従軍看護婦

コロナ禍以前は毎年沖縄へリフレッシュに行っていた。

10月でも汗ばむ程の気候。

沖縄ならではの料理と酒。

多くは語らなくとも温かな人々。

私の沖縄を訪れる目的の一つとして、沖縄戦を知る為、史跡、祈念館を回ることがある。

その際に私ではなく、妻の身体に起きた出来事。



沖縄戦


1945年3月末から6月末にかけて、沖縄本島を中心とした地上戦が行われた。

だが、地上戦が行われる以前から悲劇は起きていた。

1944年8月21日、対馬丸は子供達の疎開の為約1700人を乗せ、九州を目指して那覇の港を出発した。

ところが22日夜、鹿児島県悪石島の沖合でアメリカ軍の潜水艦による魚雷攻撃を受けて対馬丸は沈んでしまい、約1500人が犠牲となった。

そして1944年10月の那覇市を中心としたアメリカ軍の空襲。

10・10空襲と呼ばれ、沖縄の人々を恐怖のどん底に陥れた。

この空襲により那覇市は約90%が焼失。

一般住民を含め、約660人が亡くなった。

1945年3月26日朝から慶良間諸島に上陸。

混乱と軍の圧力下により、沖縄戦の最大の悲劇、集団自決も。

アメリカ軍の砲爆撃の凄まじさは、鉄の暴風とまで表現され、約20万人の命を奪った。

そのうち住民の犠牲は9万4千人、住民の四人に一人が亡くなった。



日本軍の従軍看護婦として働く女性たちがいた。

ひめゆりの塔は修学旅行等で訪れたことがある方も多いだろう。

ひめゆり部隊は有名だが、他にも8つの学徒隊が存在した。

1945年3月23日から従軍し、戦傷者の看護から兵の食事や身の回りの世話をした。

だが同年6月18日、突然の解散命令。

10代の女性が、突然戦地に放り出された。

翌日の6月19日から約1週間の間に死亡者のうち、実に80%がこの間に集中している。

そして、最大の犠牲を出した伊原第三外科壕跡に慰霊塔であるひめゆりの塔が建立された。

沖縄戦を知るうえでいい歳になった現在、訪れた際にそれは起きる。


ひめゆりの塔に入館し、生存者のお話や当時の写真、絵、学徒隊の方々のお写真を見ていた。

館内に実際に働いていたというガマ(壕)のジオラマが設置されている。

そこを背にして正面の展示物を見ている時に、後ろから視線を感じた。

振り返ると、白襟の制服を着たスカート姿の女の子が見ていたのだ。


それからも館内の至る所にその子は立っている。

祈念館を出て、第三外科壕跡のガマを見ている際も後ろにいた。

着いてきしまったか。


妻にとっては初めての沖縄。

食事の前に所謂沖縄を味わってみたいとのことで、国際通りを散歩することにした。

妻の様子がおかしい。

何か体調が悪そうな。

だが楽しそうにしている。

笑顔もいつもの妻とは、何か雰囲気が違う。


それはそうだろう。

背中に先程の女の子が乗ってしまっている。

妻と波長が合ってしまったようだ。


食事を済ませ、ホテルに戻った際に驚かせないよう、ゆっくりと話した。


「わかってたよ。私も楽しかったけど、何か私とは違う心が躍っているのがわかったの。自分が見ていた情景とは違う沖縄が楽しかったんじゃない?このまま旅行を続けるよ」


私の妻も感覚は鋭い方だとは思っていたが、強い心をお持ちだったようだ。



観光地を回る時も食事をする時も三人で回った。

妻曰く、凄く楽しそうとのこと。

疲れた顔をしている。

様子もおかしい。

だが、この子の為に頑張っているのがわかった。

残り一日も精一杯楽しませてあげよう・・・と。


楽しかった4泊5日の旅も終わり。

実に味わい深い旅になった。

飛行機への搭乗も済ませ離陸を待つ。

アナウンスが流れ、機体がゆっくりと動き始め、グングンとスピードを上げる。

機体がフロントを持ち上げ、大空へ飛び立った。

帰ろう、宮城へ。

三人で。


連れて帰ってきてしまった。

特に妻の体調が悪いわけでもなく、普段通りだがいらっしゃる。

一年間三人での暮らしが続いた。

ある日、私が仕事で妻が家に一人の時に不思議な感覚があったそう。

卒業式の歌を歌ってほしい・・・そう言われた気がしたとのこと。

その子の願いは


仰げば尊し


Ave Maria


この二曲を歌ってほしいと。

妻は歌った。

彼女の為に。

その二日後に沖縄旅行が控えていた。



雲の隙間から沖縄の島々が見えてきた。

那覇空港へ着陸。

荷物を受け取り、那覇空港を出る。

レンタカーに乗り、目指すは本島南部。

伊原第一外科壕跡。

彼女の要望だ。

レンタカーを駐車場に停め、徒歩で向かう。

ガマの入り口が見えてきた。


その時、妻の身体からスッと彼女が離れ速足で駆けていく。

ガマの前に立ち、こちらを振り返り頭を下げる。

私達も頭を下げた。

少し寂しい気もする。

一年間一緒にいた。

妻の目には涙が溢れていた。

その後再度ひめゆりの塔に献花を済ませ、祈念館に入館。

犠牲になった方々の写真をゆっくり見ていた。


そこにはあの子が写っていた。

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