第36話 お母さんは梓のことがめっちゃ大好き

 ――――春野家。



 お母さんが千斗を送っている間に、私とお兄ちゃんは机のお片づけをしていた。



「よかったな、梓」


「うん」



 内心かなり、ほっとしている梓は静かに笑った。


 決して、すべてが解決したわけじゃないけれど、それでも今の私の気持ちをお母さんに伝えられたことがすごくうれしいかったのだ。



「でもこれから大変だな」


「そうだね。でも、今はすごくうれしい」


「そうか」



 ニコッと笑う梓に、敦は涙を流した。



「お兄ちゃん、なんで泣いているの?」


「あ、ああ…………うれしくてな」



 敦は梓のことをずっと気にしていた。


 いじめがあったあの日、兄として何もできなかったことに心を痛め、自分の情けなさを嘆いた。


 昨日まであんなに笑顔だったのに、たった1日で当たり前に浮かべていた笑顔が消える。


 だから、考えた。どうすれば、梓が笑顔を取り戻してくれるのか。


 そこで思いついたのがゲームだった。


 ゲームならもしかしたらと、試しに進めてみると梓は想像以上に食いついてくれた。


 そこから少しずつ、梓はゲームにハマっていき、徐々に梓は元気を取り戻していった。


 そして、今こうして梓は普通に笑っている。


(千斗くんには本当に感謝しないとな)



「気持ち悪いよ」


「おい、兄に対して失礼だな!」



 そんな会話もあり、お片づけを終えると、お兄ちゃんがゲーム機を取り出した。



「さてと、梓…………一戦やらないか?」


「え、でもお母さん、すぐに帰って来ると思うよ?千斗のマンション、そんな遠くないから」


「一戦ぐらい大丈夫だろ。それに見つかったら、俺のせいにしてくれていいから」


「それなら、まあ、いいけど」



 こうして、お兄ちゃんとゲームをすることになった。



「よし!じゃあ、これをやるか!!」



 お兄ちゃんが取り出したのは【ナッシュファイター】だった。



「お兄ちゃん…………大人げない」


「おい、梓だって結構うまいだろ」


「でも…………まあいいか」



 お兄ちゃんは【ナッシュファイター】発売当初からずっとやり続けているゲームの一つ。言うなれば、得意ゲームの一つだ。


 格ゲー全般をやりこんでいるお兄ちゃんにとって【ナッシュファイター】は超神げーで、そのやりこみ度は私の比ではない。


 つまり、私がお兄ちゃんと対戦した場合、100戦に一回ぐらいなのだ。


 そして、いざ対戦が始まると、何もできずに敗北した。



「うわぁぁ、お兄ちゃん…………」


「なんだよ」


「なんでもない。はぁ、もっと練習しないと…………」



 結果はぼろ負け。最後の一戦では勝てそうな感じはあったが、それでも負けた。


 お兄ちゃんが強いことはわかっていたが、それでもこれだけ圧倒的に負けるとさすがに心にグサッと刺さる。


 悔しい、もっと頑張らないとって思う。



「まだまだ甘いな…………」


「うぅ…………うるさい!」



 猿のように声を上げる梓はプイっと顔をそらした。



「そういえば、思い出したんだが、千斗くんってあの時の子にそっくりだよな」


「あの時?」


「ほら、ゲーセンの格ゲーでボコボコにしたとき、あの時はさすがの俺も引いたんだよな。プライドをぼろぼろにするようなプレイで」


「…………え?」


「覚えてないのか?ほら、梓が中学2年生の時にさ、ゲーセンに行って、そこでボコボコにした子」



 お兄ちゃんが変なことをばっかり言うからか、梓はまったくついていけていなかった。



「いや、あの時はなんやかんや、心配でさ。後ろについていったんだけど、そこでボコボコにしてて、ほんと肝が冷えたわ」


「待って、それってお兄ちゃんが唯一、ゲーセンに付き合ってくれなかった時だよね?…………つけてたの?」


「最初はつけるつもりなかったんだけどな。梓のトラウマもあって、ついな」


「それってもうスト――――」



 そこで口を両手で閉じる梓はふと自分の行動を振り返ってみた。


(そういえば、私も似たようなことしたっけ)



「なんだよ、急に両手で口を閉じて」


「な、なんでもない。それより、さっきの話!!」


「ああ、だから千斗くんがゲーセンで梓と対戦した子とそっくりだったなって」



 その時、ふとある言葉を思い出した。



『いや、もしかしたら、俺が対戦した相手が梓だったかもなって思っただけ』


『それって中学2年生のころに負けたあの子のことだよね』


『まあ、さすがにないと思うけどな』




 それは自分の過去を打ち明けた時に、言った言葉だった。


(まさか、そんなわけないよね…………でも――――)


 なんだろう。このこみあげてくる気持ちは。


 体中がじわっと熱くなっていく。


 


 すると、ガチャっと玄関の扉が開く音がした。



「お、母さんが帰ってきたみたいだぞ」


「えぇ!?」



 ドンドンドンっと階段を上がる音が近づいてきて、ガチャっとリビングの扉が開いた。



「二人とも何をしているのって、梓、顔が赤いわよ」


「え?そう?暑いからかな?あはははは…………」


「そうかしら?別に暑くないと思うけど」



 クーラーのリモコンを手に取るお母さんは、温度は下げた。



「これで涼しくなるでしょ。それで何をしているの?」



 その問いかけにお兄ちゃんが答えた。



「ゲームだよ」


「はぁ、こんな夜にゲームなんて、まあいいわ。それより、明日には仕事に戻ることになったから」



 サラッと言うお母さん。



「早いな」


「無理して戻ってきたから、しょうがないわ。それより、梓」


「な、なに?」


「…………高校生活は人生で一度っきりよ。だから、頑張るだけじゃなくて、しっかりと遊びなさい。これも勉強だから。それじゃあ、私も寝るわ」



 そう言って、背を向けたところで足を止めた。



「それと、ゲームをするのはいいけど、やりすぎないようにね」



 そのままお母さんは3階に上がっていった。



「素直じゃないな、うちの母さんは。さてと、俺もさすがに寝るかなって梓?」


「あ、いや、なんか昔のお母さんを見てるみたいで」



 梓はお母さんの区長や、仕草、優しさから懐かしさを感じた。


 その感覚を私はよく知っていて…………。



(あ…………)



 それはまだいじめられる前のころのお母さんのぬくもりだった。



「まあ、愛情の裏返しってやつだな。ほら、愛情が強すぎて逆に厳しくなっちゃうってことがあるだろ?」


「愛情の裏返し…………」


「つまりだな、母さんは梓のことがめっちゃ大好きってことだ」


「…………お母さんが私のことを」



 安心感から笑みがこぼれた。



「さてと、俺は寝るかな」



 お兄ちゃんはゆっくりと立ち上がろうとすると。



「お兄ちゃん」



 梓が右手首をガシッとつかんできた。



「まだゲームは終わってないよ」


「いや、でも時間が」


「明日は休日だよ…………それになんか火がついちゃった」



 瞳をギンギラに輝かす梓。


 完全にゲームスイッチが入ったようだった。



「これ、今日は寝れないかも」



 ぞわっとするお兄ちゃんなのであった。


 



 

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