第98日 連続的なバレンタインチョコ

 今日は二月十四日。祝日でもない今日は、本来何でもない日のはずだった。


 ――バレンタインデー。


 そう、今日は今からずっと昔に聖バレンティノが殉職した日。当時のローマではとても大きな意味を持つ日だったのだろうが、生きる時代も場所も違うぼくにはなんら関係のない日だ。

 しかし、なぜか世間は湧きだっている。一番騒がしいのが広告。至る所でチョコレートを宣伝している。街を歩くだけでチョコの香りがしそうだ。楽しそうで何より。


 とはいえ努めて冷静を装っているが、ぼくも内心どきどきしていた。


「おはよう」

 ほら来た。声のした方を見ると、案の定幼馴染の彼女がそこに立っていた。制服に身を包んだ彼女は驚くほどいつも通り。

 それは当たり前だ。だって今日は本来何でもない日なのだから。ぼくが無意識下に意識しすぎているだけで。ああ、とても矛盾している。


「おはよう。……今日はいい天気だね」

 なんだか落ち着かなくて、どうでもいいことを口にしてしまう。空を見ると、どんよりと曇り空。ああしまった、何で今日に限って。

 彼女はくすくすと笑った。

「ふふ、きみったら面白いのね。たしかに、いい天気が必ずしも晴れというわけじゃないものね」

 そう言いながら彼女は楽しそうに笑っている。

「そ、そうだね……あのさ、」

「――ねえ、わたしきみに渡すものがあるの」


 ぼくの言葉を遮って彼女はにっこりと微笑んだ。その瞳に宿るのは好奇。

「渡すもの?」

 ぼくは内心の嵐を抑えて、限りなく冷静を装う。なぜこんなに心がざわめくのか理解できなかった。だって、今日はただのバレンタインデー。ぼくには無縁の日。

「そうよ、だって今日はバレンタインデーだもの」

 るんるんと擬音語がつきそうなくらい彼女はご機嫌だった。

「はい、これきみにあげる」


 そう言って彼女が取り出したのは、一つの袋だった。無地の、淡いピンク色をした袋。そこにブラウンのリボンがかかっている。シンプルで可愛らしい、なんとも彼女らしい包装だ。


「ありがとう」

 ぼくはそれをそっと受けとった。


 こう見えて彼女からチョコを貰うのは始めてではない。何ならぼくらが小学生の時から毎年貰っていた。これは恋愛的な意味で好きだからというわけではない。近所に住んでいて仲が良かったから渡していただけ。小学生のバレンタインなんてそんなものだ。

 しかしおかしなことに、それが高校生になった今まで続いているのだ。これは幼馴染でよかったと言うべきなのか、もう止めるべきか。

 義理チョコならいいんだけど、この前友人Bに言われた言葉が気になったのだ。


 ♢


「あー今年こそはチョコ貰いてぇ」

「そうだね」

 正直興味はあまりなかった。いや、興味あるような、ないような。よくわからない感情が渦巻いていた。そんなぼくに友人Bは問うた。

「お前はさ、女子からチョコ貰ったことあるんか?」

「あるよ」

 ぎょっとして友人Bはこちらを見た。「この裏切者」

 ぼくは笑って否定した。

「違う違う、幼馴染からの義理チョコだよ」

「……そのチョコ、いつまで貰ってたんだ」

 ぼくはその質問の意図が解らなかった。いつまでだっていいじゃないか。

「去年まで貰ってたけど?」

 友人Bは黙りこくってしまった。そうして重々しく口を開いたかと思うと、

「それ、ほんとに義理チョコか?」


 ♢


「……ちなみにさ、これは何チョコ?」

 ああ聞いてしまった。ぼくのばか、こんなの単なる面倒くさい奴じゃないか。

 でもあの件から気になってしまっていたのも確かだ。義理チョコであってほしいような、そうでないような。ぼくは相当面倒くさい奴らしい。


 彼女はこてりと首を傾げた。

「何チョコって? 普通のミルクチョコレートだけど。ああ、一つはビターチョコレートも混ぜているけれどね」

 その瞳にあるのは悪戯っぽい笑み。きっと彼女はわかってとぼけている。

「そっか、楽しみだなあ……」

 ぼくは生返事を返してしまう。どうしよう、ここで引き返すべきか、踏みとどまるべきか。結局ぼくは意気地なしだった。

 ふふ、と彼女はわらった。


「わたしは、昔から同じチョコを渡しているわ。初めて渡した時からね」


 まって、それはどういう――。

「さあ、そろそろ学校に行かないと遅刻するよ?」

 そう言って彼女はぼくの手を掴んで軽く駆けだした。彼女の柔らかな髪とチョコが揺れる。

 ふと重たい雲間から朝日が差してきた。白くて眩しい光。とても清々しい朝だった。



 結局、今日は何でもない日ではなくなった。そんな日常の一頁。

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