七
窓から降り注ぐ光によって自然と目が覚めた。
アンジェラはベッドを抜け出すと、伸びをしながら窓の外を眺めた。
王都とは違って、ここはのどかだ。
自宅待機が命じられているアンジェラには特にやることも無い。
嵐の前の静けさなのか、今のところ王家からも学園からも他家からも連絡は無い。
それがかえってアンジェラを落ち着かない気持ちにさせているのだがこればかりは仕方ない。大人しくしておくしかないのだ。
この邸宅には最低限のお世話をしてくれる人しかいない。身の回りのことは自分でするしかない。
祖母がいた頃はもう少し人がいたように思うが祖母が亡くなりアンジェラが王都へ行くのを機に両親が人員を削減したようだ。
まあ、でも祖母が生きていた頃から自分のことは自分でできるように仕込まれていたので問題はない。
アンジェラは自分が
――――昔から私の家族はお祖母様だけだったもの。
悲しいと思ったことは無い。
だって、知っていたから。いつか自分には『運命の相手』が現れることを。
いつかウーナズム男爵家からアンジェラを連れ出してくれる『運命の相手』がいることを。
アンジェラが幼い頃から、祖母が繰り返し言っていたことだ。
『アンジェラ。今は耐える時なの。王都の学園に行けばあなたの『運命の相手』と会えるわ。あなたが気をつけないといけないのは、チャンスを逃さないこと。そして、変な駆け引きをせずに自分の気持に素直になることよ。大丈夫。あなたは私によく似ているし、私に足りなかった
それなのに……
「お祖母様……こんなことになってしまってごめんなさい」
――――運命の相手どころではなくなってしまったわ。
祖母から教えてもらった展開通りだったから、てっきりブライアンが自分の運命の相手に違いないと思い込んでいた。
運命の相手はブライアンで、意地悪な恋敵がソフィー。そして、そんな恋敵にも負けずにヒーローと結ばれるヒロインのアンジェラ。
でも、実際は違った。
ブライアンはソフィーに異様に執着しておきながらアンジェラの誘惑にも乗ろうとする浮気男(?)で、ソフィーは意地悪どころかアンジェラにまで優しくしてくれるお人好しだった。
――――あれだけ私とベタベタしておきながら、ソフィー様に振られたからって身投げするなんて……ならなんで私の誘惑に乗ったのよ! 私だってはっきりと拒否されていたらあんなにしつこくアタックしなかったわよ!
ブライアンへの激しい苛立ちが込み上げてきて……次の瞬間には冷静になる。
婚約者がいるとわかっていながら粉をかけたのは間違いなく自分だ。
自業自得という言葉が頭に浮かび、自己嫌悪に陥る。というのを繰り返していた。
それに、なんだかんだ言って、心の奥にはブライアンへの気持ちがまだ残っていた。
アンジェラにとってはブライアンが初恋なのだ。そう簡単に忘れられそうにない。
切なさと苦しさと怒りと甘い思い出が混ざり合ってアンジェラの精神状態はぐちゃぐちゃだ。
とはいえ、今更ブライアンとの関係を続けたいとも思わないし、するつもりもない。
ただ、絶対に死んでは欲しくなかった。たとえ、本人が
でないと、この関係が、気持ちが終われない。
だから……
アンジェラは下唇を噛んで、ゆっくりと振り向いた。
アンジェラしかいないはずの室内。けれど、確かにソコにいるのだ。
無表情でアンジェラを見つめているブライアンが。
「なんでまだいるのよ……はやくどこかに行ってよ」
そう呟いて、さっと視線を逸らす。きっとブライアンは不本意そうな顔を浮かべているだろう。
それが容易く想像できるから、視線を逸らした。
ブライアンの本性を知ってしまったとはいえ、四六時中
ただ、ブライアンの声が聞こえないのが救いだった。
◆
ソフィーがやってきてから数日も経たずに、今度はデビッドがやってきた。
ソフィーのように見舞い……ではなく、何やら話があるらしい。その表情からあまりいい内容ではないのだろうなと想像し、覚悟を決めて招き入れた。
けれど、これは想定外だった。
――――どうして私はデビッド様と
そう、アンジェラの目の前にはデビッドとエンリカが座っていた。しかも二人は手を繋いでいる。
――――もしかして、これは私が今までしてきたことへの意趣返しなのかしら。
改めて思い返せば学園でのブライアンとアンジェラも似たり寄ったりだった。
――――他人の目から見るとこんなにもイラつくものだったのね。
一応相手が相手なのでアンジェラも形式上笑みを浮かべているが、できることなら早く本題を済ませて、さっさと帰って欲しいところだ。
けれど、いっこうにデビッドは話を切り出さない。なぜかと様子を窺えば、違和感を覚えた。
デビッドとエンリカは手を繋いではいるものの、その距離は空いていて不慣れなように見える。
――――私ならこんな時ピタッと体もくっつけてしまうけど……もしかしてこの二人……こういうのに慣れていないのかしら。特にデビッド様……顔には出さないように頑張っているようだけど、耳が真っ赤になっているわ。
と、なればやはり目の前のコレはわざとなのだろう。そうとわかればアンジェラは黙って受け入れるしかない。
アンジェラの意味深な視線と変化に気づいたのか、デビッドが慌て始めた。
「こ、これは違うんだ!」
「なんのことでしょう」
図らずもデビッドは浮気を弁解するような言葉を発しているが、アンジェラは気づかないフリをして微笑み返す。反論する余地を失ったデビッドは魚のように口をパクパクさせて声を失った。
代わりに口を開いたのはエンリカだ。ソフィーと同じように公爵令嬢である彼女もまた優秀な人物なのだろう。狼狽えずに説明する。
「コレは、陛下から命じられたことなんですの」
「ソレが……ですか?」
「ええ」
エンリカはどうやらこの状況を楽しんでいるようだ。ときおり、握っている手に力を入れてはデビッドの反応を楽しんでいる。
「それにしては楽しそうですが」
思わず指摘してしまったアンジェラに、エンリカはにこやかに頷く。
「ええ。だって、こんなデビッド様を見るのは初めてなんだもの。これも、ある意味あなたのおかげだわ」
ふふふと上品に笑うエンリカにデビッドはとうとう顔を赤面させた。
アンジェラが目を白黒させている間に落ち着いたのかデビッドがコホンと咳払いをする。
どうやら、これから
アンジェラも背中に力を入れる。
「アンジェラ嬢はそのブレスレットをどこで手にいれた?」
「ブレスレット……コレのことですか?」
てっきり、ブライアンの事件についての沙汰を言い渡されると思っていたので拍子抜けする。
頷くデビッドの顔は至って真剣で、アンジェラは不安になりながらもブレスレットを握った。
「これは、今は亡きお祖母様からもらったものです……が、このブレスレットが何か?」
「やはり、そうか……。なら、そのブレスレットの効果についても知っていた?」
「効果……」
すぐにはピンとこなかった。けれど、思い至った。
――――お祖母様が今わの際に言っていたことかしら。確かに、お祖母様は『コレは縁結びのブレスレットよ。コレがあなたと『運命の相手』との縁を繋ぐお手伝いをしてくれるからね』とは言っていたけど。でも……
「お祖母様から縁結びのブレスレットだと聞きました。ですが……似たようなブレスレットは王都でも売っていますよね?」
祖母がくれたものだから特別な品だと思っていたのだが、王都にでてきて似たような縁結びブレスレットをしている人達をみかけて、すぐに違うということがわかった。
若者向けのお店にはこういったアイテムがたくさん並んでいるらしい。付き合った男女で交換したりするのも流行っているのだとか。
勝手に特別なものだと思い込んでいたアンジェラが内心少しだけがっかりしたのはここだけの話だ。
とはいっても、これは祖母の遺品のようなもの。だからアンジェラはいつもブレスレットをつけていた。
いつも祖母が見守っていてくれているような気がするから。
だから、別に悪いことはしていない……はずだ。
それなのに、難しい顔をしたデビッドにじっと見つめられていると不安になる。
アンジェラの様子に気づいてくれたのは意外にもエンリカだった。
エンリカに耳打ちされ、ハッとした顔になるデビッド。
デビッドは申し訳なさそうな顔でアンジェラを見た。
「すまない。どうやら僕は今まで勝手な先入観に囚われていたようだ。君がアンナ・ウーナズムの秘蔵の孫娘だと聞いて、僕はてっきり君が復讐の為に僕らに近づいてきたんだと思ったんだ」
まったく予想もしていなかった話にアンジェラは困惑する。その態度がさらにデビッドの警戒心を解いた。
「君は純粋に好意を向けてくれていたんだな……勝手に邪推して、態度を急変させて、君を傷つけてしまった。すまなかった」
「え? い、いえ。気にしないでください」
何の話かもよくわからない上に、今更謝られても困る。特に今は
心配になってアンジェラがエンリカに視線を向けると、エンリカは毅然とした態度で頷き、デビッドに鋭い視線を向けた。
「デビッド様! 私の前で浮気心を認めるなんていい度胸ですわね!」
「え?! いや、ちが、それはあのブレスレットの影響もあって『ちょっといいな~』と思った程度で、僕らの間には何もなかったんだ! ね? アンジェラ?!」
「え? あ、はい! 私達の間に何もなかったことは間違いありません!」
「そんなことは
「それはごめんっ! つい、でも、今の僕は全く彼女とどうこうなろうって気はないから! 愛しているのは君だけだから!」
「……それならば、許してあげますわ」
ふんっと言って髪を後ろに靡かせるエンリカ。エンリカのご機嫌取りに愛を囁き始めたデビッド。
向かいに座っているアンジェラは巻き込まれないように息を殺して自分は置物だと言い聞かせて
エンリカを満足させることに成功したデビッドは、すっかりこの短時間だけで疲れ果てていた。
一つ咳をして、よろよろとした顔からキリリとした顔に切り替える。
脱線したことを詫び、デビッドは再び真剣な表情を浮かべた。
「そのブレスレットのことなんだが、そのブレスレットはただのブレスレットじゃない。
「? はあ……」
王都に売られている縁結びブレスレットだって一応ご利益があるブレスレットとして売られている。それとは別ということなのだろうか。
イマイチピンときていないアンジェラの反応にさもありなんとデビッドが頷く。
「僕も祖父母にまつわる恋物語の裏を聞くまでは知らなかった話だ。……そのブレスレットにかけられているのはただの縁結びのまじないではない、
アンジェラは目を瞬かせた。
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