第15話


 氷月さんは1階へ降り2階へ上がって的確に僕を撒いた後、女子トイレの個室に入って頭を抱えた。


 心臓になったみたいにうるさい頭を落ち着ける。彼女の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだった。


「ダメ、頭の中ぐちゃぐちゃだよ……。昨日まで平気だったのに、どうして? 八重山の前だといつも通りじゃいられない。こんなんじゃあ、また迷惑かけちゃう、嫌われちゃうよ」


 嫌われたくない。約束を守るという決意はあった。でも、彼の顔を見ると何も考えられなくなってしまう。頭の中がボーッとして、ふわふわして、上手く喋れなくて、取り繕うので精一杯。バレなかったかな。もうお見通しなのかな。


「なんでふわふわしちゃうんだろう。こんなので可愛い女の子って言われるわけがない。もっとしっかりしないと。秘密を守らないといけないのに……」


 自信がなくなっていく。一緒にいたいのに、一緒にいてはいけない。


 ああ、ダメだ。これじゃあ小さな子供みたいだ。目の前の物に夢中になってそれ以外の事が何も考えられない小さな子供。こんなのぜんぜん大人じゃない。


 お姉さんじゃない。


 八重山の大好きな『お姉さん』じゃあ、ない。


 氷月さんは首を振った。


「もっと大人にならなきゃ。でも、どうやって?」


 と、そのとき、トイレのドアをノックする音が聞こえた。


「ねぇ、大丈夫?」


 びっくりした氷月さんは後頭部をしたたかに打ち付けてしまう。「痛い!」


「すごい音がしたよ!? 体調悪いの? 倒れた!? ねえ、鍵を開けて!」


 ドアが激しく叩かれる。意識を失って倒れたと思われたのか、声の主はとても焦っているようだ。氷月さんは後頭部を押さえながら鍵を開けて、とにかく騒がれないように事態を鎮めようと思った。


「あぅ……だ、大丈夫。体調が悪いわけじゃないわ……。ちょっと頭をぶつけただけ……来栖さん?」


「あれ、その声、氷月さん!?」


 ドアの向こうには来栖が立っていた。無事が分かってホッと一息。その顔をまた意外な人物の登場に驚かせることになる。


「あの、えっと、なんだか苦しそうな声も聞こえてきたんだけど本当に大丈夫?」


 僕がその場にいたら大声を出して逃げろと叫んでいたかもしれない。しかし氷月さんは何を考えているのかホッとしたように短い息を吐くと「ん、来栖さんか……じゃあ、いいか」と呟いた。


 僕と一番交友がある人物なのに、一番バレてはいけない相手なのに、何を考えているのだろうか?


 氷月さんは「大丈夫だよ」と答えると個室を出た。そうして、「あなたにお願いがあるのだけど」と何かを耳打ちしたようだ。


「あの、えっと………時間は、あるけど」


 来栖は戸惑った様子である。


「あなたにしかお願いできない事なの」


「うん。それは、いいけど……でも、私以外にもふさわしい人はたくさんいるよ?」


「ううん、来栖さんしかいないよ。ずっと、来栖さんとは友達になりたいと思っていた。そのためにも、お願い」


 氷月さんは頭を下げる。


「と、友達って!? 私が!? 氷月さんとお友達に!?」


「うん。だって、来栖さんだけが裏表もなく可愛いって言ってくれるから。心の綺麗な人なんだなぁって、ずっと、救われていたんだよ。あなたがいなかったら、学校が嫌になっていたかも」


「……………」


 来栖はなんとも言えない顔をした。


 女子の間では氷月さんに嫉妬する声もある。嫌な気持ちになるような陰口を叩く人がいる。来栖はそこに加わっていないのに、自分まで悪者になったような気がした。


「そりゃあ、気づいてるよねぇ……。ごめんね、私……」


「気づくよもちろん。なんで来栖さんが謝るのかは分からないのだけど、私は平気よ?」


「でも、気づいているのに、止めようとしなかったし、はたから見てただけなんだよ、私」


「だから救いなんだって。変に肩を持たれても辛いだけだよ? 来栖さんの明るさが救いだった。来栖さんの裏表ない言葉が嬉しかったし、一番の癒しだったよ。それに来栖さんだってとっても可愛いじゃない


「うへぇ!? 私が可愛い!? ないないないない!」


「あるよ。私にない可愛さがたっくさんある。羨ましいなぁ」


 氷月さんは軽くため息をつくと、トイレを出た。


 来栖はわたわたと付いてきた。


「ねえさぁ、木実ちゃんって、名前で呼んでいい?」と氷月さん。


「あ、うん、いいよ。凛……ちゃん」


「ちゃん付けはくすぐったいなぁ。呼び捨てでいいよ?」


「う……それはちょっと、恥ずかしい……」


「残念。女の子の友達に呼び捨てされるの憧れてたのになぁ」


「え~~~、う~~~~~~~~~~~」


「嫌なの? 悲しいなぁ」


「うあ~~~~~!」


 氷月さんはクスクスと口に手を当てて笑った。


 これが八重山の前でもできたらなあ。と、ひそかにため息をついた。



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