ブライアンが久々に登校したという情報はデビッドの耳にも入っていた。

 とある『事情』からアンジェラとブライアンの二人には密偵をつけているからだ。密偵に指令を出したのは陛下だが、その情報はデビッドにも共有されている。


 最初はただの学生である二人にそこまでする必要はあるのかと意見したデビッドだったが、その『事情』を聞き納得した。

 概ね理想的な展開を迎え、大きな問題も起きずに、監視期間もようやく終わる……と思っていた矢先……事件は起きた。


 悲鳴を聞きつけ駆けつけた先でデビッドが見たのは、頭から血を流して倒れているブライアンだった。

 微かに息をしているのを確認し、安堵する。


 その時、周りにいた誰かが一点を指さした。

 その先にいたのは、窓から身を乗り出しているアンジェラだ。


 ――――ブライアンはあそこから落ちたのか。


 根拠はないが、デビッドはそう直感した。

 注目されていることに気づいたのか、アンジェラが急いで窓から離れようとする。咄嗟に叫んだ。


「そこを動くな!」


 護衛を連れて、アンジェラの元へと急ぐ。

 逃がしてはならない。おそらくアンジェラはことの顛末を知っている。

 ――――まさかとは思うが、アンジェラがブライアンを突き落としたなんてことはないだろうな。


 嫌な想像が頭を過る。――――ダメだ。先入観は捨てなければ。

 二人につけていた密偵の報告を聞けばわかることだが、アンジェラから直接証言を取ることも重要だ。


 駆けつけた先で、アンジェラは逃げるどころか腰を抜かしていた。

 デビッドについてきた護衛にアンジェラは抱えられ、場所を移動する。


 空室で事情聴取となった。見るからに放心状態のアンジェラを問い詰めるのは心苦しいが、こればっかりは仕方ない。時間が経てば経つほど、記憶の正確性は失われていくのだから。


 アンジェラはデビッドに聞かれるまま、素直に答えた。

 一通り聞き取りを終えたデビッドはメモを取るのを止め、情報を纏める。


「つまり、ブライアンはソフィー嬢に次の婚約者ができたことを知り、自殺を……コホン、窓から飛び降りたってことだね」

「え、ええ。私が振り向いた時には、もうブライアン様は窓枠に足を乗せていたわ。だから、私がブライアン様を止めるのは無理だったのよ。かけよった時にはもう飛び降りていたんですもの! 信じられないかもしれないけど、本当のことなのデビッド様! 信じて!」


 必死な形相でデビッドに詰め寄るアンジェラ。驚いたデビッドは慌てて、アンジェラに声をかけた。


「わかった。わかったから落ち着いてくれ。……なんだか、以前とイメージが違うな……これが素なのか? それとも動揺しているだけなのか……」

「何? 今、なんて言ったの?」

「いや……何でもない。今は関係ないことだから気にしないでくれ」


 アンジェラを引き離したデビッドは眉根を寄せて思案する。

 その間アンジェラはこのまま誤解されて捕まるのではないかとハラハラしていたのだが、答え自体はすでにデビッドの中ででていた。

 ――――アンジェラの話はおそらく事実だ。密偵に確認すれば、裏も取れるだろう。


 けれど、今この場でそれを告げていいのかが判断できなかった。

 密偵のことを伝えるということは、例の事情についても説明するということだ。

 チラリとアンジェラの手首を確認する。

 ――――陛下の判断を仰ぐべきだな。

 悩んだ末、デビッドはひとまずアンジェラに自宅待機を命じることにした。



 ◆



 自宅待機を命じられたアンジェラは実家の本邸……ではなく、王都から離れた別邸にいた。

 祖母と暮らしていたあの邸だ。懐かしさが込み上げてくる。こんな時ではなければ、喜んでいたくらいだ。


 幼少期からアンジェラは祖母と暮らしていた。離れて暮らしていた両親にとってアンジェラは実の娘というよりは『母の孫』という認識が強かった。

 だから、今回の事件を知った時も自分達には関係ないとばかりに、ろくにアンジェラの話を聞こうともせず、最低限の使用人をつけて別邸へと追いやったのだ。


 助けを求めたくても頼る相手がいないアンジェラは、現実から目を逸らすように自室に閉じこもった。


「いったいなんなのよ」


 頭を抱えて涙声で呟く。

 今はまだ日中だ。にも関わらず、明るい室内でベッドのシーツを被って震えるアンジェラ。

 ――――こうすれば何も見ないですむわ。


 健康なのにベッドの上の住人となったアンジェラに、ベッドの中から出ざるを得ない相手が現れた。

 まさかのソフィーだ。


 老婆心で気を利かしたつもりのメイド長が、アンジェラの許可も得ずに、勝手にこの部屋まで連れてきたのだ。


「アンジェラ様。」


 突然聞こえてきたソフィーの声。アンジェラの身体が揺れた。反応したことに気づいたソフィーは、今が好機とばかりに話しかける。


「突然押しかけてきてしまって申し訳ありません。一応先触れを出したのですが……返事がなく、もしや……それどころではない状況なのではないかと心配になってきてしまいました」


 アンジェラはむくりと身体を起こした。

 行儀が悪いとはわかっていながら、シーツを被ったままソフィーに話しかける。


「きてしまいましたって……。なんで……ソフィー様が私の心配なんかするんですか。私はあなたからブライアン様を奪い取った女なんですよ?」

「それは……そうなんですけども。ですが、私それについてはアンジェラ様に感謝しているくらいでして」


 思わぬソフィーの本音に「え?」と声を漏らす。


「ほ、本気で言っているの? だって、あのブライアン様なのよ?!」

「まあ、好みは人それぞれですから。それよりも、あの日のことです。あの日、あの後、ブライアン様が誤って窓から転落したと聞きました。それで、アンジェラ様も体調を崩し寝込んでいると」

「え、ええ」


 なんだか話が捏造されているが、おそらくなのだろう。

 ならば、あえて否定せずにアンジェラは頷く。

 ソフィーが息を呑む音が聞こえた。


「あの日……お二人を二人きりにさせたのは私です。どういう経緯で事故が起きたのかはわかりませんが、あの場を私達が去らなければ起きなかった事故です。私の判断ミスです。申し訳ありません」

「ちょっ、何でそうなるの?!」

 あまりのお人好しな思考回路に、アンジェラはシーツを脱ぎ捨てて怒鳴った。

 ソフィーは驚いて目を丸くしている。


 アンジェラはグイッとソフィーに顔を寄せる。

「いいですか? ソフィー様は全く悪くありません。間違っていたのは私です。大事なことなのでもう一度言いますよ。ソフィー様は全く悪くありません! わかりました?」

「は、はい。わかりましたわ! ……アンジェラ様は優しい方なんですね。クーパー様が惹かれたのもよくわかりますわ。ああ、そうでした! お渡しするのを忘れるところでしたわ。これ、お見舞いの品です」

 そう言って、渡してきたのは巷で有名な商会のギフトセットだ。贈り物として人気の商品で、品薄だと噂だ。

 そんな商品をわざわざ持ってきてくれるなんて……一時期はソフィーに対して敵対心を向けていたアンジェラだがすっかり毒気を抜かれてしまった。

 ――――ソフィー様って。裏があるどころか、底抜けのお人好しじゃない。


 長居するとアンジェラの体調に影響するかもしれないからとソフィーは帰っていった。

 再び一人になる。けれど、今度はシーツを被らなかった。

 代わりに、じっと一点を見つめる。


 そこにはアンジェラだけが視認できるモノがいた。

 この世のものとは思えないような美貌。無表情も相まってまるで本物の人形のようだ。


「残念だったわね。ソフィー様にはあなたが全く見えなかったみたいよ。『運命の相手』が聞いて呆れるわね。まあ、だからといって今更私とあなたが運命の相手だとは言うつもりもないけど」


 ギロリと睨みつけてくるのは、命を取り留めたものの未だに目が覚めていないはずのブライアンだ。


 最初はあまりのショックで幻を見ているのかと思った。

 けれど、寝ても醒めてもブライアンはアンジェラの近くにいる。会話はできない。けれど視認はできる。

 試しに物を投げて追い払おうとしてみたが、すり抜けてしまった。まるで幽霊だ。

 まさか死んだのかと思ったが、どうやら生きてはいるらしい。


 ブライアンに恋をしている時だったらともかく、今はひたすらに怖い。

 ブライアンからの視線も。ブライアンがソフィーではなくアンジェラに憑いていることも。


 視界にいれるのすら嫌でずっとシーツを被って過ごしていたのだが、ソフィーのおかげで今は怖さが半減した。

 反撃するには今かもしれない、と思ったアンジェラは軽くジャブを打つ。


「あなた、これっぽっちもソフィー様に好かれていなかったみたいね。だって、ソフィー様ったら私の心配はしてくれるのに、あなたの安否については一度も確かめようとはしなかったもの」


 事実だが、それが全てではないことはアンジェラだってわかっている。

 あの優しいソフィーが長年婚約者だったブライアンの心配をしていないわけがない。けれど、婚約者ではなくなったソフィーが表立ってブライアンの心配をできるわけもない。少なくとも、アンジェラの前では。

 ソフィーのことを理解しているならわかるはずのことだ。


 しかし、ブライアンは理解していなかったらしい。

 殺気を帯びた視線をアンジェラに向ける。

 ブライアンの怒りに反応するかのように部屋が揺れた。


「キャッ! ちょっと、物理的に攻撃するのはずるいわよ!」


 反撃する手段がないのに、と睨み返す。

 以前からは考えられない険悪さだ。愛しさ余って憎さ100倍とはこのことだろう。


「お祖母様の嘘つき。運命の相手なんかじゃなかったじゃない」


 恋から冷めると今まで最高だと思っていたあの幸せな時間が一気に色褪せる。

 世界で一番素敵だと思っていたブライアンの評価もダダ下がりだ。

 同時に、ソフィーに対しての申し訳なさが込み上げてきた。

 ソフィーは気にしていないかもしれないが一言くらいは謝りたい。謝るという行為は苦手だが、頑張ろう。

 ――――さすがにお祖母様も許してくれるはずだわ。


「はあ。とりあえず、あなたははやく自分の体に戻ったら? 私達もう終わったんだから付きまとわないでちょうだい」


 ブライアンが目を見開き、アンジェラを激しく睨みつける。口を何度も開閉させているが、何を言っているのかは全くわからない。

 首を傾げると、ブライアンはイラついたように顔を顰め、くるりと背を向けてしまった。

 アンジェラもフンッと顔を背け、ブライアンを視界から追い出す。

 そして、『早くブライアンが目を覚まして、平和な日常が戻ってきますように』と願い、ギュッと目を閉じた。

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