五
ブライアンが学園に来ているというのを耳にしたアンジェラは、内心逃げ出したい気持ちを抑え、ブライアンに会いに行った。
ブライアンの教室は何故か異様に静かだった。
戸惑いながらもアンジェラが廊下から教室の中を覗くと、すぐに気づいたブライアンが弁当を持って立ち上がる。
二人が出た後の教室はいつも通りの賑やかさを取り戻した。
アンジェラは普段通りの自分を心がけながらブライアンに話しかける。
目の前で広げられたブライアンの弁当。
いつものアンジェラなら「さすが侯爵家の弁当。豪華だわ」くらいの感想しか抱かないが……今日はなんだか恐ろしく見えてくる。
――――この弁当もソフィー様が食べているのと同じモノなのかしら。
知りたいような知りたくないような。アンジェラはブライアンの弁当から視線を逸らし、自分の弁当を開けた。……が、どうにも食欲がわかない。
「どうした? 食欲がないのか?」
「え、ええ。最近、食欲がないの」
「それは心配だな。無理に食べろとは言わないが、少しは口にした方がいい。コレなら食べられそうか?」
そう言ってブライアンが差し出したのは弁当とは別に持ってきた焼き菓子だ。
フルーツも使われていておいしそうだ……とは今のアンジェラには思えなかった。
――――いかにも女性が好きそうな焼き菓子ね。……これもまさかソフィー様とおそろいなのかしら。
アンジェラは疑心暗鬼に陥っていた。
ふるふると首を横に振るアンジェラ。いつものアンジェラなら「アーンってして?」くらい言うのだが、明らかに様子がおかしい。
ブライアンは焼き菓子を片手にアンジェラに近づいた。
「一口だけでも……無理か?」
距離が縮まる。その瞬間、アンジェラはヒュッと息を呑み、「やめてっ!」と勢いのままブライアンを突き飛ばした。
押されたブライアンは咄嗟に両手を後ろについてなんとか倒れずにすんだようだが顔は下を向いたままだ。
「ご、ごめんなさい。いきなりで驚いてしまって……だ、大丈夫?」
我に返ったアンジェラが慌てて声をかけると、ブライアンはのろのろと顔を上げた。
その顔に怒りは無い。アンジェラはホッとして息を漏らす。
「大丈夫だ。……タイミングを誤ったか」
「え?」
「いや、なんでもない。それよりも……さっきから俺に何か言いたいことがあるようだが、何かあるのか?」
じっとブライアンに見つめられ、アンジェラは狼狽えた。
聞くなら今しかない。アンジェラは覚悟を決め、震える唇をゆっくりと開いた。
「え、ええ。ブライアン様に確かめたいことがあるの」
「そうか。何が聞きたい?」
アンジェラは真っすぐにブライアンの目を見つめる。
「ブライアン様が……ソフィー様のことを愛していたというのは本当? 二人の仲を引き裂こうとした人達を排除していたっていう噂は事実なの?」
アンジェラは些細な変化も見逃さないようにと視線を逸らさずにブライアンの様子を窺う。
けれど、ブライアンは表情を全く変えなかった。
それどころか、首を傾げ「何の話だ?」とアンジェラに聞き返す。
一瞬、噂はただの噂だったのか……と思いそうになったアンジェラだが、ブライアンの表情に違和感を覚える。
ギロリと睨みつけた。
「
すると、ブライアンはすとんと表情を消し、頷いた。
「ああ、概ね事実だよ」
「……やっぱり、本当だったのね」
ブライアンがあっさり肯定すると、アンジェラは下唇を噛みながら拳を握る。
――――まだよ。まだ泣いちゃダメ。まだ、聞くことが残ってるんだから。
「今も……今もその気持ちは変わらないの? 違うわよね? 今は私のことが好きなんでしょう? だから、ソフィー様と別れてくれたのよね? 本当のことを教えてちょうだい」
「俺は……今でもソフィーを愛しているよ。いや、ソフィーへの気持ちは愛なんて言葉では表せない。ソフィーが俺の全てなんだ。それなのに、ソフィーと別れないといけなくなったのは……
温度のない瞳がアンジェラを貫く。
――――ああ、またこの瞳だ。
しかも、今回はアンジェラへの憎悪が含まれている。
――――どうして……どうして、そんな目で見るの?! 今までのことは全部嘘だったの?!
そんなはずはない。あの頃のブライアンの目には間違いなくアンジェラへの好意が宿っていた。
いつからだ。いつから狂ってしまったのか。
大切な『
同時に、目の前にいる無表情のブライアンがアンジェラの知るブライアンではないように見えてきた。
まるで、全く知らない誰かだ。いや……血の通っていない人形か。
ぶるり、と身体が震えた。アンジェラはふらりと立ち上がる。
「違う。あなたは私の運命の相手ではない。本物を探さなきゃ」
アンジェラは踵を返して、走り出した。すぐに、後ろから追いかけて来る足音が聞こえてくる。
心臓が嫌な音を立てる。頭の中で聞こえる。まるで警報のような音が。
アンジェラは迫りくるモノから逃げるように必死で走った。廊下にいた人達が驚き、慌てて避ける。
何人かにぶつかった気もするが、なりふり構ってなんていられなかった。必死になって、逃げる、逃げる。
「「きゃっ」」
二人分の声が重なり、アンジェラは倒れた。
アンジェラに巻き込まれ、一緒に倒れたのはソフィーだった。
先に立ち上がったのはソフィーだ。アンジェラへ手を差し出す。
「アンジェラ様。大丈夫ですか?」
しかし、アンジェラはその手を取らず、ただ茫然とソフィーを見上げた。
小首を傾げるソフィー。そして、今気づいたとでもいうようにアンジェラの後ろへ視線を向けた。
「あら、私の出番ではなかったようですね」
そう言って、手を引こうとしたソフィー。
アンジェラはすばやく立ち上がり、ソフィーの手を力強く引いた。自分の後ろにソフィーを放るように。
「きゃっ」
トスッと後ろで音がする。アンジェラはゆっくりと振り向いた。
そこには想像どおり……ブライアンがいた。ソフィーを抱きとめているブライアンが。
まだ残っている恋心のせいか……微かに胸が痛むが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
アンジェラはにこやかな笑みを二人に向けた。
「ソフィー様。ブライアン様をお返しします」
アンジェラの発言に周りがざわつく。けれど、今はそんなことどうでもいい。
アンジェラははっきりとブライアンとの決別を口にした。
「私、ブライアン様とは別れます。だから、どうぞ遠慮なく一緒になってください」
けれど、ソフィーは慌ててブライアンから離れると困ったように眉を下げて首を振った。
「そう言われても困りますわ。私にはもう新しい婚約者がいますから。……もしかして、お二人は喧嘩の最中なのかしら。それも私のことで何か誤解が生じて……? アンジェラ様、ご安心ください。私とクーパー様の間には今までも、これから先も何もありませんから。ね?」
そう言って、ブライアンとアンジェラに微笑みかけるソフィー。
仲直りの邪魔をしてはいけないからとソフィーは観衆に声をかけ、そのまま皆をつれてその場から立ち去ってしまった。
残されたのはアンジェラとブライアンのみ。
ブライアンは己の手を呆然と見つめながら、何かを呟いていた。
逃げ出すなら今のうちだとは思いつつも、何を言っているのかが気になって少しだけ近づく。
聞こえてきたのは不穏な言葉のオンパレード。
ドン引いたアンジェラは思わず素直な感想を口にしてしまった。
「怖すぎっ。よく今までその本性がソフィー様にバレなかったわね。さすがに
ソフィーの名前を出した途端、ブライアンの顔が勢いよくアンジェラの方を向く。
「ひっ!」
血走った目はもはやホラーだ。
「今、なんて言った?」
足は震えているが、アンジェラは気丈にも何とか座り込みそうになるのを堪えた。
ブライアンに歯向かうのは怖い。だが、自分の恋心を弄ばれた怒りの方が勝った。
一矢報いたかったのだ。
嫌味たらしく告げる。
「ブライアン様の愛はそれだけ異常だってことよ。それと、ソフィー様にはもう次の相手がいるのだから邪魔しないことね! 嫌われたくないならね」
「そんなことはない……あってはならない! ソフィーの『運命の相手』は俺以外ありえないんだからなっ!」
珍しくブライアンは動揺している。
「じゃあ、どうしてあなた達は別れたの?」
「それは、だから、おまえが」
「確かに私も悪いわ。でも……私の手をとったのはあなたでしょ? 私だけのせいにしないでくれる?」
「だから、それはおまえがそう望んだからでっ!」
「とにかくっ! ソフィー様も私ももうあなたとは関わりたくないの。私達の前にもう二度と現れないでちょうだい!」
埒が明かないと感じたアンジェラは無理矢理にでも話を切り上げようとした。
視線を逸らして、背を向ける。そのまま歩き出そうとして、歩みを止める。
ブライアンが反論してこないことに違和感を覚えて、少しだけ振り向いた。
「ちょ、何をしてるの?!」
ブライアンは窓に足をかけていた。
「何をしてるって……君が望んだことだろう? ……ソフィーが俺のものにならない世界なんていらないんだよ」
ブライアンはそれだけを言うと、予備動作無しに窓の外に身を投げた。
アンジェラは急いで走るが、間に合わない。
地面に重いナニカが叩きつけられる音が聞こえ、次いで叫び声が聞こえてきた。
アンジェラは慌てて窓から身を乗り出す。
数名の生徒達がナニカを囲んでいる。
その中心にいるナニカの頭部付近には血だまりが出来ているように見えた。
足が激しく震える。頭がぐらつく。
――――嘘、でしょ。
その時、ナニカの側にいた生徒達の内の一人がアンジェラを指さした。つられたように周りの人達も指さした先を見上げる。
アンジェラは必死に違うと首を横に振った。窓から離れようとした時、その集団の中にいたデビッドが叫んだ。
「そこを動くな!」
アンジェラはとうとう腰を抜かした。
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