライドポテト。さまざまな具材が入ったお弁当を割安で提供してくれるとあって学生のみならず教師からも人気が高い。


 僕達は適当な言葉を交わしつつ、人でごった返す1階ロビーへとやってきた。氷月さんの姿は見当たらない。どこかに隠れて見えないのではないかと目を凝らして探していると、美味しそうなフライドポテトが目に入った。


「いないね~」


「そうみたいだな。あれ買って戻るか」


「そうだね~。私、フライドポテトがいい」


「なんで被るんだよ、別にいいけど」


 僕は人の波が途切れたタイミングを見計らって単品のフライドポテトを1つとった。しかし、もう1つを取ろうとしたところで、僕の手は女子生徒の手に触れた。


「おっと失礼。どうやら、先輩と私の分で売り切れみたいですね」


 小柄な短髪の女子だった。胸元のリボンが青色であるところを見ると1年生であるようだ。クリクリッとした大きな目が子犬のように可愛らしいが、その表情はしかつめらしく引き締まっており毅然きぜんとした美しさを醸し出す。スラッとした手足は白い鉄のようにしなやかで、普段から鍛えているのだろうと思われる。真面目そうな言葉遣いと表情も相まってか騎士のような堅苦しさを感じさせる女子だった。


「申し訳ありませんが、先輩は身一つ。私も一人。ゆえに一人一個の大原則に基づいて双方一個ずつ買うという事でこの場は収めていただけるとありがたいのですけれど」


「連れがいるんだが……ま、この一個を分けるとしよう」


「お気の毒」


 彼女は一礼するとお金を払ってスタスタと去って行った。


 なんだったんだろう、彼女は。


 僕がお金を払って来栖の元に戻ると、彼女は意外そうな顔をしていた。


「悪い、一つしか残ってなかった」


「え、けんジィすご。しょうちゃんと会話した?」


「誰だよ」


 階段を登りながらフライドポテトを差し出すと、来栖は一つつまんで口にくわえながらさっきの女子について熱く語った。くわ煙草たばこならぬ咥えポテトである。やがて接地面がふやけて折れるだろうと思われた。


「陸上部の期待の星。七瀬星ちゃん。由緒正しい家柄の子で育ちがとってもいいの。親の教えなのか男子と手を繋ぐことはおろか話す事さえ大っ嫌いで、例え先輩相手でも容赦ないんだよ。ちょっと手がぶつかったりしただけで「破廉恥はれんちな!」って大騒ぎするんだ。いつも真面目で明るいけど、人と深く関わらないっていうか、浅く広い付き合いをする子だよ。でもそんなところも猫みたいに可愛くてね~~」


「ふぅん……人と深く関わらないか。なんか似たような話を聞いた事があるな」


「そういう人と縁があるのかもね」


 来栖が楽しそうに笑う。勘弁してくれ。


 僕はぼんやりと来栖の話を聞いていたけれど、ふと、手がぶつかっただけでも大騒ぎするという所が気にかかった。僕の記憶が正しければフライドポテトを取る時に七瀬星なる女子の手に触れたはずなのだが。それを訊こうとしたとき、先に来栖が口を開いた。


「ていうかさ、考えてみたらけんジィって女の子の友達ほとんどいないよね。ぜんぜん人と話さないし、女子どころか男子の友達もいないじゃない? 神崎くらい?」


「言ってくれるじゃないか。そういう来栖だって男友達はほとんどいないだろうに」


「ふ~んだ。けんジィとは違ってちょっとはいます~」


 来栖はつ~んとそっぽを向いて、またフライドポテトをつまみとった。


 訊く機会を逃してしまったけれどまあいいか。それよりも神崎が友達と言われた事を否定するのが先だ。


 神崎はただ異性の好みが一緒というだけ。確かに彼と話す事は多かったがそれだけで仲が良いという判定が下るのは非常に不服である。それに女友達が少ないのも、ほとんど来栖に責任があると言って良い。


 いつも隣にいて話しかけてくるから、来栖以外の女子と話す必要が感じられないだけだ。


「僕は、来栖がいればそれで構わないんだがな」


 僕はつっけんどんに言った。


「ふぇっ!?」


 来栖が驚いた顔で僕を振り返った。口元に運ぼうとしていたフライドポテトが頬に当たって「あつい!」と悲鳴を上げた。


 もちろん、来栖がいればいいというのは、恋人が不要という意味ではないという事をここに付け加えておく。

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