第四話 痩せ我慢は続かない

 俺はお勉強会のあったその日の夜、ベッドの上でチョウシ先生が言っていた事を思い返していた。

 最後、何で俺を見ながら言ったんだろう。何を伝えたかったのだろう。

『当主様達の為に使うべきテメェの命を勝手に使うな。同士撃ちや事故、勝手な判断による死亡は論外だ。それを常に頭の真ん中に置いておけよ。』

 早死にしそうだって、思われてたのだろうか。それとも、俺が父さんの子供だから。父さんは、他の人を護る為死んだから。

 父さん。何で俺を置いて死んじゃったんだよ。死なないでよ。戻って来てよ。

 独りは淋しいよ。

 俺は枕に顔を当てて、声が漏れないように大泣きした。ずっと我慢していた分も全て溢れて止まらなかった。

 それから俺は、自分でも気が付かないうちにどんどん消耗していく。

 いじめられる恐怖心。訓練で感じる劣等感。悔しさ、淋しさ、苦しさ。吐き気に眩暈。頭痛に腹痛。だんだん、感情が削られていく。体力が削られていく。

 自主トレーニングを幾ら増やしても、周りとの差は埋まる事もなく離されていく。

 いつしかやる気もなくなり、自主トレーニングもやらなくなった。

 そんな俺に取って、唯一の救いはりんのすけ様と遊ぶ時だけだった。

 この頃はりんのすけ様のため、と言うよりトレーニングをサボっている俺を隠すために、トランプや花札等の室内遊びを一緒にやっていた。

 頭の良いりんのすけ様は、まだ四歳だと言うのに、九歳の俺は全く勝てなかった。

 それでもりんのすけ様は、つまらなそうな顔をせずにいつも純粋な笑顔を向けてくれる。いつしか、俺はこの人の笑顔を守りたいと思うようになっていた。

 ただ漠然とそう思うだけだ。その為にどうすれば良いかなど考える余裕は無かった。



 家に帰りベッドに横になると、頭の中がうるさくて眠れない。

 汚い言葉が頭の中を埋め尽くす。自分で自分を説教している。罵倒している。

 殺してくれと叫んでいるんだ。

 何者でも無い自分。何者にもなれない自分を。

 弱虫、意気地なし。虐められる方が悪いんだ。誰も助けてはくれないぞ。辛いのはお前だけでは無いんだ。もっと酷い目にあっている人もいる。まだ大丈夫だ。大丈夫。大丈夫だから。

 苦しいのも。悲しいのも。痛いのも全部。パッと消えてなくなる魔法をくれよ。俺が消える魔法を。

 どうか、明日にならないで。朝が来ないで欲しい。蝋燭の火を消す様に、一息で消してくれ。

 今日もまた、無慈悲な朝日が昇る。




 真っ暗な日々を過ごしていると、一日がとてつもなく長く感じる。

 やっと日差しの強くなってきた夏頃。東西合同格闘技大会が開かれた。

 ソヤクモのいる関西の使用人と本家の使用人の合同で行う。

 小学校三年生から参加可能。合計五部門ある。『小三と小四の部』、『小五と小六の部』、『中学生の部』、『高校生の部』、『大人の部』。部門ごとのトーナメント戦で、一位になるとトロフィーが貰える。

 場所は、掬護会の訓練用体育館。八メートル四方の空手で使う舞台の上で、模擬戦用のゴムで出来た武器を使って戦う。舞台は四つあり、その周りに観客席が設けられている。武器は基本的に自由だが、飛び道具は禁止だ。

 服装は訓練用戦闘着。黒いポロシャツに黒いカーゴパンツのいつもの格好。

 勝利条件は、相手を気絶させるか降参させるかだ。

 年齢の若い順から行われる。俺は第一試合に出場する事になった。

 俺は模擬戦用のトンファーを両手に持ち、舞台に上がる。

「オイオイ。このチビが相手なんか?手ェ滑らせて殺してもうても、恨まんでくれよ?」

「げっ。ソヤクモかよ。」

 長い模擬剣を持った小学四年生のソヤクモが舞台に上がって来た。白い長い髪は、頭の上でお団子にしている。

 審判の大人が所定の位置につく。

 俺はトンファーを構えて睨む。

 ソヤクモは模擬剣を逆手で持ち、刃を体が平行になるように直立で構えた。体の側面を俺に向ける。顔を上げ、俺の目を見ると表情が変わった。口元はニヤリと笑っていて……。

 あいつ、目がいっちゃってる。

「試合、始め!」

 俺は前方に飛び、体を捻ってトンファーを振りかざす。ソヤクモは左足に重心を移動して、上半身を真っ直ぐ保ったまま左足を思い切り曲げて姿勢を低くする。右足を伸ばして模擬刀を頭の上に構える。

 ガキン!!

 大きな音を立ててトンファーと剣がぶつかる。

 俺が着地した足を、伸ばした右足で薙ぎ払う。思い切りひっくり返り、背中で着地してしまう。

 転んだ俺を見て、観客席の子供達が大笑いした。

 ソヤクモの表情が元に戻って真顔になる。

 すっと立ち上がり、剣を振って倒れている俺の顎を殴った。

 意識が朦朧とする中で、ソヤクモの声が聞こえる。

「今笑ったやつ、わっちの前に出て来い!!!ぶっ殺してやらァァァ!!!」

 その後、俺は仰向けのまま気を失った。

 目が覚めたら、医務室のベッドの上だった。ベッドから飛び起きると、隣には椅子の上でうたた寝をしているソヤクモが居た。

 俺は肩をトントン叩いて起こす。

 ソヤクモは間抜けな顔をして、「んあ?」と言った後、口の周りの涎を手の甲で拭う。

「ねえ。試合しなくて良いんですか?」

「ああ……。関東のガキンチョ達ボコしたら、失格になってしもた。」

 ソヤクモは気にして無い様な顔でそう言うと、お団子髪を解く。ヘアゴムを口に加え、手櫛で髪を整えた後ポニーテールに縛り直した。

「な、何でそんな事したんだよ……。」

「ああ?そんなん決まっとるやろ。ムカついたからや。真面目に戦っとんのに笑う奴があるか!あー、思い出したらまたイライラしてきた。」

「そ、そうなんですね。アハハ……。」

 俺は感情を素直に表に出せるコイツが羨ましかった。

 顔を伏せて愛想笑いをする俺を見つめた後、ソヤクモはいきなり鼻を摘んで来た。

「んん!?」

 俺は息ができなくなり、少し焦った後、口呼吸に切り替える。

「ブハッ。何すんだよ!」俺はソヤクモの手を掴んで、グイグイ離そうとするが、ビクともしない。

「サソリ。悔しく無いんか。ムカつかないんか。あのクソ野郎達のこと。」

 言葉に詰まる。俺はアイツらにどんな感情を抱いているんだろう。考えがまとまらず、直ぐに答えが出ない。

 そんな自分が情けなくて、気がついたら涙が頬を伝っていた。

「分かんないんですよ。何とも思ってないって言ったら嘘ですけど、具体的にどう思ってるとか、どうしたいとか全然……。うっ。うぅ……。」

 ソヤクモは鼻を摘んでいた手を離して、俺の頭を鷲掴みにした後、頭突きをして来た。

 鈍い音がなる。物凄く痛い。

「!?」意味が分からず、俺はただただ動揺するしか出来なかった。

「やりたい事とか目標とか無いんか?」

 俺に顔を近づけて睨みつけながら言う。鼻の先が当たりそうな距離だ。

「な、なんですか、急に。そう言うアンタはあるんですか?」

「あるわ!!いっぱい戦いてぇ。死ぬか生きるかの瀬戸際に立っとる時が一番楽しい!!」

 ソヤクモは不敵に笑う。目がいっちゃってる。

「目標ってそう言うので良いんですね。もっと具体的なものかと思ってました。」

 俺は両手で涙を拭う。

「アッハァー!お前は頭が堅すぎんだよ!どうせ先の未来なんてわっちらにゃ分からんやろが。漠然としててええ!自由でええ!やりたい事だけやっとりゃええんや!」

 ソヤクモは重心を後ろにして座り直した。

「そうなんですね。それなら、りんのすけ様を護れる人になりたいです。」

「りんのすけ様ァ?あー、あの本家の嫡男様か!ええやん、ええやん。ほんで?ちゃんと努力しとんのか?」

 俺は顔を背けて小声で言う。

「いや、何も。」

「ハァァァ!?」ソヤクモは大声で立ち上がって俺の髪を掴むと、前屈みになりながら顔を近づけた。

「ヒッ!」俺はビビって小さな悲鳴をあげる。

「何でやりたい事わかっとんのに、努力してへんねん!」

「俺だって、色々あるんですよ!父さんが死んで、母さんにも全然会わなくなって!いじめられて……。ずっと苦しいん……です。」

 俺はだんだん声が小さくなる。また勝手に涙が溢れて来た。全然止まらない。

「あ……。あ、あ。」

 頭を抱えて顔を伏せる。焦点が合わず、目が泳ぎ続け、呼吸の仕方を忘れ、体が震える。自分の髪を握りしめ、歯を食いしばる。

 俺は、俺が、何を、何が。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。やめろ。何も考えるな。やめろ。やめろ。

 だんだん呼吸困難になり、ヒューヒューと変な音が出始める。

「オイ!ちゃんと呼吸せえ!」

 ソヤクモは眉間に皺を寄せて俺の肩を叩く。その声は遠くで聞こえている様で、よく聞き取れない。

 俺は気がついたら呼吸が出来ずに、ベッドの上に仰向けで倒れた。

「アホ!!何やってんねん!!」

 ソヤクモは俺の横に膝をついて、体の上に覆い被さる様に、ベッドに手をついた。

 俺の鼻を摘み、少し顎を上げると人工呼吸を始めた。

 大きく息を吸い、俺の口に空気を流し込む。それを何度も何度も繰り返す。

「ケホ。カハッ。」俺は呼吸を取り戻した。

「ハァァァ。」ソヤクモは大きく溜息を吐いた。

「ご、ごめんなさい。」俺は小さく謝る。

「それ、やめろ!」ソヤクモは俺のオデコにデコピンする。普通に痛い。

「何すんだよ!」

「サソリは悪く無いやろが。悪く無い時に謝ってもうたら、悪く無いのに悪くさせられるで。」

「……。ソヤクモ。」俺はソヤクモの顔を見つめる。

「なんや?」ぶっきら棒に言いながら、俺の顔を見つめ返す。

「……ありがとう。」俺は小声で呟く。

「べっつにー。あ、そろそろ大人の部の決勝戦の時間や。今日の楽しみやったから行かんと。」

 ソヤクモは立ち上がった。

「お、俺も行く。」慌てて立ち上がろうとして、前に転びそうになる。

 ソヤクモはノールックで俺の体を後ろ手で支える。

「フラフラやんけ。無理せんと寝とき。」

「……強くなりたいんだ。」

 俺は捻り出す様に言葉を吐き出した。

 ソヤクモはニヤリと笑った。

「おうおう!強くなりや!!ほんで、わっちと殺し合おうな!!」

 そう言いながら、ソヤクモは俺をお姫様抱っこした。

「殺し合わないよ!て言うか、降ろして!恥ずかしい!!」

 俺は抱っこされながら暴れまくる。

「じっとしとき!鬱陶しいわあ。」

「せめて、別の抱き方でお願いします!」

「わがままやなー。しゃあない。よっと。」

 ソヤクモは俺を肩車する。

「いやいや!おかしいでしょ!室内で肩車するな!!周りの人に見られてるよ!!」

「アッハッハ!元気そうで何より何より!」

「もう!早く降ろしてください!!」

 俺の言葉を無視して、サソリは試合会場へ向かう。

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