第2話 目覚めた先は十年後の世界
目の前に映る顔に、目を凝らす。自分の目を疑い、擦るが景色は変わらない。なんとか動く手で頬を引っ張るが、景色は変わらない。軽くビンタする。景色は変わらない。
一度深く目を閉じ、深呼吸。
深く深く、深呼吸。改めてゆっくりと、目を開ける。そこにいたのは、さっきの犬顔が見間違いだったかのような立派な人間で……
「あの、どうかしました?」
……そんなことはなかった。達志の頭は、ただただ混乱する。
だってそこにいたのは、人間……じゃなかったから。毛が生え、鼻が伸びてて、耳があって……まるで、犬の顔そのもの。
自分の目が、いや頭がおかしくなってしまったのか? 自分が暮らしていた世界に、このような見た目の人間がいるわけがない。
ナース服を着た犬顔の女性は、普段から達志が愛読していたファンタジー小説やライトノベルに出てくる、獣型の人間とでも言うべき見た目だ。
犬耳を生やした、二足歩行という……人間の体型に動物の顔、手足。何と呼べばいいのか、達志は知っている。
安易な表現になるが、それは獣人というやつだった。
目の前に立つ看護師に圧倒されるが……さっき聞いた台詞が、今感じている驚きとは別の驚きを連れてくる。
「え…………じゅ、ね……は?」
なんと言われたのか、一瞬理解できなかった。聞き違いでなければ……
……今、自分は十年、眠っていたと告げられたのだ。
そんな、バカな。そんなバカな話があるか。ただでさえ、目の前の獣人に処理が追い付いてないというのに……
「はい、十年です。貴方は十年間、ここで眠っていたんですよ」
だが獣人は、達志に考える暇を与えてくれない。伝えられたそれは言葉の拳となり、達志に容赦なくボディーブローを打ち込んでくる。
一つ一つを処理しようにも、どうしても頭の中が整理できない。まずは目の前の獣人だ。今日がハロウィンでもない限り、こんな仮装はしないだろう。
それ以前にそもそも病院で、看護する立場の人が仮装とかふざけてる。
壁にかけられたカレンダーには、七月とあった。ハロウィンの時期はまだ先だし、エイプリルフールでもない。それに何より、目の前の獣肌が作り物には見えないのだ。
次に、十年眠っていた。これも意味不明だ。普通に寝て十年も眠るわけがない。
が、自分が最後に見て記憶している年度……それよりも、十年分の数値がプラスされているのはカレンダーを見ることで、同時に確認出来た。
つまり、今は本当に、達志が記憶している十年後の世界ということになる。
元々記憶していた年度が、達志の記憶違いでないのなら……
考えられるのは、病気? 事故? それにより、十年間も眠っていたのだとしたら……
「……ば、かげてる……」
とはいえ、病気にかかっていた記憶はない。ならば事故だろうか。眠る前の出来事がうまく思い出せないのが、どうにも関係している気がしてならない。
頭が混乱する。十年眠っていたなんて、そんな現実離れした話、簡単に信じられるのか?
一体、自分が寝ている間に何が起こった? 寝る前に何があった? もしくはこれが夢…ではないのか?
「……っつ」
……考えろ。思い出せ。頭の中の情報をかき集め、パズルのピースを埋めていけ。そうすれば、おのずと答えが出るはず……と淡い期待を抱いていた。
結果、ピースははまらなかった。抜けているピースが多過ぎて、完成には程遠い。空白だらけだ。
それどころか、なにか思い出そうとすれば頭に痛みが走る始末だ。
自分の中の情報だけでは現状を把握するに限界がある。かといって、目の前の獣人にこちらから話しかけるのは些か抵抗がある。
もう、何が正解かわからない。よって……
目の前の獣人、十年眠ってたという言葉……この二つの衝撃を受けた達志の起こした行動はというと……
「はは……そうか、夢だこれは…………へへへ……」
これはきっと特殊な夢だ。そう簡単には覚めないんだ、と……結論付け、現実逃避として。その場でベッドに倒れ込む他になかった。
目が覚めたら、目の前にはファンタジー要素満載の犬顔の獣人。加えて、寝ている間に十年もの時間が経っていた。
そう言われて、誰がそれを「はいそうですか」受け入れることができよう。
マンガやラノベじゃあるまいし、こんなのはありえない。これは、夢だ。
現状を、そう結論付ける。これはたちの悪い夢で、いやにリアルな夢なのだと。
だが、頭に響くズキズキとした痛みが、鼻に残る薬品の匂いが、点滴によりチクチクする腕の痛みが……これは夢ではない、と訴えているようで。
「イサカイさん、いきなりで混乱しているでしょう。休んでください。
先ほど先生をお呼びしましたので、詳しい話はその時に」
ベッドに身を投げだし、呆然とする達志にかけられるのは、彼を気遣う優しき言葉だ。
混乱……それはそうだろう。これで落ち着けというほうが無理だ。というか、混乱の元凶はあんただ、と声を大にして言いたい。
が、今の達志にそんな余裕はない。それに、この獣人は達志を心配してくれている……
自分を騙そうとしているならともかく、そうではない相手に、あんたのせいなどとは言えなかった。
もしもこれが夢でないとしよう。信じがたいが、これを現実と捉えることで発想を転換させる。別の角度から考えれば、見えてくる答えも変わるかもしれない。
「……まさか、あれか……ラノベとか、でよく、見る……異世界、召喚、って……やつか?」
頭を抱えて考える。脳裏に浮かぶのは、この非現実を丸めて解決できる魔法の展開……異世界召喚だ。
声がだいぶ楽になってきた、という嬉しい気持ちは今は仕舞っておこう。
達志の趣味は、読書。なにを隠そう、達志の愛読書は専らマンガやラノベだ。
ジャンルは様々だが、その中では主流となりつつある、異世界召喚物が特にマイブームだった。
もしや、自分の身にも同じことが起きているのでは? 高校生の男の子として、そういった展開に憧れたことは一度や二度ではない。
可能性の呟きは、達志にしか聞こえない。急に黙り込んでしまった患者に不安げな獣人ナースだが、そんなことに気を取られている場合ではない。
もしもこれが異世界召喚なら、目の前の獣人にも納得がいく……のだが。
「まさかね……」
考えて、否定する。そんなのはフィクションだけの話だ。現実世界でそんなことはありえない。
バカバカしい、と己の見解を否定する。
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