二
卒業まで後半年。私は焦っていた。
ブライアン様と恋仲になってからしばらく経つが、私達の関係は終わるどころか、むしろ深まっている。
けれど、ソフィー様とブライアン様の関係は今も変わりない。
最初は、卒業するまでの関係でもブライアン様と恋仲になれるならそれでいいと思っていた。
でも今はそれでは物足りない。
ブライアン様は根っからの真面目な人だ。いくら私が望んでも一線を越そうとは決してしない。
口づけはする。抱擁もする。際どいところまで触れ合いはする。
でも、その先には絶対に進まないのだ。
それに、学園の外では絶対に私と会おうとはしなかった。
だからといって、ブライアン様の気持ちを疑っているわけではない。
『ブライアン様から遊ばれているだけだ』なんて言ってくる人達もいるけれど、私はそうは思わない。
だって、ブライアン様が私へ向ける眼差しや接し方を見ていたら疑いようはないもの。
だからこそ、私はブライアン様とこれからも一緒にいたいという願望と、もっと愛されたいという欲求を持て余していた。
「記念に一度だけでいいから」と私がお願いしても「それだけはできない」と断られる。
ブライアン様にきっぱりとそう言われてしまえば、私も強くはでれない。
――――嫌われたくはないもの。
熱くなった身体を持て余してもんもんとする毎日。
――――ブライアン様と別れるなんて絶対に嫌! どうにかして卒業後も一緒にいられる方法はないかしら。
真剣にそんなことを考え始めた時だ。彼の婚約者であるソフィー様から声をかけられたのは。
「アンジェラ様」
「……ソフィー様」
「少しだけ、お時間いただけるかしら?」
申し訳なさそうな顔で小首を傾げるソフィー様。
茶色の髪に、緑の瞳。一見すると地味だがよく見れば整っている容姿。穏やかな性格で聞き上手。けれど、公爵家の令嬢らしく、なんでもそつなくこなすことができる才女。そんなソフィー様を慕う女性達は多いらしい。
――――でも、私は騙されないわよ。無害そうな顔の裏でどうせ私への罵詈雑言を唱えているんでしょう? 高位貴族の女性ってたいていそうよね。
アンジェラは内心溜息を吐きながら、チラリとソフィーの様子を窺う。
いつかはやってくると思っていたが、まさかこんな白昼堂々とやってくるとは思わなかった。
一瞬、どう対応するべきか迷う。アンジェラとしてはソフィーから何を言われたとしてもブライアンと別れるつもりはないので話に付き合う必要も無い。
……のだが、ふと自分達が周りから注目されていることに気づいた。
――――これはチャンスだわ!
『
という事実を、今見ている人達が勝手な想像をまじえて面白おかしく噂を流してくれることだろう。
アンジェラはわざと怯えた表情を浮かべるとこくりと頷き返した。
◆
学園内にあるカフェのテラス席に、アンジェラとソフィーは向かいあわせで座った。
珍しい組み合わせに周囲にいた人々がチラチラと二人の様子を窺う。中には、気になって二人を追いかけてきた令嬢達もいた。
当のアンジェラはというと、てっきり人気のない場所に連れていかれると思っていたので拍子抜けしていた。
どちらかが口を開く前に、ケーキと紅茶のセットが運ばれてくる。
アンジェラは目を瞬かせた。
「あの……これ、は?」
「あら、アンジェラ様は甘いものお嫌いでしたか?」
「は? え、いえ……好きですが……」
「それはよかったわ! あ、でも……こちらのセット……もう食べ飽きていたり?」
「いえ! 初めてです」
必死に首を横に振るアンジェラ。つい、己の欲求に負けてしまった。
というのも、アンジェラがカフェを利用する機会は入学してから今まで一度もなかったからだ。
カフェを利用するのは貴族の女子生徒達ばかり。彼女達は小さな茶会を開いては楽しんでいた。
だから、男子生徒達はカフェにはよりつきもしない。
女子生徒との交流が皆無なアンジェラも自然と自分には縁がないものだと思っていた。
目の前のケーキセットを見つめてゴクリと喉を鳴らす。
――――な、なぜ。
アンジェラの警戒心を知ってか知らずか、ソフィーはおっとりと微笑んだ。
「こちらのセット、私の一番のオススメなの。アンジェラ様のお口にあえば嬉しいんだけど……」
そう言って、先に一口ケーキを頬張ってみせる。途端に幸せそうにソフィーの目元が綻ぶ。その表情の変化を見ていたアンジェラも思い切ってフォークに手を伸ばした。
ケーキを口に入れると、一瞬で口内が幸せな味で満たされた。自然と笑みが浮かぶ。
「お口にあったようでよかったわ」
ソフィーの言葉に慌てて我に返った。
それでも、アンジェラは気まずげな表情でひたすらケーキを食べ続けた。途中でケーキを残す……なんて真似はしたくなかったのだ。
ペロッと食べ終わると、口の中を紅茶で整える。
そして、改めてアンジェラは口を開いた。
「ソフィー様」
「はい」
じっとソフィーを見つめるアンジェラ。
ソフィーもアンジェラをじっと見つめ返す。その目には敵意も嫉妬もなかった。
むしろ、探ってくるような視線にアンジェラがたじろぐ。
負けじと視線を逸らさずにアンジェラは最初から気になっていた疑問を口にした。
「ソフィー様はどういうつもりで私を呼び出したのですか?」
直球な質問にソフィーは目を瞬かせ、困ったように微笑んだ。
そして、視線を若干逸らし、独り言のように呟く。
「アンジェラ様が警戒するのも仕方ないですわね。元々、私達に交流はありませんでしたし……私はいまだ彼の婚約者のままですから」
皮肉でもなんでもなく、事実を述べるように淡々とした口調。
アンジェラはソフィーの真意が読めず、戸惑っていた。
意を決したようにソフィーがアンジェラに再び視線を合わせる。
自ずとソフィーの背筋も伸びた。
「私、アンジェラ様にいくつか確認したいことがありますの」
「なんでしょうか?」
何を言われても絶対に負けないとジッと見つめ返す。
その視線を受け、ソフィーは一つ頷くと質問を始めた。
それは、まるで事情聴取のようだった。
実際、ソフィーの手には小さなメモ帳と筆記用具が握られていた。
「それではさっそく、『アンジェラ様はブライアン様のことを
「ええ。もちろん。私はブライアン様のことを
アンジェラがはっきりと答えると、こっそり聞いていたであろう周囲がざわついた。けれど、ソフィーの表情は全く崩れない。
アンジェラは忌々しげにソフィーを見つめていたが、ソフィーは淡々と質問を続けるだけ。
サクサクと質疑応答が進む中、アンジェラは困惑し始めていた。
というのも、ソフィーが投げかけてくる質問がどれもアンジェラの想像していたものとは違っていたからだ。
『二人の関係が始まったのはいつか』、『どちらから言い寄ったのか』というような浮気の証拠になりそうな質問ではなく、どちらかというとアンジェラとアンジェラから見たブライアンの気持ちを確認するような質問ばかり。
「それでは最後に一つ、『この先どんなことがあろうとブライアン様と添い遂げる覚悟はありますか?』」
その質問にアンジェラは眉根を寄せた。ギッとソフィーを睨みつける。
「それは私達への……私への警告ですか?」
ソフィーの瞳が初めて揺れた。
「警告……そう、ですね。私としてはそういう意味で聞いたわけではありませんが。お二人からしたら、警告と捉えておいた方がよいかもしれませんね」
その言葉の意味を理解することはできなかったが、アンジェラは何となく馬鹿にされた気がした。
――――やっぱりね。そちらがその気なら私だってそのつもりで応戦してやるわ。男爵令嬢だからって舐めないでちょうだい! 私だって本当なら
取り繕うのを止め、表情を一変させる。
「それはどうも……ですが、そんな心配は無用ですわ。愛があればどんな苦行がまっていようとも乗り越えることができますもの。ソフィー様はご存じないでしょうけど。『運命の相手』との愛はそれだけ素晴らしいものなんですわよ!」
蔑んだ目をソフィーに向け、ホホホと高笑いをするアンジェラ。周りはアンジェラの豹変とその高圧的な態度に驚いている。
が、
と、何故か悦に入っていた。
亡きアンジェラの祖母がこの場にいたとしたら、鬼のように目を吊り上げていたことだろう。
だが、あいにく今のアンジェラに指摘してくれる人は誰もいなかった。故に、アンジェラは自分の言動の異様さに全く気づいていなかったのだ。
周りにいた人々は呼吸するのも忘れ、ことの成り行きを……ソフィーの反応を見守っている。
しかし、ソフィーの反応は最初と変わらなかった。
嫉妬も、怒りもなく、むしろ満足げな笑みを浮かべている。
「それは素晴らしいですね。いいことを聞きました。『運命の相手との愛があればどんな苦行も乗り越えることができる』と……ありがとうございます。アンジェラ様」
たじろいだアンジェラは「い、いえ」としか言い返せなかった。
ソフィーは用は済んだと立ち上がる。
「それでは確認もすみましたし、私はこれで。……」
そして、アンジェラにだけ聞こえるように顔を近づけ、
「できるだけ早くすませますのでもう少しだけお待ちくださいね」
と囁いた。
ソフィーは足取り軽くカフェから出て行く。
一人観衆の中に置いて行かれたアンジェラは呆然と座ったままだ。
我に返ったアンジェラは、何もなかったかのように残った紅茶を飲み干し、しれっとカフェを後にした。
後日、噂が錯綜した。ブライアンをめぐってソフィーとアンジェラがキャットファイトをしたとか、和解したとか。けれど、実際に二人のやり取りを見ていた人達がどちらでもなかったと言った為、すぐにその噂は消えた。
アンジェラ本人もブライアンからそれとなく噂のことを確認されたが、特にこれといって説明することはなかった……というより自分でもよくわからない出来事だったので、ただ「一緒にカフェに行った。ケーキが美味しかった」とだけしか報告しなかった。
ソフィーが立ち去る間際に残していった一言だけは頭の隅に残っていたが、その言葉の意味がわかったのはそれから一ヶ月程経った頃だった。
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