第179話 奇跡の癒し手

「円環の間の包囲は?」

「既に完了しております。ギルドにも協力を仰ぎ、手練れだけを集めました」

「よろしい。では、手はず通りに――」


 セレスティアの言葉に頷くと、ディルムンドは先に円環の間へと向かう。

 各国の代表には状況を説明するため、再び〈円環の間〉に集まってもらっていた。

 だが、セレスティアの目的はそれだけではなかった。

 この物々しい雰囲気は万が一に備えてのこと。

 カルディアから聞いた話の真相を確かめるためでもあった。


「一連の出来事を説明して頂けるという話でしたが、アルカ様の姿がないようですな」


 議場を見渡しながらディルムンドにそう尋ねるのは紫の国の代表の一人だ。

 名はガブリエル。〈緑の国〉にある教会の総本山から三年前に〈紫の国〉に赴任してきた司教だ。

 前回の会議で椎名に結界のことを執拗に尋ねていた冴えない風貌の男で、元は〈白き国〉で司祭をしていたのだが十年前の〈大災厄〉で奇跡的な生還を果たした人物だった。

 いまでは〈奇跡の癒し手〉という二つ名を与えられ、治癒魔法を得意とする高名な魔法使いとして活躍していた。その功績が認められ、三年前に〈紫の国〉の司教に赴任したと言う訳だ。


「アルカ様は本日はいらっしゃらない」

「……怪我をされたという噂が流れておりますが、まさかあれは真実だと?」

「〈精霊殿〉で療養されているのは確かだ。今日はそのことで皆に集まってもらった。既に大まかな事情は聞いていると思うが〈精霊喰いエレメントイーター〉が現れたのだ」

「なんと……」


 驚いた様子を見せるガブリエル司教。それは各国の代表も同じだった。

 モンスターの襲撃があったという話は聞いていたが、それが〈精霊喰い〉の仕業だとは思ってもいなかったのだろう。

 なにせ〈精霊喰い〉は二千年以上も前に出現したとされる災厄のモンスターだ。魔法使いであれば一度くらいは名前を耳にしたことがあるかもしれないが、いまとなっては知らない者も多い。

 そんな伝説的なモンスターが出現し、精霊殿を襲ったと聞けば驚くのも当然であった。


「ふむ。まさか〈精霊喰いエレメントイーター〉が現れるとはの。それはもしかして〈大災厄〉と関係があるのかの?」


 そのため、十年前に〈白き国〉で起きた〈大災厄〉と結びつけて考えるのも無理はなかった。

 しかし、〈紫の国〉の女王サテラの問いにディルムンドは首を横に振り――


「まだ調査中としか言えない。正直に言うと、なにも分かっていないのが実情だ」


 精霊喰いエレメントイーターが現れた原因は分かっていないと答える。

 実際、モンスターの考えなど分かるはずがない。〈大災厄〉についても分かっていることは少なく、ダンジョンのことすらすべてを理解しているとは言えないのだ。そのため、そう答えるしかないというのが実情であった。


「では、質問を変えましょう。アルカ様が怪我を負われたのは、やはり〈精霊喰いエレメントイーター〉との戦いが原因でしょうか?」


 そう尋ねたのは、淡い緑を基調とした着物に身を包んだ黒髪の女性。〈緑の国〉の代表だ。

 緑の国は〈青き国〉と同じく自然に囲まれた国で、ダンジョンほどの規模ではないが古代の遺跡が数多く眠る国だ。王国の首都は三千年以上の歴史を持ち、古い伝承が多く伝わっているため、〈精霊喰いエレメントイーター〉についての記録も当然残されていた。

 精霊を捕食し、魔力を糧とするモンスター。

 魔法が一切通用せず、嘗てセレスティアも窮地に立たされたことがあると――

 その窮地を救ったのがアルカで、〈至高の錬金術師〉の名が世に知られる切っ掛けともなった事件だ。

 緑の国の代表、コルネリア女王も当然そのことを知っていた。

 彼女は神秘を探求する考古学者として、その名が知られているからだ。


「いや、違う。〈精霊喰いエレメントイーター〉はアルカ様に討ち取られた。アルカ様が怪我を負われたのは、モンスターの仕業ではない。昨日さくじつ〈精霊殿〉で侵入者に襲われたからだ」


 モンスターではなく人間の仕業だと聞いて、コルネリア女王は驚きに目を瞠る。

 その反応も当然だ。〈精霊喰いエレメントイーター〉ほどのモンスターが相手であれば理解できる。しかし、アルカに手傷を負わせた相手が人間となると話は別だ。不意を突いたとしても簡単に為せることではない。オリハルコン級の冒険者でも難しいだろう。


「犯人は捕らえたのですか?」


 それ故に当然の疑問だった。

 しかし、ディルムンドはコルネリアの問いに首を横に振る。


「逃げられたそうだ。相手は黒装束に身を包んでいたそうで正体は分からず終い。セレスティア様が助力しても追い返すので精一杯だったと……」

「まさか、それほどの手練れが……」


 信じられないと言った表情を見せるコルネリア。

 神人に匹敵する存在がいるなどと信じられないのは無理もなかった。

 そんな人間が存在するはずもないからだ。

 いや、一人頭に浮かぶ。


「……失礼ですが、そのときシイナ様はどちらに?」

「御主、まさかシイナを疑っておるのではなかろうな?」

「疑いたくはありませんが、アルカ様に傷を負わせられるほどの手練れとなると候補は限られます。ですから疑いを晴らすためにも、ここははっきりとさせておくべきでは?」

「それは……確かに一理あるが……」


 コルネリアの理路整然とした説明に、反論の言葉を失うサテラ。

 神人に傷を負わせることが出来る相手となれば、世界でも有数の実力者でなければ不可能だ。ましてや、セレスティアでさえ捕らえることが出来ず、追い払うことしか出来なかった相手ともなると候補は限られる。

 椎名が真っ先に容疑者に挙がるのは、状況的に仕方のないことだった。

 とはいえ、納得が行くかどうかは別の話だ。

 椎名はサテラや〈紫の国〉にとって、大恩人と言える人物だからだ。

 

「犯人がシイナ様でないことは確認が取れている。〈精霊殿〉の巫女たちの証言もあるし、黒装束を身に纏っていて顔までは分からなかったそうだが、犯人は女だったそうだ」


 一触即発と言った様子で睨み合う二人を見て、ディルムンドは椎名が犯人でないことを説明する。

 相手は男ではなく女。それに椎名にはアリバイがあると聞かされ、それ見たことかと勝ち誇った笑みを浮かべるサテラに、やれやれと言った様子でコルネリアは溜め息を吐く。

 しかし、


「シイナ様を疑った非礼をお詫びします」


 それでも椎名を疑ったことをディルムンドに謝罪する。

 疑問や納得の行かないことがあれば相手が誰であっても遠慮はしないが、自分に非があれば認める。

 それが〈緑の国〉を治める賢王、コルネリアという女性だった。

 だが、


「しかし、犯人は女ですか」

「なぜ、妾を見る? 御主、喧嘩を売っておるのか?」

「まさか、私は普通の人間ですよ? 三賢者に次ぐとされる〈紫の国〉の魔王陛下に喧嘩を売るなどと……」 


 サテラとの相性は良くなかった。

 コルネリアに口では敵わないと悟り、鋭い眼で睨み付けるサテラ。そんなサテラの威圧を、まったく意に介さない様子でコルネリアは涼しい顔で受け流す。普通の人間と本人は言っているが、それだけでも並の胆力でないことは察せられた。

 魔王の怒りを涼しい顔で受け流される人間が普通であるはずもないからだ。


「ふむ……しかし、そうなるとアルカ様の容態が気掛かりですな。よければ、私に看させては頂けないでしょうか?」

「うむ、それはよい考えじゃな。ガブリエルは国一番の治癒魔法の使い手だ。この者の献身で我が国の臣民も随分と助けられておる。腕は妾が保証するぞ」


 ガブリエルのことを余程信頼している様子で、そう話すサテラ。

 それもそのはずで〈紫の国〉では、いま謎の病が流行していた。魔族しか発症しない一種の呪いとも言える病気で、どんな魔法薬も効果がなく宮廷の魔法使いも匙を投げる状況にあったのだ。

 そんな時に教会から派遣されてきたのが、ガブリエルだったと言う訳だ。

 完治には至っていないが、ガブリエルのお陰で症状がやわらいだという報告が至るところから寄せられ、サテラも呪いに侵されている身ではあるが、ガブリエルのお陰で症状の進行を遅らせていた。

 だからこそ、ガブリエルに深い信頼を寄せているのだろう。


「その必要はありません」


 円環の間にセレスティアの声が響く。

 巫女姫の登場に驚きながらも一斉に席を立ち、深々と礼をする代表たち。

 

「お言葉ですが〈巫女姫〉様。必要ないと言うのは……」


 困惑した様子で尋ねるガブリエルに、セレスティアはよく見ろと言わんばかりに一番奥の席に視線を向ける。そこは神人のために用意された席。前の会議で、アルカが座っていた席だった。


「そんな、まさか……」


 どこか驚いた様子を見せるガブリエル司教。

 その視線の先には――


「やあ、私がここにいることがそんなに不思議かな? ガブリエル司教」


 宙から吊り下げた氷嚢ひょうのうで頭を冷やす〈楽園の主〉――アルカの姿があった。

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