第93日 充電式の人間

 今日ぼくは幼馴染の彼女と勉強会をしていた。

 なんてことはない、ただ課題に追われていたのだ。それも明日提出。昨日半分徹夜したのに終わらなかった。

 今日こそ寝てはいけないので、幼馴染の彼女に寝ないよう見張ったもらっている。だから一緒に勉強会。もはや監視役。


「終わらない……」

 時計を見て半分絶望に打ちひしがれながらぼくはシャーペンを走らせる。段々と筆圧が強くなってきており、黒鉛の粒がノートに散る。

「早く取り組まないからよ」

 淡々とした、とっくに課題を終わらせている彼女の返事。せっかく彼女と二人っきりだというのに談笑すらできない。


 サリサリと、ただ無機質にペンが紙の上を走る音だけが響き渡る。鉛筆で交換日記をしていた頃が懐かしい。あの頃とは比にならないくらい黒鉛を消費している。このシャーペンは一体何キロ走ったことだろうか。


「……はあ。人間が充電式になればいいのに」

 溜息交じりに吐きだされたぼくの言葉に、はたと彼女は顔を上げる。

「充電式?」

 それからぼくの視線の先にある、充電中のスマホを見た。それで彼女はああ、と納得したような声を洩らす。

「人間にとっては睡眠が充電じゃない。使い捨てならもうきみはとっくに死んでいるわ」

 さらりといつになく鋭い返し。さっさと課題をしろという言外の意味が含まれているのだろう。冷たいようで、彼女は誰よりも優しかった。

 それでもぼくは口を挟んでしまう。これだけは訂正しておきたかった。


「違う違う、スマホみたいに充電しながら活動できたらいいなと思っただけ。ほら、充電器を差しっぱなしでもスマホは使えるじゃん」

 彼女は呆れたように溜息を吐いた。

「……でもそれだと、スマホのバッテリーには負荷がかかるわ」

「比喩だよ、比喩。だって人間は眠る時何もできないじゃん。その時間が勿体ないなと思って」

「勿体ない?」

「意識を失っている時間は、死と同じだとぼくは思うんだ。眠りは死と似ている」

「ああ、永眠ね……」

 彼女はぼくの言葉を否定しなかった。ぼくは少しだけ嬉しくなる。

「その通り。だから、人間も眠りながら活動できたらなって。そしたらこの課題だって余裕で終わるのに」

 つまるところ、全ては課題の所為なのだ。

 課題に追われていなければぼくはこんなことを思わない。むしろ眠るのは好きだ。今も睡眠不足だからすぐにでも寝たいくらい。

 でも、だからこそ、眠っている間に活動できたらなと思うのだ。我ながら名案で迷案だと思った。

 それでも彼女はノートから視線を上げることなく淡々と答える。

「無駄よ。ほら、あれと同じじゃない。一日が四十八時間になったらいいのになと願うことと。結局無駄に過ごして終わりよ。今のきみだってドブに捨てた時間があるでしょう? 四十八時間になってもその時間が増えるだけ」

 確かにそうかもしれない。使える時間を増やすよりも、今ある時間をより有意義に過ごすべきだ。それはあまりに正論。ぼくだってわかっているのだけれど。

 彼女はシャーペンを走らせ、そしてしっとりと言葉を紡ぐ。

「締め切りがあるから人は頑張れるのよ。締め切りを考えた人って天才ね。理に適った人の動かし方」

「理に適った?」

 ぼくは課題をする手を止めて彼女の言葉に注目する。課題よりよっぽど面白いから。彼女はちらりとぼくの瞳を見て、そしてまた目を伏せた。長い睫毛が澄んだ瞳に影を落とす。


「ほら、締め切りって人の死と同じなのよ。終わり、つまり死があるから人は生きられる。そのからくりを利用しているから、人は締め切り前に本気を出すのよ」

 なるほど、と思った。一方で不思議に思った。

「締め切り前に本気出すなら、人はみんな死ぬ前に馬鹿力を出すの?」


 ぼくの屁理屈に彼女は呆れの表情を浮かべた。

「それも比喩よ。でも、いつか言った気がするけれど、わたしたちの人生が未来永劫続くと思ったら生きる気なくなるでしょ。わたしはそれが言いたかっただけ」

 今度こそなるほどなと思った。もしこの生がまだまだ続くなら誰もこんなに努力しないだろうなと思った。努力しなくても終わりがないのだから。

「確かに。でも泣けど喚けどこの課題はどうしようもないんだよな……」

 結局そこに収束するのだ。

「やっぱり、一日が四十八時間にならないかな」

 今度こそ呆れたように彼女は溜息を吐いた。

「それも無駄だって。四十八時間に増えたとて結局同じよ。結局仕事量が増えるだけ。ほら今だって、本当は十二時間だったのが二十四時間になっているのかもしれないじゃない。皆の時間が伸びても意味がないのよ。きみひとりの時間が伸びないと」

 それもそうだ。でもぼくだけの時間が伸びることはあり得ない。

「たしかに。きみは賢いね」

 最大の称賛を込めて言うと、彼女は少し満更でもない顔をした。かわいい。そう、このギャップがぼくは好きだった。


「ああ、ぼく一人じゃなくてぼくらだけの時間だけが増えたらな」

 そう呟くと彼女はきょとんと無垢な瞳でこちらを見てきた。しかしすぐに理解したようで、一拍置いて渋面を浮かべる。そしてぼそりと呟いた。「ばかね」

 その表情がちょっぴり嬉しそうで、ぼくは課題のことなんてどうでもよくなってしまった。


「ばかみたいなこと言ってないで、さっさと終わらせてよ」

 あの後ぼくは彼女に発破をかけられて、なんとか課題を終わらせることができた。


 ぼくの充電源は幼馴染の彼女なのかもしれない。こんなことを言ったらまた呆れられそうだけれど。

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